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2011-01-15(Sat)

ストレーザ

初めてマッジョーレ湖を訪ねました。湖畔のリゾート地ストレーザまでイタリア国鉄で行き、マッジョーレ湖のボッロメーオ諸島とマッジョーレこの湖畔の景色が今回のお目当てです。これまで、何度かマッジョーレ湖西岸を列車で通過して、その度にボッロメーオ諸島を車窓から見ていたのですが、やっと、間近に見ることが出来ました。
ストレーザとマッジョーレ湖は、ほんの100年前まで、ミラノのヴィスコンティ家とボッロメーオ家の領地だったのです。要するに、それまで、漁師は除いて、この美しい景色は彼らに独占されていたことになります。
08082010_02_ストレーザ駅と駅前_002 08082010_03_ストレーザ街並1_003 08082010_03_ストレーザ街並1_004

この美しい景色の湖には、ミラノから1時間ちょっと列車に乗れば着いてしまうのです。朝の9時過ぎにストレーザの駅に到着して、ゆっくりと歩いて、湖の畔のマルコーニ広場に着いた頃は、まだ、観光客も少なく、湖もひっそりとしていました。直ぐに遊覧船(イソーラ・ベッラ往復で6.8ユーロ)に乗りボッロメーオ諸島に向かうと、大きな遊覧船には観光客が30人ほどしか乗っていません。まだ暑くなる前で、朝の風がさわやかな日でした。
08082010_04_遊覧船でイソラ・ベッラへ_001 08082010_04_遊覧船でイソラ・ベッラへ_009 08082010_04_遊覧船でイソラ・ベッラへ_012

ボッロメーオ家がこの島を所有したのは12世紀で、ボッロメーオ伯爵が、この素晴らしい宮殿を奥さんのために建てたのは18世紀になってからです。ナポレオンも招待された素晴らしい宮殿は、なんと形容したら良いのかわかりません。ただただ、“素晴らしい”の一言です。特に、貝殻を使ったモザイクの部屋は、まるで海の底のようです。
08082010_06_イソラ・ベッラ宮殿_006 08082010_06_イソラ・ベッラ宮殿_012 08082010_06_イソラ・ベッラ宮殿_014

宮殿から外に出ると、またまた、素晴らしい庭があります。この庭は、宮殿の内部より、更に美しいと感じました。綺麗に区画された庭に数々の彫刻と綺麗に配置された花と植物がマッチしています。それに加えて、庭に放たれている真っ白な孔雀と周りの素晴らしい背景が、この庭の美しさを更に盛り上げています。これこそ、イソーラ・ベッラです。
08082010_08_イソラ・ベッラ宮殿の庭園_006 08082010_08_イソラ・ベッラ宮殿の庭園_010 08082010_08_イソラ・ベッラ宮殿の庭園_022
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ボッロメーオ諸島ですから、島はイソーラ・ベッラだけではありません。イソーラ・ディ・ペスカトーレとイソーラ・マードレと併せて3つの島がボッロメーオ諸島と呼ばれています。遊覧船はこの3つの島を巡るコースとイソーラ・ベッラだけの往復があります。しかし、何といっても見所はイソーラ・ベッラですから、他の島はパスしてしまいました。ストレーザに戻り、マッジョーレ湖畔の道をカルチアーノ方面に歩きました。この散歩道から見るマッジョーレ湖が一番美しいと言われています。
08082010_07_イソラ・ペスカトーレ_002 08082010_13_ストレーザ街並2_002 08082010_13_ストレーザ街並2_006

カルチアーノから、標高1491メートルのモッタローネ山にロープウェイが出ています。最後の100メートルはロープウェイからリフトに乗換えます。全部で所要時間20分くらいですが、さすがに、頂上は気温が下がります。しかし、山頂では360度のパノラマが待っています。ここは、ストレーザにきたら絶対に来るべきです。マッジョーレ湖はもちろんのこと、隣のオルタ湖とそこに浮かぶサンジュリオ島までを見渡すことが出来ます。
08082010_15_モッタローネ山登り_005 08082010_16_モッタローネ山頂上_016 08082010_16_モッタローネ山頂上_009

帰りのロープウェイは、登りに比べて比較的に空いていたので景色が良く見えました。ロープウェイからマッジョーレ湖に浮かぶイソーラ・ベッラがとても綺麗に見えます。これも見逃せない景色です。
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ミラノからストレーザまでは、午前8時にミラノ中央駅から1本と午前9時にポルタ・ガリバルディから1本の普通列車があります。その他に、ミラノ中央駅からユーロスター・シティが2本あります。所要時間はミラノ中央駅から普通列車で1時間5分、ユーロスター・シティで55分、ポルタ・ガリバルディからだと1時間15分となります。料金は、普通列車で6.05ユーロ、ユーロスター・シティで13.5ユーロです。時刻表を調べて、都合の良い時間に出る列車を決めてください。
ミラノへの戻りは、夜の10時過ぎまで1時間に少なくとも1本のミラノ中央駅或いはポルタ・ガリバルディ行きの普通列車とミラノ中央駅行きのユーロスター・シティがありますので、好きな時間に戻ることが出来ます。
ここも、行くのが簡単ですから、列車や時間を気にせずに、ミラノから気楽に行くことが出来る観光地です。
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2011-01-12(Wed)

アレッサンドリア

アレッサンドリアには有名なチッタ・デッラがあります。チッタ・デッラとは、英語でCitadelとなり、“街を守る最後の砦”の意味があります。アレッサンドリアのチッタ・デッラは18世紀にトリノのサヴォイア家によって造られたもので、保存状態が良く世界遺産の暫定リストに挙げられていて、世界遺産の登録を目指しているそうです。チッタ・デッラは、街からタナーロ川を渡った先にあり、上から見ると函館の五稜郭に似ていて、ここで外部からの侵略を防いでいたのでしょう。しかし、このチッタ・デッラに行こうとしたら、街からタナーロ川にかかっている橋がちぎれていて渡ることが出来ません。橋のかけ直し工事が行われているのです。もちろん、他にも橋があるのですが、かなり遠回りになります。とても歩いて行くことが出来ませんので、諦めるしかありませんでした。折角、アレッサンドリアまで来たのにがっかりです。
07082010_03_チッタデッラ橋_001 07082010_09_アレッサンドリア街並2_008 07082010_07_アレッサンドリア街並_004

そのようなわけで、アレッサンドリアでは街歩きだけになってしまいました。アレッサンドリアは比較的に新しい街で、12世紀に築かれました。清貧を理想に掲げた原始キリスト教の宗教団体であるウリミアーティは12世紀にこの街で発祥し、後に、各地の下層平民の間で広がり修道院を設けることになります。ミラノの近くにあるヴィボルドーネ修道院やミラソーレ修道院は、もともとウリミアーティの修道院でした。アレッサンドリアにもウリミアーティの発祥を裏付けるように、この街で一番大きいサン・ジョヴァンニ・デル・カプッチョ修道院の中に“ウリミアーティの蔵”と呼ばれる建物があるそうです。しかし、この修道院も門が閉ざされていて中に入ることが出来ませんでした。
07082010_02_サンジョヴァンニ・デル・カプッチョ修道院_002 07082010_05_街の小さな教会_002 07082010_07_アレッサンドリア街並_005

旧市街にも2つほど古い教会があります。ひとつは15世紀に建てられたカステッロのサンタ・マリア教会です。ゴシック様式の大きな教会です。
07082010_04_サンタマリア・ディ・カステッロ教会_001 07082010_04_サンタマリア・ディ・カステッロ教会_006 07082010_06_サンタマリア・デル・カルミネ教会_002

もう1つは、アレッサンドリアのカテドラーレで、ファサードはバロック調に建て直されていますが、本体は12/3世紀にかけて建造された聖堂です。さすがに、人口94000人の街の大聖堂だけあって大きくて立派です。
07082010_08_カッテドラーレ・ディ・アレッサンドリア_004 07082010_08_カッテドラーレ・ディ・アレッサンドリア_001 07082010_09_アレッサンドリア街並2_002

この街は、近代になって急激に発展したこともあって、旧市街と新市街の区別もはっきりしていません。この街で有名なものとして、映画にもなった帽子屋さんのボルサリーノは近代にこの街で発祥しました。街の古い建物はサヴォイア家支配の時(17,8世紀)のものが多く、どこかの街で見たことがあるような感じがします。従って、この街を特徴付けるようなものまでは行きません。それでも、初めて来た街を歩くのは楽しいものです。
07082010_09_アレッサンドリア街並2_005 07082010_09_アレッサンドリア街並2_004 07082010_09_アレッサンドリア街並2_006

アスティからアレッサンドリアへは、同じピエモンテ州の中ですから、1時間に1本くらいの普通列車があります。所要時間は30分で料金は2.7ユーロです。
アレッサンドリアからミラノへの戻りは、本数が限られてしまいます。1日に2本だけミラノ・ロゴレドまでの直通列車がありますが、その他はヴォゲーラ或いはパヴィア経由となってしまいます。直通列車なら1時間でミラノ・ロゴレドに着いてしまいますから、距離的には近いのです。料金も普通列車なら6.7又は6.75ユーロです。
また、アレッサンドリアからミラノのファマゴスタ(地下鉄M2)までのバス(Arfeaバス)もあります。このバスは、パヴィアとパヴィアの修道院を通って、ミラノまで行きます。
2011-01-08(Sat)

アスティ

ミラノの直ぐ近くなのに、気になっていて、まだ行っていない街が2つありました。ピエモンテ州のアスティとアレッサンドリアです。その2つをまとめて行ってきました。まず、アスティですが、この街は、ワインとトリフとスローフードで有名なランゲ地方の入口にあたります。従って、食のピエモンテを代表するような人口75000人の大きな街です。
アスティも古い街で、ローマ時代以前に、イタリアの原住民であるリグーリア人が住んでいました。リグーリア人の言葉でAstiとは“丘”の意味があるそうです。ローマ時代にもリグーリア海とトリノを結ぶ交通要所として栄え、10世紀からは司教が直接納める自治都市となっています。13世紀にはトリノを凌ぐほどのパワフルな街となっていました。

アスティには朝の9時半に到着し、街の中心部に向かうと、広場には食料品を中心とした街頭市がいっぱい出ていました。広場の横には大きなメルカートの建物があり、イタリアとは思えないほど綺麗な建物の中にはたくさんの食料品店が並んでいます。最初から、食のピエモンテを見せ付けられてしまいました。
07082010_03_アスティ・メルカートと街頭市_001 07082010_03_アスティ・メルカートと街頭市_002 07082010_03_アスティ・メルカートと街頭市_005

活気が漲っていたマーケットを抜けると、買い物に疲れた人達がカフェでくつろいでいるサン・セコンド広場に出ました。ここにはアスティの聖人であるサン・セコンドに捧げたサン・セコンド聖堂があります。この街の最盛期である13世紀に建造された大きくて立派なロマネスク・ゴシック様式の聖堂です。
07082010_05_サンセコンド広場_002 07082010_04_サンセコンド教会_004 07082010_04_サンセコンド教会_005

街外れ方向に進むと、11世紀建造のサンタ・マリア。ヌォーヴォ教会、12世紀建造のこのあたりでは珍しい八角形のサン・ピエトロ洗礼堂と歴史的建造物が2つあります。この八角形の建物がアスティで最も歴史的に重要なのだそうです。
07082010_10_サンタマリア・ヌォーヴォ教会_002 07082010_11_サンピエトロ礼拝堂_003 07082010_11_サンピエトロ礼拝堂_005

街の中心部方向に戻り、メディチ広場にあるトロヤーナ塔(13世紀)に登りました(2.5ユーロ)。街の真ん中にある高さ50メートルの塔は、街全体を上から眺めるのに絶好な位置にあります。
07082010_09_アスティ街並2_002 07082010_13_トッレ・トゥロヤナと景色_002 07082010_13_トッレ・トゥロヤナと景色_007

続いて、アスティのドゥオモ(サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂)に向かいます。途中のカラーナ広場にも街頭市が出ていました。やはり、市の多い街なのです。カテドラーレ通りの終点に13世紀に建てられたロマネスク・ゴシック様式のサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂があります。このアスティのドゥオモは、ピエモンテで1,2を争うほどの大きさだそうです。現在の人口75000人にはどうみても大きすぎるのですが、13世紀にはこの大きさのドゥオモが必要なほど力のある大きな街だったのです。
07082010_15_サンタマリア・アッスンタ(ドゥオモ)_034 07082010_15_サンタマリア・アッスンタ(ドゥオモ)_001 07082010_15_サンタマリア・アッスンタ(ドゥオモ)_006

大聖堂の中に入ると、久しぶりに感動しました。大きな大聖堂の内面の壁と屋根の全面がフレスコ画で覆われているのです。太く高い石の柱にもフレスコ画で模様が描かれています。フレスコ画をじっくりと眺めると、その一つ一つが実に素晴らしいのです。それほど期待をしていなかったアスティでしたが、見事に、良い方向に裏切られてしまいました。またまた、イタリアの奥の深さを痛感してしまいました。
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大聖堂から南に下がると15世紀に建てられたサン・ピエトロ・コンサヴィオ教会があります。イタリアでは珍しく鐘楼がファサードの真ん中に建っています。教会の前の通りを西に進むと円筒形の塔トッレ・ローザ(又はトッレ・ロマーナ)が見えます。この塔はローマ時代の城壁の塔を増強して11世紀に建てられたそうです。
07082010_16_サンタナスタシオ教会_001 07082010_17_トッレ・ロッサ_002 07082010_21_アスティ街並5_004

今度は、大聖堂の北方向に向かいしました。そこには、14世紀にアスティを支配していたミラノのヴィスコンティ家が建てた旧市街を囲っていた城壁が残っています。城壁に沿って進むと緑の生い茂った公園に入ります。ここにカステッロがあったらしいのですが、残念ながら城壁の内側に入ることが出来ませんでした。でも、お城の建物は、もう、ほとんどないそうです。
07082010_20_アスティ城壁と公園_003 07082010_20_アスティ城壁と公園_004 07082010_20_アスティ城壁と公園_007

カステッロから街に戻り、最後にもう一度街歩きです。中心部のローマ広場にはコメンティーナ塔が聳えています。宮殿と塔は、13世紀に建てられたとは思えないほど保存状態が良く、宮殿は今でも事務所として使われています。
07082010_12_アスティ街並3_001 07082010_08_トッレ・コメンティーナ_006 07082010_12_アスティ街並3_002

この他にも、アスティの街にはたくさんの塔があります。実際に、120の塔があるのですが、一般にアスティは“100の塔のある街”と呼ばれています。コメンティーナ塔、トロヤーナ塔及び八角形のレジブス塔が代表的な塔です。
07082010_07_トッレ・レジブス_001 07082010_21_アスティ街並5_002 07082010_21_アスティ街並5_007

アスティには、ミラノからヴォゲーラに出て乗換えて行きます。ヴォゲーラからエスプレッソ(急行)に初めて乗りました。要するに、短い距離の座席指定のインターシティです。ミラノ・ロゴレド駅から乗換を入れても2時間弱で、料金も合計で10ユーロ(エスプレッソは5.4ユーロ)でした。但し、ピエモンテ州の州都であるトリノからなら本数も多いのですが、ミラノからヴォゲーラ経由は本数も少ないので、事前に時刻表で列車を調べておく必要があります。
2011-01-05(Wed)

トレント

ヴェローナの北100キロのところにある人口11万人、トレンティーノ=アルト・アディジェ州の州都トレントに行きました。先日行ったボルツァーノはトレントから更に北55キロのところです。ここも古い街で紀元前4世紀には街があったことが確認されています。しかし、歴史的にこの街の名が有名になったのは16世紀中旬に、ルターの宗教改革に対抗するため、カトリック改革を目的としたトレント公会議が開かれたときです。この街は、11世紀の始めに神聖ローマ帝国による征服後、聖俗両方の権力を持つトレント司教公の支配が始まり19世紀の政教分離の波が来るまで司教公支配が続いていたのです。19世紀からオーストリアの支配に入り、第1次世界大戦後にイタリア帰属に戻ってきました。もともとイタリア語を話すこの地域はイタリア統一主義とオーストリアの激しい抗争が繰り広がられた地域で有名です。従って、トレントは、オーストリアの影響はほとんどなく、どちらかと言うと、長く続いた司教公の影響が強く残り、特に、トレント公会議前後の教会や宮殿が数多く残っています。

駅に着いて、最初に訪ねたのはトレント公会議にも使用されたサンタ・マリア・マッジョーレ教会です。残念ながらこの教会は修復中で外観を見ただけです。
01082010_02_サンタマリアマッジョーレ教会_002 01082010_02_サンタマリアマッジョーレ教会_006 01082010_02_サンタマリアマッジョーレ教会_007

その先には大きなドゥオモ広場があります。広場の真ん中にある18世紀のネプチューンの噴水がアクセントになっている居心地のよさそうな広場です。ドゥオモの他に、この広場には、12世紀に建てられたプレトーリオ邸と13世紀の鐘楼(修復中でした)があります。ベレンツァーニ通りに入る角の建物の表面に描かれたフレスコ画もとても印象的です。
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11,2世紀に建てられたロマネスク・ゴシック様式を併せ持つ大理石で建てられたトレントのドゥオモはサン・ヴィジーリオ大聖堂と呼ばれ、トレント公会議の主舞台となりました。大聖堂内部には重厚感が漂っています。この大聖堂内部のキリストの十字架像の前で、トレント公会議の開始が宣言されたそうです。何組ものイタリア人観光ツァーが、その前で説明を受けていました。また、この大聖堂の下にはローマ時代末期(5世紀)のバシリカ跡があります。
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ドゥオモ広場からサン・フランチェスコ・セヴェリオ教会(15世紀)へと続くベレンツァーニ通りは、トレントの街の歴史的な特徴を一番良く見せている美しい通りと言われています。通りの両側には、建物表面にフレスコ画が描かれているルネッサンス様式の宮殿が並んでいます。このあたりは、この近くで生産された銀の取引で財を成した商人が幾つもの宮殿を建てたところなのです。
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この美しい通りは、サン・フランチェスコ・セヴェリオ教会からサン・マルコ通りへと続いています。この通りにも宮殿があり、また、修道院を建て直したサン・マルコ教会(13世紀)と見事な鐘楼を持つサン・ピエトロ教会(14世紀)があります。
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サン・マルコ通りを抜けると、トレントの街のシンボルであるブオンコンシーリョ城(13世紀)が見えてきます。司教公が治めていた街に、こんな大きくて立派なお城があるとは思いませんでした。このお城には司教公自身が住んでいて、お城からの城壁はトレントの街を取り囲んでいたそうです。もちろん。このお城は周囲の地域への威嚇と街を守るためのもので、司教といえども宗教の力だけでは足りずに、封建領主と同じように戦う必要があったのです。
01082010_14_ブオン・コンシーリォ城外観2_013 01082010_12_ブオン・コンシーリォ城外観_004 01082010_13_ブオン・コンシーリォ城内部_001

ブオンコンシーリョ城内は博物館になっていて、入場料は7ユーロです。この料金の中には、1年を表したフレスコ画が残るアクイラ塔へのガイド付きツァーを含んでいます。アクイラ塔とはこのお城の城塔の1つで、狭い通路をガイドについて歩いて小さな城塔の中に入ると、内壁に描かれた3月を除く11か月分のフレスコ画を見ることが出来ます。何故、こんなところにこんなフレスコ画があるのか良くわかりませんが、確かに見事なフレスコ画です。但し、撮影禁止です。このお城は規模も大きく、内部のフレスコ画や装飾も素晴らしいだけでなく、周りの景色も素晴らしいところです。イタリアでも上位に数えられるお城だと思います。7ユーロの価値以上のものがありました。
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駅方面に戻り、アディジェ川に出ると、川の畔には、司教公の命で罪人を処刑したと言われているヴェルデ塔があります。アディジェ川を渡るとドス・トレントと呼ばれている大きな岩の丘が目の前に出てきます。この上からの景色は良さそうですが、上まで登る元気はありません。しかし、ドス・トレントの麓に、小さくて白いシンプルな教会があり、その手前のアディジェ川も入れた景色は素晴らしく、絵を描きたくなるくらいです。この白い教会は、12世紀建造のサンタ・ポリナーレ教会です。
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最後に駅に一番近いところにある12世紀に建てられたロマネスク様式のサン・ロレンツォ教会を見て、トレントの街を一回りしたことになります。さすがに、司教公の街だけあって、街は教会で溢れています。ここで挙げた教会はその一部ですので、正に、犬も歩けば教会に当たる街でした。だけど、この街は教会だけではなく、宮殿やお城、周りの山々の景色も素晴らしいのです。快晴だったこの日はドロミティ山塊まで見通せました。こんな街に住んでみたいと考える人が多いと思います
01082010_21_サンロレンツォ教会_002 01082010_18_トレント郊外・アディジェ川と景色_013 01082010_20_郊外からトレント街の眺め_002

トレントへはヴェローナからボルツァーノ方面行きの普通列車で1時間です。この普通列車は1時間に1,2本ほどあるのですが、どういう訳か朝の9,10時台だけ走っていませんので気をつけてください。料金は5.85ユーロです。ヴェローナへの戻りは午後になりますので1時間に1,2本ありますから問題ありません。
ミラノとヴェローナ間は、以前にお知らせしていますのでそちらを参考にしてください。
2010-12-18(Sat)

アレッツォ

アッシジからフィレンツェ行きの普通列車に乗り、途中駅のアレッツォで降りました。アレッツォはイタリアの名画「ライフ・イズ・ビューティフル」の舞台となった街です。それだけの理由でこの街にはいつか来たいと考えていました。しかし、調べていくうちに、この街も立派な観光地であることもわかってきて、ついに降りてしまったのです。

アレッツォの駅を降りて、メインストリートであるブランド店も並んでいるイタリア通りを真直ぐに進み、グランデ広場を目指しました。グランデ広場も「ライフ・イズ・ビューティフル」に出てきます。グイドが自転車に乗ってこの広場を走り抜けるシーンがありました。“ボン・ジョルノ・プリンチペッセ”とどこからか聞こえてくるような気がします。でも、天気の良いこの日は、たくさんの観光客や街の人が広場のカフェやお土産屋に群がっているので、映画のようなわけには行きません。それでも、「ライフ・イズ・ビューティフル」のパネルを広場の隅にあるポルチコの柱で見つけたときは感激しました。
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アレッツォは「ライフ・イズ・ビューティフル」だけではありません。観光地としても素晴らしいのです。シエナのカンポ広場ように勾配のあるグランデ広場は、古い建物で囲まれて、広場に面したポルチコの下にはカフェが並んでいます。イタリアの広場の中でも素晴らしさでは上位に入ると思います。
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そのグランデ広場の一角に見えるのがピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の後陣です。後陣にもピサ・ルッカ様式の連続開廊アーチを見ることが出来ますが、イタリア通りに面した正面には40もの連続開廊アーチをもつファサードがあります。
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イタリア通りには古い宮殿もあります。また、お城の一画のような遺構があり、この通りが、この街の歴史を一番感じる場所です。更に進むと公園の先にこの街を取り囲む城壁があります。緑豊かな公園は、夏の日差しを遮る木々が茂っていて、街の人の憩いの広場となっています。公園の直ぐ横にある盛り上がった城壁はフォルテッツァと呼ばれる五角形の要塞です。まるで、日本のお城の石垣のようです。
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フォルテッツァと反対側にはアレッツォのカテドラーレが見えます。この14世紀に建てられたゴシック建築は、人口10万人の街にふさわしい大きな大聖堂です。この大聖堂の中には2つの貴重なモニュメントがあります。一つは入口の左奥にある礼拝堂の青と白の陶磁で創られたキリストの磔像(暗くてうまく写真を撮れません)で、もう1つは正面に向かって左の壁にあるマグダラのマリアのフレスコ画です。こんな美しい顔をしたマグダラのマリアの絵は初めて見ました。
18072010_AR08_アレッツォ・城壁公園と景色_012 18072010_AR09_アレッツォ・カテドラーレ_002 18072010_AR09_アレッツォ・カテドラーレ_011

この街のインフォメーションで話を聞くと、この街にはフレスコ画で有名な教会が2つあるそうです。インフォメーションの人に、それを見るように強く薦められて、まず、カテドラーレに近い、13世紀に建てられた小さなゴシック建築のサン・ドメニコ教会に行きました。古いフレスコ画なのでダメージはあるものの素晴らしいフレスコ画には驚かされました。
18072010_AR10_アレッツォ・カテドラーレ広場_010 18072010_AR13_アレッツォ・サンドメニコ教会と広場_001 18072010_AR13_アレッツォ・サンドメニコ教会と広場_008

次は、駅のほうに戻ったところにある14世紀に建てられ15世紀に拡張されたと言われるサン・フランチェスコ教会です。ここは、教会内がほとんどフレスコ画で埋め尽くされています。特に、後陣のフレスコ画が有名で、入場料を払うと後陣のガイドツァーに参加できます。ガイドツァーがある場合は、ほとんどのところが撮影禁止なのですが、ここも同じです。ところが、それと知らずに撮影をしていましたところ注意されてしまいました。それもあって、ガイドツァーはパスして出てきてしまいました。
18072010_AR14_アレッツォ・サンフランチェスコ教会_001 18072010_AR14_アレッツォ・サンフランチェスコ教会_006 18072010_AR14_アレッツォ・サンフランチェスコ教会_008

駅に向かって戻る方向に進んでいましたので、最後に、駅の直ぐ近くにあるローマ時代の円形闘技場の遺跡に向かいました。ここの円形闘技場は、ルッカやアッシジと違って、本当の遺跡です。保存状態はそれほど良くないのですが、一部の観客席はまだ使えるようです。闘技場内には仮設の舞台が設けられ、周りには照明もつけられているので、定期的に、ここで野外ステージを行っているようです。
18072010_AR16_アレッツォ・円形闘技場_008 18072010_AR16_アレッツォ・円形闘技場_002 18072010_AR16_アレッツォ・円形闘技場_004

ぐるりとアレッツォの街を1周しただけですが、見所がいっぱいで期待以上でした。やはり、この街は「ライフ・イズ・ビューティフル」だけではなかったのです。

アッシジからアレッツォまでは2時間間隔で走っている普通列車で1時間半弱です。料金は6.2ユーロでした。アレッツォの駅からグランデ広場までは歩いても10分かかりません。バスも乗りませんから無駄な時間もなく効率的に街を歩き廻ることが出来ます。アレッツォからフィレンツェまでは、1時間間に2,3本の普通列車が走っています。所要時間は1時間~1時間30分で料金は5.8ユーロとなります。フィレンツェはサンタ・マリア・ノッヴェーラ駅に到着しますので、ミラノに戻るユーロスターへの乗換にも便利です。ですから、アレッツォだけなら、ミラノからの日帰り旅行も楽しむことが出来ます。
ミラノとフィレンツェ間は、ユーロスターが便利です。1時間間隔以上の本数があり、所要時間は1時間45分で、料金は51ユーロです。
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Author:matsuohj (パパロンチーノ)
2008年10月20日から2010年8月23日までの1年10カ月ミラノに滞在。その期間、北イタリアを中心に115ヶ所の街を訪ねました。それも、ほとんどが公共交通機関を利用したものです。この経験で得た情報を一人でも多くのイタリア好きの人に伝えるためのブログです。

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