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2011-01-23(Sun)

カンポ・リグーレ

日本への帰国が迫り、これが最後の旅になってしまいました。最後の締めは、やはり、イタリアの「最も美しい村」への“小さな旅”です。カンポ・リグーレはジェノヴァの北35キロにある3方を川で囲まれた人口3000人の小さな村です。昔の地名は、カンポ・フレッドと言われていたそうです。カンポはキャンプの意味で、ローマ時代にローマの軍隊がここにキャンプを築いたことによります。フレッドは“冷たい”の意味ですが、3方にある川の水が冷たかったのでしょうか。従って、ローマ時代から存在を確認されている古い村なのです。この村は、16世紀から長い間ジェノヴァの支配下にあったのですが、それ以前の14,5世紀に支配していたパプスブルグ家に忠誠を誓って、ジェノヴァの支配に対して反発を続け、18世紀のオーストリア継承戦争でもオーストリア側についてジェノヴァと戦ったそうです。こんな小さな村でもその村独自の歴史があるのがイタリアなのです。

カンポ・リグーレの駅からストゥーラ川沿いに歩いてカンポ・リグーレ村に入ります。村の入口には17世紀中旬に建てられたバロック様式の小さな“サン・セバスチャーノとサン・ロッコ”の礼拝堂がありました。外観は小さくてもバロック様式の内装は豪華です。装飾とフレスコ画で覆われていました。村は、パステルカラーの可愛い建物が細い石畳の道に並んでいます。さすがに「最も美しい村」です。家々には花が飾られていて、道にはゴミひとつ落ちていません。
14082010_05_カンポリグーレ駅から村へ_006 14082010_06_サンセバスチャーノ・ロッコ礼拝堂_001 14082010_06_サンセバスチャーノ・ロッコ礼拝堂_003
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メインストリートを進むと直ぐに村の中心にあるヴィットリオ・エマニュエル広場に出ます。この広場には13世紀に建てられたジェノヴァからの支配者が住んだスピニョーラ宮殿とこの村のドゥオモである“キリストの生誕と聖処女の教会”(Nativita di Maria Vergine)があります。広場から西の丘にはスピニョーラ城が見え、東にはストゥーラ川にかかる中世の橋が見えます。
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広場から西の丘の上を目指しました。途中に16世紀には既に存在を確認されている“聖母被昇天”(Nostra Signora dell’Assunta)の教会があります。ここもバロック様式の豪華な内装の教会でした。その教会の脇の階段を上がるとスピニョーラ城が見えます。
14082010_11_ノストラシニョーラ・アッスンタ教会_002 14082010_11_ノストラシニョーラ・アッスンタ教会_003 14082010_12_スピニョーラ城_001

スピニョーラ城はジェノヴァのスピニョーラ家が13世紀に築いたお城ですが、居城ではなく丘の上に建つ歩哨の塔だったようです。東西と南には川があり、北側の岩山地帯だけが陸続きで、この岩山を越えて攻めこんで来る敵を見張るための歩哨塔だったのだと思います。同時に、ここからジェノヴァに反発を続けている村人をも見張る必要があったのかもしれません。従って、村全体も一望できます。
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もう一度広場まで戻り、今度は東にある中世の石橋に出ました。この橋に面する小さな広場にインフォメーションもありました。この橋はサン・ミケーレ橋と呼ばれていて、最初に建てられたのは9世紀だそうです。しかし、度々起きた川の氾濫で破壊と修理を繰り返し、最終的には1842年に再建されたのが今に残っています。9世紀の建築は、最初の仕切り部分にだけ残っています。しかし、9世紀から19世紀まで、橋のデザインも変えずに、同じ構造で修理をしていたのですから驚きです。1000年の間技術的な進歩をいっさい加えていないこともイタリア的と言えるかもしれません。
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ストゥーラ川を越えた先にある、今は使われていないサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会も同じような運命をたどっています。13世紀にその名が記録に残っていますが、何度も洪水で破壊され、最終的には1935年の洪水の後に建て直されたものとなっています。
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最後に川の傍にある丘の上から、この何度も洪水にあった街の全景を眺めて。街を後にしました。駅に戻りながら、昔の村の名である“フレッド”の意味が解ったような気がしました。度々の洪水によって、何度も冷たく冷やされた街だったのです。洪水の“フラッド”とも関連があるのかもしれません。
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カンポ・リグーレはイタリア国鉄駅がありますが、駅員のいない無人駅です。但し、構内にタバッキがありますので、まさかのときは安心です。ジェノヴァからカンポ・リグーレまでは、午前中の普通列車は7時と9時の2本しかありません。所要時間が35分で料金は2.4ユーロです。ジェノヴァへの戻りは、午後になると1時間間隔で普通列車があります。
ミラノとジェノヴァの往復については、何度もお知らせしていますので、昔の報告を見てください。
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2010-12-31(Fri)

バール / ドンナ / ポン・サン・マルテン

まだ行っていないフランス国境の街アオスタに行こうと思って調べていたら、イタリアの「最も美しい村」に選ばれているバールという小さな村の名が出てきました。このバールはヴァル・ダオスタ(アオスタ渓谷)州モンテ・ローザのコミューネに属する人口134人の小さな村で、アオスタ渓谷の中で一番狭いところにあり、古くから重要な要塞があったところだったのです。興味が湧いて、更に調べてみると、今までにも何度か出てきたフランチジェーナ街道がこのアオスタ渓谷を通っていて、ナポレオンが越えたグラン・サン・ベルナール峠を抜けてフランスに通じているのです。しかも、あのシーザーもガリア遠征で通っているローマ時代からの重要な街道でもあったのです。
要するに、バールにある要塞は、フランチジェーナ街道を通って来る北からの侵略者に対する防御のために築かれたものなので、古くは6世紀からあったそうです。この要塞にかかわる一番有名な話は、ナポレオンがフランスからグラン・サン・ベルナール峠を越えてイタリアに侵略してきたとき、この小さな要塞を包囲して攻撃したのですが、結局、直ぐに陥落することができずに、途中で諦めて、やっと持ち出すことが出来た15門の大砲だけを持って先に進んだそうです。その後、残ったフランス軍の攻撃で13日後にやっと陥落したのですが、小さな要塞にてこずらされたナポレオンの怒りは収まらず、オーストリア軍を破った後に、この小さな要塞を跡形もなく破壊するように命じたそうです。現在ある要塞は、ナポレオン没落後に、サヴォイア家が、フランス軍の再度の侵略を恐れて1838年に再建されたものです。

そんなところにあるバールという小さな村はどんな村なのか、アオスタよりも興味が湧いて、早速、行くことにしました。バールはBardと書きます。要するに、このあたりの地名はフランス語読みになっています。同じく、フランス語読みのポン・サン・マルテン(“Pont Saint Martin”と書き“聖マルティン橋”の意味)の鉄道駅からバスに乗ってバール村に着くと、19世紀に建てられた丘の上の要塞が綺麗に見えます。そして、もちろん、周りのアルプスの山々がとても綺麗です。
31072010_06_バール城・外観_001 31072010_07_バール城と景観_003 31072010_07_バール城と景観_008

バール村は、要塞の建つ丘の麓を通るフランチジェーナ街道の両側に並ぶ長さ50メートルほどの集落です。この集落にある14,5,6世紀に建てられた23の家々が歴史的建造物として保護されているそうです。23の家々ということは、集落のほとんどの家になってしまいます。集落のちょうど真ん中あたりに噴水があり、そこに奇妙な石像があります。この石像が何なのか何時出来たのかは誰も知らないそうです。何しろ、フランチジェーナ街道はローマ時代からあるのですから、この石像もそれ相応の歴史があるのでしょう。
31072010_04_バール旧市街・ロマーナ街道_003 31072010_04_バール旧市街・ロマーナ街道_006 31072010_04_バール旧市街・ロマーナ街道_011
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バール村の中に、100メートルの高さにある要塞に上がる無料リフト乗り場があります。4つのリフトを乗り継いで城砦の上まで上がるようになっているのですが、乗り場にあるインフォメーションの女の子が、リフトに乗るよりも歩いて登ったほうが良い景色を見ることが出来ると教えてくれて、歩いて登ることにしました。100メートル登るのは大変だと考えていたのですが、とにかく、周りの景色が素晴らしいので、疲れを感じないうちに登りきることができました。19世紀に建てられた要塞自体はそれほどでもないのですが、周りの景色は百万ドルです。ここがアオスタ渓谷の一番狭いところであり、ポー川に繋がるドーラ・バルデア川に沿ったバール村に入っていく1本の街道の防衛には最適な場所であることが良くわかります。但し、川に平行に高速道路が走っているのだけが昔と違います。
31072010_07_バール城と景観_015 31072010_08_バール城からの戻りと景観_002 31072010_07_バール城と景観_019

要塞から下りて、もう一度、フランチジェーナ街道に戻り、昔の人のように隣村のドンナまで歩いてみることにしました。バール村を出でも石畳の街道が続いています。しばらく歩くと、遺跡のような廃墟がありました。何も説明がないので分かりませんが、勝手に、ローマ時代の遺跡だと思い込みました。もちろん、中世の建物の廃墟かもしれませんが、少なくとも、数百年以上の昔であることは間違いないと思います。
31072010_10_古代ローマの街道・バール郊外_010 31072010_10_古代ローマの街道・バール郊外_002 31072010_10_古代ローマの街道・バール郊外_003

10分歩くと、ドンナ村の入口付近に、今度は、間違いなくローマ時代の街道跡の遺跡がありました。ちゃんと説明のパネルもあります。ここには、アーチ型の門があり、ローマ時代に舗装された石の道には荷車の轍の跡も残っています。ポンペイで見た轍の跡と同じものです。驚いたことに、こんな重要な遺跡であるにもかかわらず、管理する人は誰もいませんし、フェンスがないので立ち入りも自由なのです。従って、2000年前のローマ時代の道の上を自由に歩くことが出来ます。
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もっと、驚いたことに、このローマ時代の道がそのままドンナ村旧市街の真ん中を通る道に繋がっているのです。ドンナ村の旧市街は全く観光化されてなく、まだここにも住民が住んでいるのです。唯、この旧市街の入口(ローマ遺跡の反対側)にあるアーチの門には、「ここから中世の村」とだけ表示されていました。でも、実際には、中世からローマ時代に続くタイム・トラヴェルの道なのです。
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フランチジェーナ街道は、更に、続いています。但し、ドンナ村とポン・サン・マルテンの間は、昔の街道として独立してなく、現在の国道に取り込まれてしまっています。ちょっと残念ですが、仕方がありません。それでも、周囲の山々と葡萄畑の景色がとても綺麗です。10分も歩くと、ポン・サン・マルテンの街に入りました。この街もとても綺麗です。街の裏に聳える山のうえには2つのお城が見えます。1つは19世紀後半に建てられた赤と白の綺麗なお城です。バライン城と言って、今は、ワイン博物館になっているそうです。もう1つは14世紀に建てられたお城で、今では廃墟になっていて、しかも崖淵にあるので近くにも行けないそうです。
31072010_13_古代ローマの街道・ドンナ村と景色_005 31072010_13_古代ローマの街道・ドンナ村と景色_008 31072010_14_古代ローマの街道・ポンサンマルテン街と景色_003
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ポン・サン・マルテンは、先ほども書きましたが、“聖マルティン橋”の意味です。その名の通り、この街には有名なローマ時代の橋があるのです。この橋はフランチジェーナ街道の一部として紀元1世紀に造られた長さ31メートルの立派なものです。2000年以上経った今でもがっちりしていて問題なく使えるのですから、ローマ時代の技術は大変なものです。橋の脇の小さな公園の中に小さな博物館があり、ローマ時代の橋の工法をイタリア語と英語で丁寧に説明しています。
31072010_16_古代ローマの街道・ポンテ・ロマーナ_007 31072010_16_古代ローマの街道・ポンテ・ロマーナ_009 31072010_16_古代ローマの街道・ポンテ・ロマーナ_021

フランチジェーナ街道は、ここからピエモンテ州に入って、イヴレーア、ヴェルチェッリ、モルターラ、ロンバルディ州のパヴィア、エミリア・ロマーニャ州のピアチェンツァ、フィデンツァ、トスカーナ州のポントレモーリ、ルッカ、サン・ジミニャーノ、シエナ、オルチャ渓谷を抜けてラッツィオ州に入り、ローマまで続きます。これらの通過する街は、すべて観光したくなってしまいます。でも、今回は、ここポン・サン・マルテンで終わりです。この橋からポン・サン・マルテンの駅までは、歩いて10分足らずです。

ポン・サン・マルテンからバールまでのバスは、アオスタとイヴレーア間を走るSademバスLinea 0160です。平日・土曜日は1時間間隔ですが、日曜日は朝の10時過ぎまでしかありません。バールまでは停留所3つで10分足らずです。料金は片道1ユーロで、チケットはバスの中で購入します。
ミラノからポン・サン・マルテンまでは、ミラノ中央駅からトリノ行き(1時間間隔)の普通列車に乗って約1時間半のキヴァッソ駅でアオスタ行きの普通列車に乗換えて40分です。ミラノからだと乗換を入れて合計2時間半かかります。但し、キヴァッソからアオスタ行きの普通列車は午前中9時発以外にはありません。従って、ミラノ中央駅7時15分発に乗らなければこの列車に間に合いません。でも、午後になると12時過ぎからは1時間に1本以上あります。料金はミラノから通しで10.85ユーロです。
帰りは、午後になるので、ポン・サン・マルテンからキヴァッソ行きは夜8時過ぎまで1時間に1本以上ありますので問題ありません。キヴァッソからも1時間間隔でミラノ行きがあります。
2010-12-13(Mon)

ブリジゲッラ

ドッツァからエミリア街道に戻り、更に進むと、ボローニャ県からラヴェンナ県に入ったところにある村がブリジゲッラです。この村もイタリアの「最も美しい村」に選ばれている人口350人の小さな村です。この村の背後には3つの石灰岩の岩山があります。その岩山の頂上に夫々、時計塔、お城及び聖域教会があります。この村の歴史は、13世紀の後半に、ここの領主(スシナーナのマヒナルド・バガーニ)がファエンツァの領主マンフレディ家の侵略に備えてラモーネ渓谷の1番目の岩山の頂上に砦を建てたことから始まります。それが今の時計塔です。しかし、村はマンフレディ家に占領され、20年後の14世紀初頭に、こんどはマンフレディ家によって2番目の岩山の頂上にもっと大きな城砦を築きました。しかし、その後、ヴェネツィア共和国、教皇領と村の支配者が代わってしまいます。3番目の岩山は聖域となっていて、その頂上に聖域教会が17世紀に建てられました。

村に入ると、比較的広い道路が村の真ん中を走っています。道の両側にはパステルカラーの建物と古い大きな建物が並んでいて、ゴミもない綺麗な街並です。この村は、支配者が時代毎に代わったものの、豊富な石灰岩の交易によって12世紀頃から栄えていたのです。その名残として、パステルカラーの建物の裏には、12,3世紀に使われていた屋根付の石畳の細い道が残っています。“ドンキーストリート”と呼ばれていて、石灰岩をロバに引かせて通った道です。
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メインストリートを進むと、小人しか通れないような小さなアーチの門とアプローチのある小さなサン・フランチェスコ教会があり、そこから細い石畳の道になり2番目の岩山の上にあるロッカに向かいます。急勾配の岩山は階段で登ります。ロッカに到着する手前の展望台まで辿り着く頃にはかなり体力を消耗していましたが、そこから見える1番目の岩山の頂上に聳える時計塔は、その疲れをすべて吹き飛ばしてくれました。この景色は、この日のハイライトです。こんな小さな村なのに、こんな雄大な景色を見ることが出来るのですから、イタリアは恐るべき国です。写真を撮ることも忘れて見入ってしまいました。
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2番目の岩山の頂上のロッカも、小さな村にしては立派です。中に入るには2ユーロの入場券が必要です。ロッカの中には見るべきものはほとんどありませんが、城壁からと城塔からの景色は最高です。もちろん、先ほど見た1番目の岩山の時計塔だけでなく、3番目の岩山の頂上の聖域教会も良く見えます。眼下にはブリジゲッラの村が広がり、その先の丘陵地帯には葡萄畑が見えます。
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ロッカから時計塔へは岩山の裾野を通る山道を通って行くことが出来、時計塔の上にも昇ることができるようです。ロッカから時計塔に入る観光客が見えました。時計塔の上からの眺めも素晴らしいと思います。ロッカから村の中心部に降りて、村の中を散策した後、大きな教会(ドゥオモ)のあるこの村の広場で休憩しました。この村も「最も美しい村」にふさわしいところで、この旅も大満足でした。
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ドッツァから車で、約1時間でここまで来たのですが、もちろん、ミラノから列車に乗って来ることも出来ます。ブリジゲッラにはイタリア国鉄の鉄道駅があり、そこからは歩いてブリジゲッラの村に来ることが出来ます。いつものようにボローニャまで来て、ボローニャから1時間間隔で出ている普通列車(リミニ方面行き)でファエンツァに行き(35~45分で4ユーロ)、そこで、2時間間隔で出ているフィレンツェ方面行きの普通列車に乗り換えて10分でブリジゲッラに到着します。但し、ファエンツァからの普通列車は午後12時以降までありませんので、もっと早く行きたい場合は、ファエンツァからCoop Transportiバス(1時間半間隔)を利用できます。午前中のバスは10時半過ぎに出て、20分強でブリジゲッラに到着します。料金は分かりませんが片道2ユーロはしないと思います。但し、日曜日にはバスを使わないほうが良いでしょう。
ブリジゲッラから戻るときは、ファエンツァ行きの普通列車が2時間間隔で出ていますので、それでファエンツァに出て、乗換えてボローニャまで行ってください。ブリジゲッラとボローニャ間の所要時間は、乗換を入れても1時間強です。ボローニャとブリジゲッラ間の料金は片道5.1ユーロです。
2010-12-13(Mon)

ドッツァ

ボローニャのちょっと先にあるドッツァは列車でも行くことが出来るところですが、今回はドライブ旅行となりました。ドッツァはエミリア街道を南下し、ボローニャとサーキットで知られている街イモーラの中間くらいにあります。イタリアの「最も美しい村」にも選ばれている人口950人ほどの城壁に囲まれた小さな村です。11世紀にボローニャの支配下に入りこの村は城壁で囲まれ、15世紀後半にミラノ支配に代わり、ここに城砦(ロッカ)が建てられました。このロッカにはミラノのスフォルツァ家から領地を委譲されたカムベッジ家が1960年まで住んでいたそうです。従って、ほぼ、建てられた当時のままの状態を維持しています。今は、この村のコミューネが管理しています。

ドッツェ村を囲む城壁は船の形をしています。船の最後尾にロッカがあり、ロッカの上から船首まで見下ろせるようになっています。街への入り口は船首と最後尾の両方にありますが、車で来た今回は、駐車場のある最後尾から村に入りました。
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ロッカに入るには5ユーロの入場券が必要です。中に入ると中庭に面した柱廊に出ます。このように片側に壁のない柱廊はロッジアと呼ばれていて、お城ではよく見ることが出来ます。ロッジアの1階部分の廊下には古いフレスコ画が描かれていて、その先にこのお城の台所があり、中世当時の調理場と調理器具がそのまま残されています。
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2階に上がると、住居となっていてカムベッジ家の人達の肖像画と当時の可愛いオルゴールのコレクションが調度品と一緒に展示されています。
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城塔まで登ると眼下に船の先端まで続くドッツァ村を見渡せます。もちろん、その周りの緑豊かな丘陵地帯の葡萄畑もとても綺麗です。ロッカの地下はエノテカになっていてこの地方のワインが販売されています。あまり高価なワインはありませんが種類は豊富です。その他にもこの地方のチーズやクッキーが並んでいました。
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村に入ると石畳の道の両側に花を飾った家々の壁に描かれたフレスコ画が目に入ってきます。これらのフレスコ画は歴史的なものではなく、この村で5年ごとに開かれる壁画のコンクールの作品なのです。各絵には描いた日と画家のサインがちゃんと残されています。日本の画家の絵もありました。これらのフレスコ画がこの村の売りになっています。
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昼食は、もちろん、ローカルフードです。村のレストランに入り、緑に囲まれたバルコニーのテーブルで蝉の声を聞きながら、イタリアで初めてDOGCの認定を受けたこの地方の少しガスの入った白ワイン(アルバーナ)、地元のパンとチーズに生ハム、パスタはタリアテッレとラザニアのラグ(ボロネーゼ)でした。やはり、エミリア街道沿いは食の宝庫です。
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今回はミラノからドライブでここまで来ましたが、もちろん、列車で来ることも出来ます。ボローニャまでは、前にも報告していますので省きます。ボローニャから1時間間隔で出ている普通列車(リミニ方面行き)で、イモーラまでは所要時間25分で料金は3.1ユーロです。イモーラ駅からは、平日と土曜日には1時間間隔で出ているATCバスLinea 147/247に乗り、25分ほどで到着です。料金は、乗っていないのでわかりませんが片道2ユーロ以下だと思います。日曜日は、ほとんどバスは走っていませんので、避けるべきでしょう。この村のバス停は、船の先端のほうにあります。
2010-12-12(Sun)

ヴァレーゼ・リグーレ

リグーリア州ラ・スペツィア県の北端の山の中、エミリア・ロマーニャ州パルマ県との境界に近いヴァーラ渓谷にある人口2200人の小さな村ヴァレーゼ・リグーレに行ってきました。州は違いますが、先日行ったコンピアーノは直ぐ近くです。この村もイタリアの「最も美しい村」に選ばれています。ヴァーラ渓谷はリグーリア海からパルマやポー川流域地帯を結ぶ交易路として利用されていたことにより、ヴァレーゼ・リグーレも12世紀にはその地名が記録に現れています。12世紀末からジェノヴァ共和国に吸収される16世紀まで神聖ローマ帝国の家系にあったFireschi家とPinelli家がお互いに権力を争いながら統治していたという奇妙な歴史があります。

東リヴィエラ海岸の街セステゥリ・レヴァンテからバスで山の中を1時間走ったところにあるこの村は、リヴィエラ海岸の喧騒とは程遠い静かで緑の山々に囲まれた小さな村でした。この村は新市街と旧市街がはっきりしています。新旧市街を分断する幹線道路でバスを降りると、目の前にFireschi家が13世紀に建てたお城があります。お城といっても教会よりも小さな石の建物です。このお城がこの村のシンボルで、インフォメーションもこのお城が面した広場にあります。但し、この村の地図はもらえません。何故なら、地図がいるほど、この村は大きくないのです。事務所の横にこの村の全体地図があり、そこにいくつかのモニュメントが表示されています。そして、そのモニュメントに行くと、看板があり、そのモニュメントの説明がイタリア語と英語で書かれていました。
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幹線道路を挟んだこの村は、お城のあるほうが旧市街です。旧市街にはお城のほかにボルゴ・ロトンダという建物があります。直訳すると“円筒の村”というのですが、その名の通り13世紀に建てられた石の家々が一塊の楕円形になって並んでいるのです。現在では、その外側に更に新しい家が建てられていますので、その間の細い路地のような狭い道に入らないとボルゴ・ロトンダを見ることが出来ません。ここはもともと13世紀に建てられた楕円形の要塞だったのです。そこに村人たちが住みついてボルゴ(村)になってしまったのです。もちろん、現在でも村人が住んでいます。従って、楕円形の外側には窓がありません。また、全ての家は2,3階建てになっていて、1階は倉庫で2階以上が住居となっています。
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道路を渡って新市街に入ると、パステルカラーの家々が並び、花が飾られていて非常に綺麗です。ゴミも全く落ちていません。なるほど、「最も美しい村」に選ばれた理由がわかります。新市街には、16,7世紀に建てられた2つの教会があります。また、今はない16世紀のサンタ・クローチェ修道院の鐘楼が新市街の真ん中に聳えていて、今では市民の塔となっています。新市街は、旧市街とは対照的で明るい雰囲気が漂っています。
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新市街の街の外れにヴァーラ川が流れていて、そこに石の橋がかかっています。“ギリシャ橋”と呼ばれているのですが、橋は16世紀に建てられたものです。シンプルな中世の石橋は歴史を感じますが、考えてみれば、イタリアでは中世の橋よりもローマ時代の橋のほうが大きくて丈夫なのです。橋に関しては、ローマ時代の技術のほう中世の技術より優れていたのは間違いありません。
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川沿いの道を歩くと、この石橋の全容と渓谷のきれいな景色を見ることが出来ます。本当に。長閑な景色は癒しを与えてくれます。
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セストゥリ・レヴァンテからヴァレーゼ・リグーレまでのバスは幾つもの山や谷を越えて約1時間走ります。その間に、魅力のある小さな村がいくつかありましたが、いずれも山の中腹や頂にある世間とは一線を画したような村です。そんな村で降りる乗客のほとんどがお年寄りで、多分、日本のように人口減少が続いて過疎化が進んでいるのだと思います。イタリアでもヴァレーゼ・リグーレのような村がだんだん減っていくのではないかと心配になります。
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セストゥリ・レヴァンテはちょうどジェノヴァとラ・スペツィアの中間くらいに位置している東リヴィエラ海岸のリゾート地です。ジェノヴァからは普通列車で1時間20分のところです。ミラノ・ロゴレドからはセストゥリ・レヴァンテまで普通列車なら2時間50分で料金は11.1ユーロとなります。直通の普通列車もありますが、ジェノヴァで乗換えても行くことが出来ます。ミラノとジェノヴァ間の列車は、これまでも何度か説明していますのでそちらを見てください。
セストゥリ・レヴァンテからヴァレーゼ・リグーレまでのバスはセストゥリ・レヴァンテの駅前からATPバスのLinea 50(ヴァレーゼ・リグーレ行き)に乗ります。所要時間は55分で料金は片道2ユーロです。チケットはバス乗り場が目の前にあるバールで購入できます。いつものように往復を買いましょう。バスは平日・土曜日なら10時から1時間間隔であります。但し、日曜日は1日に4本しかありませんので、避けたほうが良いでしょう。
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Author:matsuohj (パパロンチーノ)
2008年10月20日から2010年8月23日までの1年10カ月ミラノに滞在。その期間、北イタリアを中心に115ヶ所の街を訪ねました。それも、ほとんどが公共交通機関を利用したものです。この経験で得た情報を一人でも多くのイタリア好きの人に伝えるためのブログです。

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