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2010-12-03(Fri)

エンナ

タオルミーナからパレルモに戻る方法は、いろいろと考えましたが、最終的に、もっとも高価な運転手つき専用車によるドライブ旅行となりました。なんと、これだけで、ミラノシチリア間の格安航空運賃の9倍にもなります。1日専用車1台貸切で370ユーロです。今回は2名で貸切でしたが、5名(ベンツのミニバスになる)まで乗れるので、5人で利用すれば1人70ユーロちょっとなので結構経済的です。とにかく、乗っていれば良いだけなのですから非常に楽です。それに、パレルモまでの観光も出来ます。

朝ものんびり9時にタオルミーナを出発しました。最初の訪問地は、海抜1000メートルの街エンナです。エンナはイタリアで一番高いところにある県庁所在地だそうです。県庁所在地といってもシチリアのど真ん中の山の中の県ですから、それほど大きな街ではありません。エンナの旧市街の歴史地区には古い3つの教会があります。一番低い位置にある教会の前で車を降りて、街の中の上り坂の道を歩いて3つ目の教会であるドゥオモに来ると、その先の一番高いところに大きなお城があります。
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このお城の名は、13世紀前半にノルマン王朝のフェデリコ2世によって建てられたロンバルディア城と言います。何故、シチリアでロンバルディアなのでしょう。そこまで調べていないのでわかりません。このお城の中に入り、一番高いところからは、シチリア内陸部の大パノラマを見ることが出来ます。シチリア全土を見渡せるとの振れ込みですが、そこまでは見えないでしょう。タオルミーナのエトナ山らしき山は見ることが出来ました。
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専用車の運転手さんは、英語が出来ないとの情報でしたが、実際には、かなり上手な英語を話していました。若いイケメンの運転手さんで、日本人の女性なら喜んでしまいます。親切な人で、観光ガイドは出来ないのですが、何かを聞くとわかる範囲で嫌がることもなく答えてくれます。やはり、南イタリアの人らしく、冬の間は仕事をしないそうです。春になると秋までこの仕事をして、冬は海外旅行をするとのこと。今度は日本に行きたいと言っていました。
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2010-11-17(Wed)

ヴァルツィ

ロンバルディア州パヴィア県の属するヴァルツィは、中世にあったジェノヴァとパヴィアを結ぶスタッフォーラ渓谷に沿った“塩の道”と呼ばれる街道の中継点の街です。この街も特徴のある美しい街なのですが、「最も美しい村」には選ばれていません。しかし、同じような小さな街・村のガイドブックには美しい街として載っています。その村を訪ねるには、イタリア国鉄駅のヴォゲーラからバスに乗ります。今回は、バスに乗る前にヴォゲーラの街を歩いてみました。ヴォゲーラもスタッフォーラ渓谷にある街で“塩の道”の中継地点として中世から栄えた街です。10世紀からはロンバルディア貴族のマラスピーナ家、その後ミラノのヴィスコンティ家等の支配を受けています。現在はロンバルディア州パヴィア県で2番目に大きな街で人口は39000人です。
この街の中心はドゥオモのある広場です。駅から歩いて5分くらいですが、朝も早いためかドゥオモまでの道は静かです。ドゥオモ広場に近づくと街頭市が出ていて、如何にもヨーロッパ的な人形を売っている店が出ていました。
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ドゥオモは大きくて立派です。11世紀にロマネスク様式で建てられたようですが、17世紀にバロック様式に改装されて今の状態になったそうです。内部もバロック様式でとても立派です。特に、採光塔のフレスコ画の青色がとても印象に残っています。
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ヴォゲーラからヴァルツィまではスタッフォーラ川沿いに走るバスで50分ほどです。山の中の街ですがスタッフォーラ渓谷にありますので、ヴォゲーラとの高低差はほとんどありません。しかも渓谷から見える山々の景色は素晴らしいので50分も短いものです。ヴァルツィは、10世紀にボッビオの聖コロンバーノ修道院の支配下にありました。13世紀にマラスピーナ家の支配に移り、その後、いろいろな支配者がここを納めましたが、マラスピーナ家は18世紀までこの地に名を残していました。ヴァルツィの旧市街はスタッフォーラ川に沿った帯状の細長いエリアです。西のソッターナ(下流)門と東のソプラーナ(上流)門の間にある100メートルくらいの石畳の道が旧市街のメインストリートでその周りに石造りの民家があるだけの中性がそのまま残っている小さな旧市街なのです。西のソッターナ門から旧市街に入りました。旧市街に入る門は城砦になっています。
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ソッターナ門の北側の道路を挟んでマラスピーナ城があります。今は、道路で切断されていますが、昔は城壁が繋がっていたであろうことが容易に想像できます。
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狭い石畳の旧市街の道は中世の頃とほとんど変わっていないのではないかと思います。両側にある民家はすべて石造りで、ところどころに石で造られたポルチコが、今でも、路地裏の道として使われています。短い距離ですが、途中に2つの小さな教会(赤の教会と白の教会)もあります。東のソプラーナ門にも城砦が建っています。ここまでが、本当に小さな旧市街です。ソプラーナ門の外に小さな広場があり、教区教会のドゥオモがあります。
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旧市街の全景を見るには、スタッフォーラ川から見ることになります。旧市街のスタッフォーラ川沿いには比較的大きな宮殿が並んでいます。その後ろの旧市街には6つの塔があります。東と西の門の城砦、マラスピーナ城の城塔と赤の教会、白の教会とドゥオモの鐘楼です。正午に、この3つの鐘楼の鐘がメロディになっていました。
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ミラノ・ロゴレドからヴォゲーラまでは45分で到着します。パヴィアからなら30分かかりません。ジェノヴァ方面行きの他にヴォゲーラ行きの列車がありますので本数も少なくありません。但し、朝の9時から11時の間だけは列車が少ないので気をつけてください。従って、パヴィア同様に気軽に行けるところです。ミラノへの戻りの列車は1時間に1本以上ありますので全く問題ありません。料金は片道4.6ユーロです。
ヴォゲーラからヴァルツィまでは、ヴォゲーラ駅の直ぐ横にあるARFEAバスのターミナルからヴァルツィ行きのバスに乗ります。バスは40分間隔で出ていて、料金は2.75ユーロです。チケットはバスに乗って運転手さんから購入します。チケットを買うときに行き先も確認できますから安心です。ヴァルツィは終点ですから寝ていても着きますが、車窓からの景色も素晴らしいので、50分のバスの旅を楽しんでください。
2010-11-16(Tue)

ポントレモーリ

ミラノの4月は、ずっと天気が悪かったのですが、この日は午後から晴れるとの予報を信じて、ミラノを飛び出しました。ポントレモーリは観光ガイドにもない無印の街ですが、先日、サルザーナに行く列車でこの駅を通過した際、特に印象に残っていた街です。インターネットで調べてみると、このFrancigena街道沿いの古い街はイタリア国内では立派な観光地でした。北はアペニン山脈に接し、2000メートル近いアプアン・アルプスの麓のマルガ渓谷に位置している、山の中の街を絵に書いたような、人口8000人ほどの街です。この街はエミリア・ロマーニャ州とリグーリア州の間にあるのですが、何故か、トスカーナ州のマッサ・カッラーラ県に属しています。
ポントレモーリは紀元前1000年頃から人が住みついていたところで、考古学的に貴重な遺跡や遺物が発見されています。ローマ時代にはアプアンと呼ばれていて、Lunigianaとしてルーニの支配下にありました。街はFrancigena街道の恩恵を受けて繁栄し、13世紀の初頭には自治権を得た街となっています。

この街の旧市街は、マルガ川とヴェルデ川の間の中州のようなところにあります。従って、この街には城壁がほとんどなく、自然の川によって守られていたのです。この街の観光名所のひとつに3本の中世に建てられた橋があります。ポントレモーリの地名は、“ポンテ(橋)”と“トレモーリ(揺れる)”の2つの言葉が一緒になって出来たと言われています。要するに、“揺れる橋”という意味です。駅から5,6分歩いてその中の一つである一番新しい橋、マルガ川に架かるポンテ・ヌオーヴォを越えると旧市街に入ります。
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ポントレモーリの旧市街の真ん中をFrancigena街道が突っ切っています。旧市街はその南端にあるヴェルデ川に架かる聖フランチェスコ・ソット(下流)橋から始まります。この橋の旧市街側は非常に狭い門があり、そこに高い城塔が聳えています。旧市街を出入りする人々はここで検閲されるのでしょう。城塔は、明らかにこの街を守るための城塞です。北に向かう細い石畳のFrancigena街道は、街の中心部であるレプブリカ広場とその直ぐ隣の、昔はソプラ(上流)広場と呼ばれていたドゥオモ広場に続きます。この2つの広場の間には、両方の広場を同時に見下ろせるような市民の塔が聳えています。
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更にFrancigena街道を北に行くと、この旧市街の北端に大きくて立派なパルマ門があります。これも門というよりも城塞です。パルマ門の直ぐ横は高い岩山になっていて、その上には、この門が良く見えるようにお城が建てられています。旧市街はこのパルマ門のところだけが陸続きになっていますので、この門での防衛が一番大事だったのだと思います。従って、このパルマ門を通る旅人はすべてここで検閲され、お城から、常にこの門を監視していたのだと思います。
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パルマ門とドゥオモ広場の間の山の上にあるお城はCastello del Piagnanoと言います。日本語では“石の城”の意味になります。Lunigianaでは一番大きいお城で、Francigena街道の防衛が目的で9-10世紀にルーニによって建てられました。この頃、天気予報どおりに雲が切れて瞬く間に素晴らしい青空が広がりました。お城までは、旧市街の路地を抜けていきます。登り階段に差し掛かると、このあたりの民家はすべて石造りで、まるで城壁の一部となっているようです。従って、どこまでが民家でどこからが城壁なのかわからなくなってしまいます。しかし、この路地裏は、山の中の田舎街の中世と変わらない生活を生のまま感じるところでもあります。程なく、山の頂上に到着すると、お城の横に建つ小さな礼拝堂が迎えてくれました。
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この“石の城”は博物館になっていて、入場料4ユーロを払って入ります。ここには、紀元前8-6世紀頃に、この地帯に住んでいた先住民(リグーリア人或いはケルト人とのこと)が創った石碑が展示されています。ローマ時代以前の貴重な考古学資料と言われていますが、見ていて思わず吹きだしそうなユーモアがあります。
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博物館はそれほど大きくもなく、直ぐに、お城の中から城塞の上まで行くことが出来ます。天気が良くなったこともあり、ここからの景色はとても素晴らしく、時間がたつのも忘れて眺めていました。
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お城の上からの景色を楽しんだ後、迷路のような路地裏を歩いて山を降り、ドゥオモ広場に行く間にいくつかの古い教会があります。この街も教会の多い街です。
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ドゥオモ広場から。今度はヴェルデ川に向かいました。ここには、聖フランチェスコ・ソプラ(上流)橋があります。この橋も古い中世の橋で、橋を渡るとポントレモーリの新市街に入ります。新市街ですが、ヴェルデ川沿いには古い修道院があります。川沿いに、先ほどの聖フランチェスコ・ソット(下流)橋まで歩いて、旧市街に戻ることにしました。川沿いの道は古い橋や山の上のお城まで望めて景色が素晴らしいのです。散策するには最高の道でした。
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聖フランチェスコ・ソット(下流)橋を渡って、再び旧市街に入ったところで、旧市街を1週したことになります。観光地としては無印の街ですが素晴らしいところでした。この街も無条件でお気に入りのリストに入ってしまいます。観光客が少ない、山の中の落ち着いた中世の街を見たい人には、この街がお勧めです。まず、この街を訪れる日本人はいないでしょうから、自分だけが知っている観光地となります。中世の橋に興味のある人にもお勧めです。ポントレモーリに到着する手前で、列車の中からも興味深い橋がありました。それは、ミッレシモで見た橋と同じような城砦のある橋です。

ポントレモーリはイタリア国鉄駅から歩いていけるところなので、多少遠くても観光の時間はたっぷり取れます。ミラノからピサまで行く直通の普通列車なら乗換無しにいけるのですが、本数が少なく、朝早い時間(ロゴレド発6時59分)なので、ちょっと大変です。でも、フィデンツァ(朝の10時まで)或いはパルマ乗換(10時以降)ならもっと遅く出て行くことが出来ます。フィデンツァ或いはパルマからの列車は10-12時台を除いて1時間に1本あります。この区間の列車はアペニン山脈の中を走りますので、雄大な景観を車窓から楽しむことが出来ます。ミラノ・ロゴレドからならフィデンツァやパルマでの乗換時間も入れて所要時間は2時間45分くらいです。料金はフィデンツァ乗換なら11.2ユーロでパルマ乗換なら12.7ユーロです。
ミラノへの戻りは、午後になりますので、ほとんどの列車はパルマ乗換となります。即ち、ポントレモーリから1時間間隔で出ているパルマ行きに乗り、パルマで乗換えてミラノに戻ることになります。パルマからミラノまでは、2時間間隔で普通列車の直通があり、その合い間にピアチェンツァ乗換えの普通列車もありますので、1時間に1本はあります。また、インターシティやユーロスターもありますので、夜の9時過ぎまで問題ありません。食と芸術と歴史の街、パルマでゆっくりしても良いかもしれません。
2010-11-13(Sat)

レリーチとサン・テレンツォ

レリーチはラ・スペツィアからバスで東へ30分強のところにある東リヴィエラ海岸に面した人口10000人以上の街です。太陽を求めて北イタリアの人たちが好んで来る人気のあるリゾート地の一つです。サン・テレンツォはレリーチの一つラ・スペツィア寄りの街で、レリーチからサン・テレンツォまでの綺麗な海岸線は、約2キロの整備された遊歩道で結ばれていて、観光客に人気があります。また、レリーチの西方面にあるテッラーロ村は、イタリアの「最も美しい村」に選ばれています。今回は、レリーチまで行き、遊歩道をサン・テレンツォまで歩く計画としました。

この日はイースターマンディの祝日だったので、ラ・スペツィアの駅前からバスに乗りレリーチまで行きました。レリーチの港の前の広場は、快晴の天気に誘われたのか、観光客でいっぱいでした。広場のカフェやレストランだけでなく、広場に繋がる路地のお店にも観光客が押し寄せて忙しそうです。ポルト・ヴェネーレと同様にこのあたりの海はとても綺麗です。海の綺麗なレリーチの港にはものすごい数のヨットが停泊しています。観光客とヨットの数を見れば、如何にレリーチの街に人気があるのかがわかります。
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たくさんの観光客は、レリーチの街の西端の丘の上にあるサンジョルジョ城にも流れていました。サン・ジョルジョ城までは細い階段の路地を登っていくのですが、今回もズルをして有料(0.8ユーロ)のエレベーターで行ってしまいました。4月初めなのに、港周辺は暑いくらいでしたが、丘の上は清清しく最高の気分です。このお城は、13世紀にピサが建てたと言われています。但し、14世紀初頭には、ジェノヴァ共和国の防衛拠点であったと記録に残っています。要するに、ここで、ピサとジェノヴァの戦いがあったということです。お城の中には入場料5ユーロで入ることが出来ますが、展示されているのは子供向けの恐竜の模型と標本です。それよりも、古い城の内部の見学もありますが、とにかく、城の上からの展望が最高です。それだけで5ユーロ以上の価値があります。
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丘からの下りは。細い階段の路地を降りてきました。この急斜面にもぎっしりと民家や宿が建てられています。その中を縫うようにして下まで降りてきました。広場に戻って軽い食事をして、いよいよ2キロの遊歩道に向かいます。
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2キロの遊歩道も2つの街を行き交う観光客でいっぱいです。サン・ロレンツォに近づくに連れ、東リヴィエラでは珍しい砂浜が広がっています。この砂浜もレリーチの人気がある理由だったのです。4月初めだと言うのに、浜辺は水着で日光浴している人でいっぱいです。驚いたことに、子供たちは海に入って波と遊んでいます。
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午後1時過ぎに気温は更に上がり、遊歩道でもジェラートをなめながら歩いている人が多くなりました。2キロの遊歩道は平坦で全く疲れることなくサン・テレンツォに到着しました。サン・テレンツォの街の前の海岸も広い砂浜のビーチです。ここも、日光浴の人たちでいっぱいでした。ヨットはレリーチで海水浴はサン・テレンツォになるのでしょう。両方が楽しめるこの地域に人気があるのがわかります。遊歩道の終点にはサン・テレンツォのお城があります。この遊歩道はお城から始まってお城で終わっているのです。
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帰りのバスはサン・テレンツォから乗ることにして、この街で一休みをしてバスでラ・スペツィアに戻りました。この日からバスは夏時刻の採用となり、この海辺の地域は、観光客が増えることを期待して、バスも15分間隔になっていました。この日の観光客の数は、その期待通りだったようです。
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ラ・スペツィアからレリーチまでのバス料金は1.15ユーロで、サン・テレンツォからラ・スペツィアも同じです。ラ・スペツィアで往復分のチケットを買っておいたのですが、現地の人は運転手さんからチケットを購入していましたので、車内でも購入できたようです。
ミラノとラ・スペツィア間の往復は、ポルト・ヴェネーレのときに書きましたので参照してください。この日は、ミラノから乗換無しでラ・スペツィアを通るインターシティで来て、帰りも乗換無しのミラノ行きのインターシティで往復しましたので、移動もすごく楽でした。
2010-11-06(Sat)

ルーニ

また、寒い霧のミラノを抜け出して東リヴィエラ方面に行ってきました。しかし、この日は、残念ながら全国的な曇り空で夕方まで晴れ間が見えませんでした。それでも、気温はミラノより4,5度は高く、雨にもあわずに旅を楽しめました。ルーニは、多分、イタリアでも知る人ぞ知る人口が1000人にも満たない小さな村です。チンクエ・テッレ等の有名な観光地のある東リヴィエラの海岸線から、わずか2キロほど陸地に入ったところにあるのですが、観光客もいないひっそりとしたところです。でも、この村には古代ローマ遺跡があるのです。ルーニは、今でこそ畑ばかりの過疎の村ですが、ローマ時代には、ローマからマルセイユに繋がるAurelia街道とローマからイギリスのカンタベリーまで続くFrancigena街道が分岐する交通要所で、しかも、今は海岸線が2キロ先になってしまいましたが、昔はここに港があったのです。当時、人口10万人を抱えていた大都市で、今でも、Luniginanaと呼ばれる地域(北はパルマ、西はラ・スペツィア、東はマッサ、南はリグーリア海まで)は、その支配下にありました。紀元1000年までは街として存在していたのですが、近隣諸国との抗争のみならず、海岸線が2キロ遠ざかり、ペスト・マラリアの流行で住民のほとんどは周辺の街に移り住んだために、ルーニは消滅して、今の畑ばかりの田舎の村に落ちぶれてしまったのです。

近隣の町、サルザーナからバスでルーニの国鉄駅まで来て、そこからは歩いて行かなくてはいけません。村の中は、さすがに畑ばかりで、道路も舗装はされていますが、長いこと修理もしていないので穴だらけです。周りには商店もありません。そんな道を10分ほど歩くとローマ遺跡が見えてきます。ローマ劇場の遺跡を見ていると遺跡の管理人のおじさんが遺跡公園に博物館があると教えてくれました。細い畑の畦道を抜けるとローマ時代のフォロ跡が遺跡公園になっています。その中にまだ出来て間もない小さな博物館がありました。観光客が来るとは思えない博物館では、管理人とガイドさんの総勢4名が、遠い日本から来た、多分、この日たった一人の観光客を歓待してくれて、やっと探し出したと思われるくしゃくしゃの英語の説明書を差し出して、片言の英語で説明をしてくれました。博物館にはここで掘り出したローマ時代の立派な彫刻が並んでいます。博物館の外に広がるフォロの遺跡も、たった一人の日本人のために専属のガイド付いて周ってくれました。遺跡は、まだ、ほとんどが掘り出しただけの状態で、復元はまだこれからです。
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公園の中には神殿跡もあり、遺跡はかなりの規模です。ローマ時代の港の跡は、遥か遠くの海から完全に隔離されていて、わびしさを感じます。専属ガイドさんは非常に親切で、次々と遺跡を見せてくれます。最後には、まだ、完成していない博物館の建物まで見せてくれて、そこで復元中のモザイク床と壁画を見せてくれました。ガイドさんによると、まだ、この地域の発掘を進めているそうで、今は羊の牧草地になっているところの地下にもローマ遺跡が眠っているそうです。でも、ここに、大勢の観光客が来るようになるのは何年先になるのか見当も付きません。それでも、村上げての村おこしなのだと思います遺跡見学を終えて、博物館に戻り、丁重なお礼をして別れるまで3時間近くも片言の英語の説明を聞いたことになります。
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遺跡公園を出ると、直ぐ近くにある円形闘技場跡まで歩きました。直ぐ近くなのですが、大きな畑が間にあるために10分以上も遠回りして歩かなくてはいけません。円形闘技場跡は管理人が常駐していない為に一般に公開されていませんが、荒い金網のフェンスが遺跡の直ぐ近くにあるだけで全く問題なく見学が出来ます。誰もが自由に見ることが出来るので、遺跡が保存できるのかどうか心配になってきます。
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思いもかけず、ローマ遺跡の見学に時間がかかり、空を見ると雲が途切れて赤く染まっていました。畑の先にある山も綺麗に見えてきました。よく見ると、山の上に村があり、そこには教会やお城があるのがわかります。この村の畑の周辺には電線も見えず、畑の灌漑設備も岩を削った溝を使っています。多分、この景色は数百年間変わっていないのかもしれません。明日は良い天気になりそうです。
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ルーニに行くことはかなり前から決めていたのですが、なかなか計画が難しくて延び延びになっていました。最終的に決まった計画は、ミラノからエミリア・ロマーニャ州のパルマの一つ手前のフィデンツェを通り、そこからアペニン山脈を突っ切る列車でリグーリヤ州のサルザーナに出る方法でした。この列車は1日に2本くらいしかありません。ミラノ・ロゴレドからの所要時間が3時間40分で料金は13.1ユーロです。サルザーナからルーニまではイタリア国鉄もありますが、ルーニには本数の少ない各駅停車の普通列車しか停まりませんので当てになりません。従って、サルザーナ駅から歩いて2,3分のところにあるバス・ターミナルからラ・スペツィア-カッラーラ間を走るATCバスでルーニの国鉄駅まで行きました。サルザーナからの所要時間は12,3分で料金は片道1.15ユーロです。
帰りもサルザーナまではバスで戻り、サルザーナから、今度は30分間隔である普通列車でラ・スペツィアまで(3駅ほどで料金は1.9ユーロ)行き、ラ・スペツィアからインターシティに乗り、ジェノヴァ経由でミラノ中央駅(所要時間3時間15分で料金は22ユーロ)に戻りました。ここは、日帰りで行くぎりぎりのところです。
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プロフィール

matsuohj (パパロンチーノ)

Author:matsuohj (パパロンチーノ)
2008年10月20日から2010年8月23日までの1年10カ月ミラノに滞在。その期間、北イタリアを中心に115ヶ所の街を訪ねました。それも、ほとんどが公共交通機関を利用したものです。この経験で得た情報を一人でも多くのイタリア好きの人に伝えるためのブログです。

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