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2010-11-18(Thu)

フォンタネッラート

イタリアでは5月1日は特別な祝日です。クリスマス(12月25日)、正月(1月1日)、聖母マリアの被昇天の日(8月25日)と並んで、5月1日も、イタリア国鉄と地下鉄以外のほとんどの公共交通機関が動きません。しかし、天気が良いので家でじっとしている気にもなれず、先週訪ねたトッレキアラで、フォンタネッラートのお城にはパルミジャニーノのフレスコ画が残っていて保存状態も良いとの情報を入手したので、パルマからタクシーで行くことにして出かけました。このお城はロッカ・サンヴィターレと言います。14世紀に、ミラノのヴィスコンティ家がサンヴィターレ家にこの地を与えました。サンヴィターレは、15世紀に、12世紀に建てられていた城を戦いと居住の両方に適するように改修して、1948年に街に売り払うまでここに住んでいたそうです。

フォンタネッラートの街は、パルマのベッドタウンなのですが、このお城の周りだけが旧市街となっています。旧市街入口には15世紀に建てられたソプラ門があるので、昔は城壁で囲まれていたのかもしれません。街並も、典型的なヨーロッパの小さな街のように、パステルカラーの可愛い小さな建物に挟まれた石畳の道には、カフェのテーブルが並んでいます。お城の周りは街頭市が建ち並び、観光客とこの街の住民でいっぱいでした。街頭市の中には土産物屋もあったので、晴れた日には多くの観光客がこの街を訪れるのかもしれません。
01052010_01_フォンタネッラート入口_004 01052010_02_フォンタネッラート街並_005 01052010_02_フォンタネッラート街並_002
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お城の周りの堀には、珍しく(汚いですが)水が満たされています。お城は、情報どおり保存状態が良く、中に入るのが楽しみになってきます。お城の周りの広場にも、いくつかの歴史的な建物が見られます。中でも、お城の同じ頃に建てられたサンヴィターレ家の厩舎はとても立派な建物でした。まるで宮殿のような建物です。きっと、ここの領主は、領民よりも飼い馬のほうを大事にしていたのかもしれません。また、16世紀に建てられたゴシック建築のサンタ・クローチェ教会も立派な教会でした。
01052010_03_フォンタネッラート街頭市_018 01052010_04_フォンタネッラート教会_003 01052010_05_フォンタネッラート厩舎_001
01052010_06_フォンタネッラート城外観_003 01052010_06_フォンタネッラート城外観_010 01052010_06_フォンタネッラート城外観_013

お城の中への入場は、ガイドつきの時間性になっていますので、予約をして時間まで待っていなくてはいけません。1回に30人くらいの観光客が一緒に見学して、城の中の11部屋を1時間くらいで周るツアーになっています。ガイドは4人の若い女性のボランティアが部屋毎に代わる代わるイタリア語で説明してくれます。でも、ちゃんとガイドの順番どおりの英語版説明書をくれますので、イタリア語がわからなくても理解は出来ます。城内は撮影禁止でしたので、パルミジャニーノが20歳のとき(1524年)に描いたフレスコ画“ダイアナとアクタエオンの神話”は素晴らしかったのですが、目で見て記憶にとどめるしかありません。でも、直ぐに忘れそうなので出口の売店で絵葉書を購入しておきました。下記の左2枚の写真はその絵葉書を撮影したものです。
01052010_11_フォンタネッラート・フレスコ画_001 01052010_11_フォンタネッラート・フレスコ画_002 01052010_09_フォンタネッラート城内部_006

その他にも、14~20世紀までのフレスコ画、絵画、タペストリー、調度品、家具、ビリヤード台等が展示されていて、内容はかなり充実しています。トリノやジェノヴァの宮殿に比べると質素なものが多いのですが、品が良く、日本人好みだと思います。
01052010_08_フォンタネッラート城中庭_002 01052010_09_フォンタネッラート城内部_009 01052010_09_フォンタネッラート城内部_001

今回は。パルマから往復ともタクシーを利用しました。でも、今日は5月1日なので仕方がないと理由を正当化できます。フォンタネッラートはパルマから北西方向に18キロのところにあります。タクシーで片道30ユーロ強でした。パルマから行くときは駅前のタクシーを捕まえられますが、パルマに戻るときが問題です。フォンタネッラートは小さな街ですからタクシー乗り場にタクシーはありません。ですから、電話で呼ばなくてはいけません。でも、一番簡単なのは、パルマから来たときに乗ったタクシーを予約しておくことです。フォンタネッラートで降りたところに、何時に来てくれと言えば、祝日は客も少ないので、喜んで来てくれます。

ミラノとパルマ間の列車に関しては、以前のブログを見てください。
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2010-11-18(Thu)

トッレキアラ

トッレキアラはエミリア・ロマーニャ州パルマ県にある山の上のお城です。パルマから南の山の方向に向かって、最初の山の上にあります。ピアチェンツァとパルマ県の観光ガイドは、周辺の保存状態の良いお城を紹介していますが、その中で最も保存状態の良いお城一つです。この日は素晴らしい天気の日曜日ということもあって、たくさんの観光客が来ていました。このお城は、昔からあったお城の上に、14世紀半ばにパルマの北15キロにある街、サン・セコンドの領主であったPier Maria Rossi伯爵によって、彼の愛人であったBianca Pellegriniの住居として建てられました。従って、最初から戦いのためのお城ではなかったので、今日に至るまで改修する必要がなかったのです。

日曜日と言うこともあり、パルマからのバスは本数が少なく、帰りのバスのチケットだけ購入して、タクシーで来てしまいました。パルマの街を抜けて葡萄畑の中を走っていると、遠くから、山岳地帯に入る手前の一番最初に見える山の上にこのお城が見えてきました。この温暖な葡萄園に囲まれたこの地は、愛人のお城には最適の場所に思えます。

25042010_10_トッレキアラ・城外からの城と景色_012 25042010_10_トッレキアラ・城外からの城と景色_018 25042010_10_トッレキアラ・城外からの城と景色_011

タクシーはこの山の中腹にある城門まで連れて行ってくれました。山の麓の駐車場も、山の中腹までの道の脇にも観光客の車が並んで駐車しています。城門の中に入ると、お城の周りには、城壁で囲まれた小さな空間に、石で作られた民家、教会にお墓があります。きっと、教会とお墓はお城の付帯設備のようなもので、街から離れたこの地で暮らす愛人が不自由を感じないようにしたのでしょう。石で造られた民家は愛人に使えていた人たちの住まいだったのだと思います。これらの中世のまま残されている建物で囲まれた石畳の道を歩くと、14世紀の時代にタイムスリップしたようです。但し、これらの建物の一部は、レストランやお土産屋として使われています。
25042010_10_トッレキアラ・城外からの城と景色_001 25042010_01_トッレキアラ・入口_003 25042010_03_トッレキアラ・村_012
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この日はお城の入場券(5ユーロ)が無料になる日でした。観光客が多い理由がわかりました。チケット売り場の女性が、その理由を説明してくれたのですが、イタリア語なので理解不能でした。お礼だけ言って城の中へ進むと、やはり、今までに見たお城とは違って、トーチカや城壁に銃を撃つための穴が開いていません。要するに、このお城では戦えません。建物に入る手前は広いテラスのようになっていて、そこから周りの葡萄園とその先の山々の景色が一望できます。青い空と周りの緑が目にしみるほど素晴らしい景色でした。
25042010_06_トッレキアラ・城の外観_005 25042010_09_トッレキアラ・城の外観_006 25042010_07_トッレキアラ・城からの景色_001

お城の中に入るとたくさんの部屋はフレスコ画で覆われています。それも、すべて明るいイメージのフレスコ画で、暗い宗教画や戦争の絵は一つもありません。インターネットの情報では、地震による被害でフレスコ画を修復中とありましたが、もう、修復は終わっているようで全部を観賞することが出来ました。また、オペラの衣装も飾られていて、アイーダのエジプト衣装や蝶々夫人の着物も展示されていました。ここは何から何まで平和なムードで包まれています。建物のポルチコで囲まれた中庭には、井戸があります。建ててから600年以上も建つのに、中庭から建物を見てもほとんどダメージがありません。本当に綺麗なお城です。これまで見てきた中世のお城の中でも一番綺麗でした。
25042010_08_トッレキアラ・城の内部_001 25042010_08_トッレキアラ・城の内部_006 25042010_08_トッレキアラ・城の内部_011
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トッレキアラは、パルマの南15キロのところにあります。平日・土曜日には、パルマの駅前からTEPバスで30分(料金2.35ユーロ)の位置です。但し、日曜日のバスは1日に2本しかありません。従って、この日は、パルマへの戻りのバスの時間に合わせて、タクシーで行くことにしました。タクシーなら20分で着いてしまいます。但し、料金は30ユーロ弱でしたので、バスの10倍以上です。パルマから平地を抜けて最初の山の上のお城ですから、写真でわかるように、かなり遠くから山の上のお城が見えます。遠くから見てもとても綺麗なお城です。

パルマに近い観光地ですから観光客も多く、お城の周りにはレストランもいっぱいあります。ドライブがてら来ているイタリア人家族が多く、お昼時には、どのレストランも満員でした。でも、この日2本しかないバスでパルマに戻った人は、私以外に誰も居ませんでした。ミラノ辺りから車で来ている人が多いのだと思います。
25042010_09_トッレキアラ・城の外観_005 25042010_09_トッレキアラ・城の外観_007 25042010_11_トッレキアラ・レストラン_002

ミラノとパルマ間は、イタリア国鉄で、2時間間隔で普通列車の直通がありますので、行く時はその列車を使うと便利です。帰りも2時間間隔で普通列車の直通がありますが、その合い間にピアチェンツァ乗換えの普通列車もありますので、ミラノへは1時間に1本の普通列車があります。普通列車なら所要時間1時間半強で料金は片道8.4ユーロです。また、インターシティやユーロスターもありますので、夜の9時過ぎまで問題ありません。
2010-11-17(Wed)

ランゲ

今回は、列車で行くのが難しいピエモンテ州のワイン地帯、ランゲ地方にワインと中世のお城を求めて、ドライブをしてきました。生憎の天気でしたが、車の旅行だったので楽しい旅となりました。ランゲとはこの地方の方言で“水の流れによって作られた深い谷の周りにある「丘」”との意味だそうです。白トリフとワインで有名なアルバがその中心の街です。正確に言うと、アルバを流れているタナーロ川の東側をランゲと呼び、西側(スローフードの発祥の地ブラを中心とする)をロエーロと呼ぶそうです。イタリアの世界遺産暫定リストには“ランゲ、ロエーロ、モンフェッラート及びヴァル・テッリーナの葡萄園”としてあげられていて世界遺産への登録を期待されています。今回は東側を通ってワインで有名なバローロまで行き、西側を通って戻ってきました。車の旅ルートと訪ねた街及びお城は下記の地図を参照してください。残念ながら、時間の関係で最後のBenevelloには行けませんでした。
Langhe Root Map

アスティの街から231号線をアルバ方面に向かい、最初に立寄ったのはゴヴォーネです。ここは10世紀に建てられたお城を中心に小さくまとまった中世の香りの残る村です。但し、現存するお城は17世紀に建て直されたもので、お城と綺麗に整備された庭園がとても美しいところでした。お城からは村とその向こうにある葡萄園で覆われたピエモンテの丘が望めます。この日の最初の村ですが、もう感激してしまいました。
17042010_01_ゴヴォーネ_001 17042010_01_ゴヴォーネ_009 17042010_01_ゴヴォーネ_019

次の村は、メリアーノ・アルフィエリです。この村にも13世紀に建てられたお城があります。城の正面が丘の斜面に面しているので、丘に登ると城の裏側しか見ることが出来ません。しかし、丘の上からの景色は最高です。
17042010_02_メリアーノ・アルフィエリ_003 17042010_02_メリアーノ・アルフィエリ_001 17042010_02_メリアーノ・アルフィエリ_004

タナーロ川を渡り、ランゲ地方に入って最初の村はロッディです。ここには14世紀に建てられた丘の上の小さな城があります。老朽化が進み現在修復中でしたが、予約すれば中に入れます。団体の観光客がガイドさんと中に入るところでしたので、先に、ちょっとだけ見せてもらいました。中には古いフレスコ画が残っています。
17042010_03_ロッディ_005 17042010_03_ロッディ_009 17042010_03_ロッディ_006

午前中、最後のお城は、直ぐ近くのグリンツァーネ・カヴールです。このお城は、領主であるカヴール家が、この城をワインの生産センターにしたので、城の内部はワイン博物館となっています。博物館には中世のワイン製造設備が展示されていて、カフェではバローロワインを飲むことが出来ます。昼食の前に1杯いただきました。
17042010_04_グリンツァーネ・カヴォウル_002 17042010_04_グリンツァーネ・カヴォウル_008 17042010_04_グリンツァーネ・カヴォウル_006

昼食は、ラ・モッラ村のはずれにある葡萄園を見渡せるレストランで黒トリフ(白トリフはシーズン・オフ)とピエモンテ牛、それにバローロワインをゆっくりと時間をかけて至福のひと時を過ごしました。食後はラ・モッラ村のエノテカでお土産のワインを購入して、次のワインの村、バローロへ向かいました。
17042010_05_リストランテ・ボヴィオ_003 17042010_06_ラ・モッラ村_001 17042010_06_ラ・モッラ村_002

バローロの街にもお城があります。10世紀にサラセン人に対する防衛で建てられたお城が起源になっているのですが、その後、13世紀中旬に領主のファッレッティ家の居城となり、度重なる改修を経ていますので、10世紀の面影は全くありません。お城の裏に村で経営しているエノテカがあり、有名なバローロワインを購入できます。
17042010_07_バラーロ_001 17042010_07_バラーロ_002 17042010_07_バラーロ_011

セッラルンガ・ダルバのお城は、丘の上にある天にも聳えるばかりの背の高いお城でした。本日のお城の中で一番立派なこのお城は13世紀に建てられたものです。既に、午後5時を過ぎていたので、残念ながらお城の内部への入場は締め切られていました。城壁に囲まれた城の周りの村には中世の雰囲気が漂っています。
17042010_08_セッラルンガ・ダルバ_001 17042010_08_セッラルンガ・ダルバ_008 17042010_08_セッラルンガ・ダルバ_015

本日最後の村はマンゴです。この周辺で一番高い山の上に城壁で囲まれた村があり、その村の中心の高台にこのお城があります。城の前の広場から見える周りの丘陵地帯は、この日の締めくくりにふさわしい景色でした。
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アルバ、バローロ等の小さな街や村はピエモンテ州クォーネ県に属しています。ミラノからの距離は170-80キロほどですので、実際にはそれほど遠くはありません。イタリア国鉄はアルバに行っているので、アルバには駅がありますが、列車の本数も少ないうえ、最低でも2回の乗換が必要なので、非常に不便です。しかも、乗客が少ないために、アルバヘ向かう列車はバスに振替をしているようです。列車を調べてみると、ミラノからアルバに行くだけで半日はかかってしまいます。また、アルバから小さな村や街へは路線バスを利用することになりますので、更に不便です。アルバ近隣の村やお城を訪ねると、とても、日帰りで戻って来ることが出来ないところなのです。しかし、この地域の美味しい料理とワインは捨てがたく、何とかしたいと考えている人にお勧めできることは、アルバに宿を取って、バスやタクシーでこれらの小さな街や村を回るのが一番良いと思います。
2010-09-23(Thu)

ペスキエーラ・ボッロメーオ

ペスキエーラ・ボッロメーオはリナーテ空港の南に位置している、イタリア人だけの観光スポットです。ミラノに近いこの街は、イタリア人が休日に車を使って家族連れでハイキングにはもってこいのところなのです。ミラノ県下のコムーネであるペスキエーラ・ボッロメーオは、ミラノの新興住宅地でSan Donatoと同じような、あまり歴史を感じない街ですが、コムーネを抜けた先は畑に囲まれた田舎になっていて、畑の中に古い教会のある小さな村があります。その村から杉並木の散歩道を5分ほど歩くと今度はお城が現れます。
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この小さな村周辺は、中世のルネッサンス期において、ミラノの貴族ボッロメーオ伯の領地でした。ボッロメーオの名前は、マッジョーレ湖のボッロメーオ諸島でもおなじみですが、この家系から2人のミラノ司教が選ばれているミラノの名家なのです。ミラノのトリノ通りの裏にも古いボッロメーオ宮があり観光スポットのひとつとなっています。この小さな村には、12世紀に建てられ、17世紀のミラノ司教フランチェスコ・ボッロメーオによって改修された聖コスマ&聖デミアーノ教会があります。この古い教会の裏手にはレストランがありその中庭から眺める教会がとてもきれいです。イタリア人の観光客は、車をこの近くの駐車場において、まず、このレストランの中庭で昼食を取るのでしょう。
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レストランの前には田舎の畑に囲まれた細い並木道があり、たくさんのイタリア人が昼食後の散策をしています。この並木道の先にボッロメーオ城があるのです。この並木道から、後ろには聖コスマ&聖デミアーノ教会、前方には城壁で囲まれたボッロメーオ城が見え、左右には畑が広がっています。まさに、散策には最高の並木道です。ボッロメーオ城近くなると、別の小さな集落と美味しそうなレストランがあり、ここにもイタリア人の家族連れがいっぱいでした。ボッロメーオ城は1432年に建てられた保存状態の良い中世のお城です。城の広大な土地は城壁で囲まれ、城の正面の入り口には、今でも水を湛えた深い堀があり、跳ね橋を渡って城門から城内に入るようになっています。このお城は今でも個人の所有ですので、観光客は中に入ることが出来ません。所有者は、結婚式などのイヴェントにこのお城を貸し出しているようで、そのようなイヴェントがあるときだけ城の中に入れるようです。外側からでは城壁の内側に大きな木が立ち並んでいるので中までは見えませんが、イヴェントに使われるくらいですから、素晴らしい庭を持ち、城内の装飾も素晴らしいのだと思います。また、先ほどの教会もこのボッロメーオ城もライトアップの設備があるので、夜にここを訪れると、教会とボッロメーオ城が浮かび上がり、とてもきれいな光景だと想像出来ます。デートコースとして利用しているイタリア人カップルも多いと思います。
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ボッロメーオ城の正面にはもうひとつの門があり、門とお城の間には、多分、この城の使用人が住んでいたと思われる古い小さな村があります。この古い建物は、既に崩れているところもありますが、まだ一部は現役で人が住んでいました。さすがにイタリアです。
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この小さな村とお城は、ミラノから近隣の街に向かう幹線道路から離れていないのですが、ここに繋がるすべての道は細い並木道ですので、車社会の喧騒をシャットアウトしていてとても静かな地域となっています。イタリア人にとって、ミラノの近場ではありますが、静かな田舎の雰囲気と中世の香りが残っている地域として、少しだけドライブして、日帰りのハイキングが出来る最適な観光地なのだと思います。
この地域へはバス以外の手段で行くことが出来ません。路線バスでペスキエーラ・ボッロメーオの中心部まで行って、そこからこの地域まで歩いて行くことになります。地下鉄M3のSan Donato駅からペスキエーラ・ボッロメーオに行くバス路線は数本ありますが、Milano SudEst TransportiのLinea z411がこの地域の一番近いところに停まります。また、路線によっては高速道路を走って通過してしまうこともありますので、乗るときに運転手さんに“ペスキエーラ・ボッロメーオ”又は“カステッロ・ボッロメーオ”と自分の行きたいことを告げて確認してから乗るようにしてください。料金は地下鉄M3のSan Donato駅から1 1/2 Zoneなので片道1.55ユーロで、所要時間は15分ほどです。路線バスは日曜日の本数が大幅に減りますので気をつけてください。なるべくなら、路線バスを使う時は、日曜日を避けたほうが良いと思います。

2010-09-18(Sat)

ロッカ・ブリヴィオ

エミリア街道をSan Giulianoから更に南に進むとメレニャーノという小さな街がありますが、ちょうど、メレニャーノの街に入る手前にロッカ・ブリヴィオという歴史建造物があります。ロッカとはお城(カステッロ)ほど大きくはない要塞のことです。従って、“ブリヴィオ家の砦”との意味になります。この歴史建造物はエミリア通りから畑の中に5分ほど入ったところにあり、エミリア街道には、ロッカ・ブリヴィオの看板が出ています。
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畑の真ん中にぽつんと建っているのですが、ロッカ・ブリヴィオの周りにだけは、古い建物が並んでいます。それらの建物は、朽ち果てているところもありますが、今でも、一部は住居として使われています。ロッカ・ブリヴィオの入り口には大きな宮殿があり、その宮殿の門を抜けると、この砦の中に入ることが出来ます。砦の中に入ると、この砦が城壁で囲まれているのがわかります。城壁の一画が宮殿であり、宮殿の庭が城壁で囲まれていると言ったほうが良いのかもしれません。このロッカ・ブリヴィオは、現在でも音楽や絵画などのイヴェントに使われています。
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エミリア街道はローマ時代からの古い街道です。もともとエミリア・ロマーニャ州のピアチェンツァからパルマ・ボローニャを通りリミニまで行き、その先はローマへと繋がっていました。その後ピアチェンツァからミラノまで繋がって、ミラノからローマへの街道となりました。今でも、高速道路がその街道沿いに走っています。ミラノの南端に位置しているM3地下鉄のSan Donato駅から、エミリア街道をSan Giuliano、メレニャーノへ行く路線バスがあり、ロッカ・ブリヴィオもこの路線バスの沿線にあります。バス料金はZoneによって違います。San Donato駅はミラノのコムーネ内ですから、ここからの路線バスには地下鉄のチケット(1ユーロ75分有効)で乗車できます。但し、San Donatoコムーネに入ると別料金となります。San DonatoコムーネからSan Giulianoコムーネ間は1 Zoneで料金は1.2ユーロです。従って、San Donato地下鉄駅からロッカ・ブリヴィオまでは地下鉄のチケット(1ユーロ75分有効)プラス1.2ユーロで行くことが出来ます。

ロッカ・ブリヴィオに入るエミリア街道沿いのバス停に、“ランピーナ”という名の大きなレストランがあります。16世紀の建物を改築したレストランで、内装や中庭もすばらしいのですが、ここの伝統的なイタリア料理もなかなかのものです。
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matsuohj (パパロンチーノ)

Author:matsuohj (パパロンチーノ)
2008年10月20日から2010年8月23日までの1年10カ月ミラノに滞在。その期間、北イタリアを中心に115ヶ所の街を訪ねました。それも、ほとんどが公共交通機関を利用したものです。この経験で得た情報を一人でも多くのイタリア好きの人に伝えるためのブログです。

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