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2010-10-31(Sun)

ヴィチェンツァ

ヴェローナとパドヴァの間に位置するヴェネト州ヴィチェンツァ県の県庁がある街です。ヴェローナと同様に、ヴィチェンツァもローマ時代からの古い街です。但し、この街の観光資源は後期ルネッサンス(16-17世紀)の建造物です。16世紀の優れた天才建築家であるアンドレーア・パッラーディオの街とも呼ばれているヴィチェンツァの街並は、1994年に“ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ”として世界遺産に登録されました。その登録名にもパッラーディオの名が記されているように、ヴィチェンツァの主役はパッラーディオなのです。また、昔から今日に至るまで経済的に裕福な街としても有名で、貴金属や宝石の店が多く、今日のブランド店とともに、女性の観光客に人気のある街でもあります。

ヴェローナの次の駅、ヴィチェンツァ駅から5分も歩かないうちに、12,3世紀に建てられたお城と城壁の門を抜けると、そこからはパッラーディオ大通りとなります。名前の通り、この通りにはパッラーディオと彼の弟子によって建てられた宮殿が並んでいます。もちろん、貴金属や宝石の店、ブランド店もこの通りに並んでいます。
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パッラーディオ通りを右に入ると街の中心部で、ヴィチェンツァのドゥオモとその先にシニョーリ広場があります。このシニョーリ広場にパッラーディオの最高傑作といわれているバシリカ、及びヴェネツィア総督府のロッジアがあります。このバシリカは、規模は大きいのですが、同じくパッラーディオが設計したブレーシアのロッジアと良く似ています。この広場にはインフォメーションもありますから観光資料を貰ってください。今でも、ヴェネツィア共和国の面影が強く残っているこの広場は、ローマ時代のフォロの上にあるそうで、地下にはその遺跡が眠っているそうです。但し、世界遺産であるパッラーディオの建物の下にあるのですから、このローマ遺跡は、永久に陽の目を見ることはないでしょう。もったいない話です。
27122009_01_ヴィチェンツァ・街並_012シニョーリ広場 27122009_01_ヴィチェンツァ・街並_013シニョーリ広場 27122009_01_ヴィチェンツァ・街並_014シニョーリ広場

パッラーディオ大通りに戻り、更に進むと、大通りの最後にオリンピコ劇場があります。パルマやサッビオネータにある室内の古代劇場なのですが、やはり、天才パッラーディオの設計だからなのか、ここの劇場はより強く印象に残っています。一見の価値があります。
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オリンピコ劇場の正面に、同じくパッラーディオ設計の宮殿を利用したキエリカーテ宮殿美術館があります。ここの美術館は、所謂ヴェネト派の画家の作品が集められているのですが、それほど大きくなく作品も多すぎず、飽きることなく絵画を鑑賞できます。この美術館の目玉は、18世紀ヴェネト派最後の巨匠と言われたジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロです。彼のフレスコ画だけを集めた部屋があります。見る人の好みもあるでしょうが、パルマ派(コレッジョ)やマントヴァ派(ジュリオ・ロマーノ)に比べるとインパクトは小さいと感じました。
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美術館を出ると、もう一度、ゆっくりと街を歩いてパッラーディオの建物を見直した後、ヴィチェンツァ郊外にあるもう一つのパッラーディオを求めて、田舎道を歩くことにしました。その建物は、街から約1.5キロ、20分弱歩いたところの高台に建っていました。建物はロトンダと呼ばれていて、あのホワイトハウスのモデルになったそうです。この丘の頂点に建つ建物は、丘の下4方向のどこから見ても同じ形をした非常に調和の取れた建物です。パッラーディオの建築はローマ時代の建物のような石柱がポイントとなっていますので、後期ルネッサンスと言うよりもネオ・クラシックなのだと思います。ホワイトハウスだけでなく、ロンドンの有名な建物や日本の国会議事堂でさえもパッラーディオの影響を大いに受けています。そういう意味で、やはり偉大な建築家なのです。
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ミラノからヴェローナまでは普通列車が1-2時間に1本出ていますが、ヴィチェンツァはヴェローナの先ですので、普通列車は朝の7時過ぎにヴェネツィア行きが1本あるだけです。従って、ミラノ中央駅からユーロスターが便利です。ユーロスターは朝7時半から9時半まで30分間隔でヴェネツィア(又はその先)行きが出ています。所要時間は1時間50分で料金は22.5ユーロです。ちなみに普通列車だと所要時間が2時間25分で料金は11.25ユーロですから、便利さを考えるとユーロスターを使うべきだと思います。ミラノへの戻りもユーロスターが1時間間隔(夕方の5時と6時は30分間隔)であります。
ヴィチェンツァ駅からバスも使いませんので、日帰りでも十分に観光の時間が取れます。
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2010-10-31(Sun)

ラヴェンナ

1996年に“ラヴェンナの初期キリスト教建築物群”として世界遺産に登録されたラヴェンナに行ってきました。アドリア海に面した沼地にあったこの街は軍港として、又は商業都市としてローマ時代から栄えていた街です。5世紀初めには西ローマ帝国最後の都となり、その後、東ゴート王国の都を経て、紀元540年に東ローマ帝国のイタリア半島の拠点として栄えました。しかし、その後、東ローマ帝国の衰退とともにラヴェンナの街も衰退して、単なる小さな街になってしまいました。但し、そのおかげで戦乱によって破壊されることもなく現在にその面影を残しているのです。

ラヴェンナは、なんと言っても、現存する東ローマ帝国時代に建てられたビサンチン様式の痕跡を残す初期キリスト教建築とモザイク装飾が有名です。特に、サン・ヴィターレ聖堂のモザイクは、すべてのイタリア観光ガイドとイタリア芸術の本に必ず載っていますので、これ以上の説明は無用だと思います。但し、何度も、写真では見ていたものの実際に見たときには足が震えるほどの感動が押し寄せました。これが5,6世紀の作品であることは、どこかに飛んでいってしまい、ただただ、飽きることなく見入ってしまいます。
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サン・ヴィターレ聖堂はモザイクだけではなく、イタリアには少ないビサンチン様式の8角形の建築や、教会に付属している回廊にあるローマ時代の遺物も素晴らしいのですが、モザイクを見た瞬間に記憶をほとんど失ってしまいました。
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サン・ヴィターレ聖堂の敷地内には、ガッラ・ブラチディアという、覚えるのも読むのも難しい名の霊廟があります。西ローマ帝国のテオドシウス皇帝の娘がガッラ・ブラチディアという名で、彼女が5世紀前半に建てた霊廟です。従って、彼女のお墓ではありません。この霊廟の内面のモザイクも有名で、ガイドブックや初期キリスト教の芸術の本には必ず出てきます。但し、廟の中は暗い上にフラッシュ撮影は禁止なので、目でじっくりと味わうしかありません。
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サン・ヴィターレ聖堂に入るときにラヴェンナのモザイク鑑賞の共通入場券(8ユーロ)を購入できます。入場券には、サン・ヴィターレ聖堂とガッラ・ブラチディアの霊廟の他に2ヶ所の入場券が付いています。一緒に貰った地図を頼りに次のモザイクへ移動です。ラヴェンナのドゥオモはもともと5世紀に建てられたのですが、現在は18世紀に建て直されたものです。そのドゥオモの洗礼堂は、5世紀の建物がそのまま残されていて、その洗礼堂の内部にも当時のモザイクを見ることが出来ます。最初に見たサン・ヴィターレ聖堂のモザイクの衝撃が大きすぎて、このあたりでは、少々、モザイクに麻痺してきました。
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最後のモザイクはサンタポリナーレ・ヌォーヴォ聖堂です。ここは東ゴート族の皇帝によって6世紀前半に建てられたのですが、東ローマ帝国がこの地に入ったときに、内面に描かれていた彼らの一族の絵を取り除いて、現在見ることが出来るモザイクに改装したそうです。ですから、この聖堂は長方形の建築でビザンチン様式ではありませんが、他のイタリアの教会の建築とも違います。東ゴート族はアリウス派だったとのことなので、彼ら独自の教会を持っていたのでしょう。
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神曲で有名なフィレンツェ出身のダンテはラヴェンナを安住の地として、1321年に亡くなり、ラヴェンナのサン・フランチェスコ教会に彼の霊廟があります。モザイクの影に隠れて、この霊廟を訪ねる人は少ないようです。ドゥオモからサンタポリナーレ・ヌォーヴォ聖堂に向かう途中、偶然にも団体観光客が写真を撮っていたので気がついたくらいです。
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ラヴェンナから5キロほど離れた港町のクラッセに、もう一つ、モザイクで有名なサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂があります。しかし、4つのモザイクを見るとクラッセまで足を伸ばす気持ちにはなれませんでした。それにしても、サン・ヴィターレ聖堂のモザイクは感動的でした。実は、もう一度この感動を味わいたくて、半年後に、もう一度ここに来てしまいました。2度目にもかかわらず、また感動してしまいました。
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ミラノ・ロゴレドからボローニャまでは、普通列車で2時間35分かかりますが、ミラノ中央駅からユーロスターでボローニャに行くと、わずか1時間5分で着いてしまいます。ボローニャからラヴェンナまでは2時間間隔で普通列車があります。所要時間は1時間20分で料金は6.2ユーロです。従って、日帰りでラヴェンナに行くのなら、ミラノからユーロスターでボローニャに行き、そこから普通列車でラヴェンナに行くことをお勧めします。ボローニャでの待ち時間も入れて3時間前後でラヴェンナに到着します。ラヴェンナ駅から市街地までは歩ける距離ですので、日帰りでもゆっくり観光できます。但し、ミラノからボローニャまでのユーロスターの料金は41ユーロですので、ちょっと高くつきます。
ラヴェンナからの戻りは、午後のボローニャ行きの普通列車は1時間間隔ですから、ボローニャからのユーロスターを決めて、それにあわせた列車に乗れば良いだけです。ボローニャからミラノへは1時間間隔に夜10時過ぎまでユーロスターがあります。
2010-10-30(Sat)

サクラ・ディ・サン・ミケーレ修道院

大天使ミカエルを拝した修道院は、イタリアからフランスに繋がるスーサ渓谷を見下ろす標高962メートルの山の頂上にあります。トリノの東42キロにあるこの修道院へは、トリノから列車に乗って30分弱のアヴィリアーナまで行って、そこから、タクシーで山の頂上まで行くしか方法がありません。しかし、今回は、ミラノから車を出してもらえることになり、約3時間のドライブで行くことが出来ました。

この修道院は紀元983から987年の間に建設されて、もともとはベネディクト会修道院の総本山でした。12世紀にはその影響力が頂点に達して、全ヨーロッパに及ぶ140の修道院を傘下に納めて、ここにも100人以上の修道僧がいたそうです。有名なモン・サン・ミッシェルもその一つで、同じ建築家によって建てられたので良く似ているそうです。サヴォイア家の支配下に入った1622年に、経済状況の悪化により修道院は閉鎖されて、廃墟となっていました。しかし、1836年に聖職者であり哲学者としても有名なアントニオ・ロスニーニに譲られ、それ以降、彼の宗教組織であるロスミニアンの修道院となっています。
この修道院が建っているのは岩山の頂上です。駐車場から登り道を歩くとその全貌が目に飛び込んできて思わず歩きを停めて見入ってしまうほどの迫力があります。
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建物は山の岩を巧みに利用していますので、修道院の中も外もところどころに自然の岩肌が露出しています。従って、とても頑丈に出来ているようです。10世紀後半に建てられた“悪魔の階段”と呼ばれるロマネスク様式の建物がこの建物の一番下の部分で、その上に12世紀から17世紀に渡って度々改修されたゴシック様式の建物が建てられています。建物全体を下から眺めると天にも聳えるばかりの高さを感じます。
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教会の中に入ると、16世紀に描かれたフレスコ画があり、教会の周りには初期(10世紀)建物の遺構が残されています。これらの遺構は戦時中に爆撃のターゲットとされて破壊されたものです。但し、教会の地下部分には、まだ食物の貯蔵庫や井戸が残されています。
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修道院に入るには入場料金(4ユーロ)が必要です。入場口から観光用のルートが示されていますのでそれに沿って進めばすべてを見ることが出来ます。また、ところどころに展望台があり、そこから360度の素晴らしいパノラマが望めます。この日は、生憎の曇り空でアルプスまでの展望は望めませんでしたが、それでも標高962メートルからの展望は圧巻です。この修道院の外観も素晴らしいのですが、ここからの眺めもそれに負けていません。何故か、受付には日本語の説明書が用意されていますので日本人の観光客も来るのでしょう。一周するには少なくとも2時間は必要です。
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トリノの直ぐ近くなのですが、ここは山々に囲まれた自然豊かなところです。アヴィリアーナの街周辺には2つの湖があり、その近くの丘の上にはお城も見えました。トリノと違って、ここにはゆっくりとした時間が流れています。できれば、その中に浸りゆっくりとしたいところでもあります。
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今回は、ミラノから車で3時間掛けてここまで来ましたが、公共交通機関を利用して、ミラノから日帰りはかなり難しいと思います。トリノから列車で約25分のアヴィリアーナ(片道2.2ユーロ)までは、ミラノ中央駅からだとトリノ乗換を入れて3時間以上はかかると思います。加えて、アヴィリアーナ駅からタクシーを半日チャーター(100ユーロ弱必要?)しないと行くことが出来ませんので、経済的にもお勧めできません。ですから、ここは、トリノをベースに観光するのがベストだと思います。トリノからなら、半日又は1日のツアーがあると思います。また、1週間パスを使って、列車で来ても良いかもしれません。
2010-10-30(Sat)

フィレンツェ

ピサから花の都フィレンツェまでは1時間強でした。この日は、連れの人たちをウフィツィ美術館に連れて行き、その後、夜のミラノ行きユーロスターまで3時間ほど一人で花の都を歩きました。当然ながら、とても、街中を歩き回る時間はありません。フィレンツェにはこの日を含めて数回来ていて主要な観光地は既に訪ねています。従って、歩き回るにしても、観光よりもどちらかというと街の雰囲気を味わうことに趣をおきました。

いつ来てもフィレンツェの街は観光客で溢れています。この街には、それだけの理由があります。ルネッサンスの街と呼ばれるところはいくつかありますが、フィレンツェに肩を並べることが出来るところはありません。この街は別格なのです。イタリア旅行の目玉は、ローマ・ヴェネツィア・フィレンツェと言われますが、この3都市は、世界中の観光地の中でも別格だと思います。この街に来るたびに、絶対に通るところはサンタ・マリア・ノッヴェーラ教会前の大きな広場(イタリア統一広場)です。ここはフィレンツェの玄関であり、最後の別れの場所でもあります。何回も来たこの広場には愛着を感じます。
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サンタ・マリア・ノッヴェーラ教会前からドゥオモまでとドゥオモとシニョーリ広場の間は、相変わらずすごい人です。今回は、ウフィツィ美術館からシニョーリ広場に戻るとヴェッキオ宮殿が開いていましたのでそこを覗いた後に、ポンテ・ヴェッキオを渡り、ピッティ宮殿まで歩きました。観光客の波はここまでずっと続いていました。
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観光客の少ないアルーノ川沿いの道は気持ちが良いのでいつも歩きます。この日は、ポンテ・ヴェッキオからシニョーリ広場の先まで川沿いを歩いて、そこから旧市街の細い路地を通ってサンタ・クローチェ教会まで行きました。この頃には、日も沈んで夕暮れの教会がとても綺麗でした。このあたりの路地裏には古い革屋さんがたくさんあります。ここでもバッグや靴等の革製品は高価なのですが、ブランド街とは違う下町の雰囲気が残っていて歩くのが楽しいところです。
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また、ドゥオモに戻りドゥオモ内を見学した後、今度は北方向に進み、サン・ロレンツォ教会の横からメディチ家礼拝堂がある裏通りに入ります。ここはフィレンツェの市場(メルカート)がある通りで、いつも安い露天商が並んでいます。初めてフィレンツェに来たとき、ホテルがこの直ぐ近くでしたので、懐かしさを感じる通りでもあります。
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ほんの3時間の街歩きでしたが、フィレンツェの雰囲気を充分に味わえました。もしフィレンツェをじっくりと見たいなら、少なくとも2,3日は必要です。どんなに時間がない人でも、絶対に見なくてはいけないのはウフィツィ美術館です。ここも原則として予約制なのですが、列に並んでいれば予約なしでもほとんど入れます。ここにはルネッサンスが詰まっています。他にも見所はいっぱいありますが自分の行きたいところを自分で選んで行くことをお勧めします。また、フィレンツェから、ピサ、シエナ、サン・ジミニャーノ、ルッカ、アレッツォ、アッシジ等へ日帰りツアーも出来ますので、この周辺だけで1週間くらいの旅を計画してみてはどうでしょうか。

フィレンツェまでは、ミラノ中央駅から1時間間隔でユーロスターがあります。今や、所要時間も1時間45分ですので、お金さえあれば、簡単に行くことが出来ます。但し、料金は片道52ユーロとちょっと高価です。でも、日本に新幹線に比べればずっとお得です。
2010-10-30(Sat)

ピサ

ミラノから、ジェノヴァ(リグーリア州)及びピサとフィレンツェ(トスカーナ州)と周る1泊旅行をしました。但し、一緒に旅をした人(日本からの旅行者)たちは、フィレンツェでもう1泊したのですが、次の日から仕事があったので、彼らをウフィツィ美術館に送り届けて、一人でフィレンツェを駆け足で周って、その日の夜にミラノに戻ってきてしまいました。ジェノヴァは報告済みなので、今回はピサだけの報告です。

1泊した後、ジェノヴァを朝の8時前に出るインターシティでピサ・チェントラーレ駅に到着したのはまだ10時過でした。ミラノは肌寒い霧に包まれた11月中旬でしたが、ピサはセーターも要らないくらいです。駅に着くと観光客がいっぱいで、ほとんどの観光客がフィレンツェから列車で来ているようです。駅のタバッキでミラーコリ広場までのバス・チケット(片道1ユーロですが往復分を買いましょう)を購入して、駅前から出る観光客でいっぱいのバスに乗りミラーコリ広場へ向かいます。観光客は、ほぼ全員がミラーコリ広場に行きますので、その流れに乗れば良いだけなので何も心配は要りません。7,8分で城壁の前の広場に到着して、直ぐに城壁の門を潜って中に入りますと、やはり、最初に目に飛び込んでくるのがピサの斜塔です。斜塔の前で写真では、毎度おなじみの、斜塔を支えるようなポーズで写真を撮っている観光客でいっぱいです。日本人だけではなく世界中の人が同じポーズで写真を撮っていましたので、安心して、同じポーズで写真を撮りました。
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本当は、ここに着いたら直ぐにチケット売り場に行くべきなのです。斜塔の入場券(15ユーロ)は予約制なので、早く買わないと入場時間が遅くなります。でも、観光客が多い割には、30分後の入場券を直ぐに購入できました。平衡感覚を失うくらい傾いている斜塔に登るのはなかなか味わえない経験です。それに、斜塔の上から、ドゥオモや洗礼堂を上から見る景色とその先にあるトスカーナ地方の田園風景もなかなかのものです。
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ピサのドゥオモは、さすがに4大海洋都市国家のひとつだったピサだけあって、非常に立派です。でも、残念ながら内部は撮影禁止でした。
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ドゥオモの正面には洗礼堂があります。ここは入場料(5ユーロでした)を取られますので、内部の撮影も問題ありません。しかし、斜塔とドゥオモを見た後では、それほどの感動はないかもしれません。5ユーロの価値はないですね。
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ピサの観光の目玉は、斜塔、ドゥオモと洗礼堂です。この3つの歴史的な建物が城壁内にバランス良く建てられています。全部が白い大理石で出来ていて、ロマネスク建築ではありますが、ピサ・ルッカ様式と呼ばれている連続回廊アーチ構造が印象的な綺麗な建物です。この建物群を見るだけで、観光客は大満足すると思います。但し、観光客が多すぎます。それに、観光客目当ての土産物屋もすごくいっぱいあります。ですから、何となく、さっさと観光して、さっさと帰りたくなってしまいます。広場でゆっくりカフェを飲むような雰囲気ではありません。それに、入場券が高すぎます。そんなわけで、最小限の観光だけして、駅に戻り、次の街のフィレンツェに向かいました。

今回は、ジェノヴァから西リヴィエラ海岸沿いにチンクエ・テッレを通過して、ピサに入りました(インターシティで2時間半、16ユーロです)が、ピサに来ているほとんどの観光客はフィレンツェから普通列車を使用しています。フィレンツェ・ピサ間は1時間に2~3本の普通列車があり、所要時間は1~1時間20分ほどで、料金は5.8ユーロとなります。本数が多いので時間を気にする必要もなく非常に便利です。他にバスもあるようです。また、フィレンツェから半日と1日のバス・ツアーもありますので、フィレンツェ滞在ベースで計画したほうが良いと思います。ミラノ中央駅からユーロスターでフィレンツェに行き、ピサに行くことも出来ます。この場合は、片道3時間15分~3時間半が必要です。料金はフィレンツェまでが52ユーロでそれに加えて5.8ユーロの普通列車料金となります。
2010-10-29(Fri)

パルマ

パルマハムとパルミジャーノ・レッジャーノ・チーズで有名なエミリア・ロマーニャ州にある人口17万人の大きな街、パルマです。でも、それだけではありません。パルマの歴史地区は世界遺産の街に引けはとりません。また、ヴェルディを初めとする音楽家やコッレッジョ、パルミジャニーノに代表されるパルマ派の画家たちが生まれた芸術の街でもあります。この歴史と文化が融合した街は、お気に入りの街のひとつで、何度でも来たくなるところです。実際に、パルマ駅で降りた回数は5回を越えています。
パルマ観光は午前中が勝負です。この日(2度目のパルマ)も朝の9時前にパルマに到着しました。毎週土曜日には、駅前からピロッタ宮殿までの通りは露天商が並んだ街頭市となっています。生ハムやチーズはもちろんのこと生活用品、服や靴まで売っています。街頭市の中はパルマの人と観光客で溢れかえって、活気が漲っています。
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ピロッタ宮殿を通り越して、カフェやお店の並ぶ旧市街を真直ぐに進み、ドゥオモ広場に出ました。この広場はガランとしていてカフェもありません。ここまでの道筋と対照的に、急に静かな神聖な雰囲気を感じます。このドゥオモ広場には大理石のファサードが美しいロマネスク様式のドゥオモとピンクの大理石で造られた洗礼堂が静かに建っています。この広場はこれだけで十分なのです。他に何もいりません。
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広場には何組かの観光客の団体が固まって静かにガイドさんの話を聞いています。その団体を横目にドゥオモの中に入りました。ドゥオモの採光塔(クーポラ)のフレスコ画は、パルマの画家コレッジョの作品です。ロンバルディア・ロマネスク建築の傑作といわれるドゥオモを更に印象付ける素晴らしいフレスコ画でした。
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ピンクの八角形の洗礼堂は素晴らしく調和が取れている建物です。洗礼堂の入口上部(タンパン)の彫刻はみごとです。すべての入口にある彫刻をじっくりと見てから、内部に入りました(博物館との共通券で4ユーロです)。内部は聖人を描いたフレスコ画と彫刻で周囲を覆われ、神聖な雰囲気に包まれていて、カトリックの人なら最高の洗礼を受けられるのではないかと感じました。共通券でカバーされているドゥオモ広場のデオセザーノ博物館には、この広場の地下で発掘されたローマ時代の遺物が展示されています。
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素晴らしいドゥオモと洗礼堂を見た後では忘れそうなのですが、ドゥオモの裏にある聖ジョバンニ・エヴァンジュリスタ修道院にも足を運びましょう。数人の尼さんが修道院回廊からその横に建っている大きな教会に入って行くのを見て、その後を追って教会に入りました。ここの採光塔でもコレッジョの素晴らしいフレスコ画を見ることが出来ました。
10102009_10_パルマ・聖ジョバンニ修道院_01 10102009_10_パルマ・聖ジョバンニ修道院_03 10102009_10_パルマ・聖ジョバンニ修道院_06

パルマの旧市街と駅の途中に、先ほど素通りしたピロッタ宮殿があります。この宮殿の中には「芸術のパルマ」が詰まっています。入場券(6ユーロ)を買うと、宮殿の中にある大きなファルネーゼ劇場を見ながら国立絵画館へと導かれていきます。この絵画館には、所謂、パルマ派と呼ばれる画家たちの作品が数多く展示されています。特に、パルミジャニーノの「トルコの女奴隷」は必見です。ダ・ヴィンチのめずらしい作品も見なくては損です。但し、ファルネーゼ劇場と国立絵画館は、残念ながら写真撮影が出来ません。ですから、この感動を忘れないように最後にある売店で記念となる絵葉書、画集等のお土産を購入している観光客がいっぱいいました。誰もが考えることは一緒です。
10102009_15_パルマ・ピロッタ宮殿_01 10102009_15_パルマ・ピロッタ宮殿_10 10102009_19_トルコの女奴隷
国立絵画館は午後1時45分で閉まってしまいます。ドゥオモと洗礼堂もお昼の12時半から午後3時まではお休みです。ですから、パルマ観光は午前中が勝負なのです。国立絵画館の見学が終わったら、ガリバルディ広場界隈で美味しいパルマの生ハムとチーズでお昼としてください。パルマでは単に広場というと、ドゥオモ広場ではなくガリバルディ広場を指します。この大きな広場はパルマの中心を走るマンツォーニ大通りを挟んだ両側にあります。たくさんの人と車は、ここが人口17万人の大都会であることを実感させてくれます。生ハムやサラミの有名な店、レストラン、カフェ、デパート等がこの周辺に固まっています。広場の直ぐ近くに、ナポレオンの皇后であるマリア・ルイーザが建てたパルマのオペラの殿堂、テアトロ・レージョもあります。食事の後は、この界隈でショッピングするのも良いでしょう。但し、駅前の街頭市は午後にはもう終わっています。
10102009_13_パルマ・ガリバルディ広場_03 10102009_13_パルマ・テアトロレジョ_01 10102009_14_パルマ・ガリバルディ広場近く_02

もっとパルマの街を楽しみたい方には、ピロッタ宮殿から川を渡った先のドゥカーレ公園に行くのが良いと思います。ここには16,7世紀に建てられたドゥカーレ宮殿と緑豊かな大きな公園があります。パルマの住人の憩いの場です。生ハムとチーズのパニーノと飲み物を買って、この公園のベンチに座ってランチも気持ちが良いと思います。
10102009_16_パルマ・トッレンタ川_02 10102009_17_パルマ・ドゥカーレ宮殿公園_02 10102009_17_パルマ・ドゥカーレ宮殿公園_03

パルマへはミラノ・ロゴレドから普通列車とインターシティ(IC)が、朝の7時台に2本、9時代から1時間に1本出ています。所要時間は1時間20~30分で、料金は、普通列車なら8.4ユーロ、ICなら14ユーロです。上記のように午前中が勝負ですから、早起きして7時台の列車に乗りましょう。そうすれば9時前にパルマに着きますので、午後1時45分までに、ドゥオモから国立絵画館まで観光することができます。帰りは、普通列車(8.4ユーロ)が2時間間隔、その合間にIC(14ユーロ)とユーロシティ(19ユーロ)があり、ミラノ方面に1時間に1本以上の列車があります。好きな列車で戻ってください。但し、ユーロシティはロゴレド駅には停まらずにミラノ中央駅行きとなります。
2010-10-29(Fri)

シルミオーネ

シルミオーネはガイドブックにも載っている有名な観光地です。ロンバルディア州ブレーシア県に属しますが、それよりもガルダ湖の南岸から湖に突き出た半島の先と言ったほうがわかると思います。実は、半島から橋を渡ってシルミオーネに入るので、半島の先の島と言ったほうが正確です。ガルダ湖は他の北イタリアの湖と同様に氷河によって造られた湖です。氷河期にアルプスを出発した氷河が周りの山々を削りながらここまで流れてきて、ここで停まり、ここから川になってロンバルディ平野を流れていきました。氷河に削られた湖の周りの山々は、湖のふちまで迫って独特の景観を創りだしています。人間はローマ時代からここに別荘を造りこの美しい景観を楽しんでいました。即ち、この自然が造り出した今も変わらない美しい景観は、ローマ時代から現在まで人々にまで愛し続けられ、2000年以上の間、シルミオーネを国際的な観光地として保ち続けているのです。
04102009_02_ガルダ湖_05 04102009_03_スカラ家の城塞_02 04102009_08_ローマ遺跡_01 04102009_08_ローマ遺跡_24

デセンツァーノ駅前からのバスは半島の最先端まで連れてきてくれます。目の前の橋の先にヴェローナの領主であったスカラ家の城砦があります。橋を渡ったところからシルミオーネの街が始まり、島の先端にある温泉とローマ遺跡まで繋がっています。城砦の広場にはたくさんの観光客をもてなすカフェとレストランが並んでいます。街のメインストリートも観光客で溢れ、両側にある土産物屋、カフェ、ジェラテリア等も商売繁盛です。さすがに国際的な観光地です。でも、お城と観光客から目を離して冷静に周りを眺めると、ガルダ湖と周りの山々の景色がとても素晴らしいことに気がつきます。青い湖と全く同じ色の青空の間に、境界線のように遠い山々が見えます。大きなガルダ湖ならではの絶景です。シルミオーネは、観光客が多いから有名なのではないのです。やはり、2000年前から変わらない美しい景色があるから有名な観光地なのです。
04102009_03_スカラ家の城塞_04 04102009_04_シルミオーネ街並_02 04102009_04_シルミオーネ街並_03

シルミオーネでも、広場やメインストリートから、ちょっと裏の路地に入ると静かな田舎街の雰囲気も味わえます。古い教会も田舎の教会らしく小さくて風情があります。
04102009_05_SMマッジョーレ教会_01 04102009_05_SMマッジョーレ教会_06 04102009_06_シルミオーネ街並_01

街の喧騒を抜けると緑豊かな公園があり、超高級ホテルと有料の大きな温泉設備があります。公園の緑の小道を更に進むと、湖の脇に温泉が湧き出ていました。ここは無料の小さな温泉です。ここではお母さんと子供が足湯を楽しんでいました。
04102009_07_テルメ・温泉_04 04102009_08_五つ星ホテル_01 04102009_10_温泉場_03

更に島の先端に歩いて行くと、島先端の小高い丘の上にローマ遺跡があります。それほど期待をしていなかったのですが、期待を大きく上回る素晴らしい大きな遺跡でした。このローマ時代のヴィラはお金持ちの貴族の別荘だったでしょう。温泉を取込んだ大きな浴場跡まであります。保存状態もすごく良く、ローマ時代の栄華を感じることが出来ます。それに加えて、この遺跡からの景色が最高です。このお金持ちのローマ人は、シルミオーネで一番景色の良いところに自分の別荘を建てたのです。
04102009_08_ローマ遺跡_10 04102009_08_ローマ遺跡_17 04102009_08_ローマ遺跡_19
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ガルダ湖はミラノのレジャー基地及び保養地として現在も人気があります。ガルダ・ランドというテーマパーク(ペスキエーラ駅下車)は、いつもたくさんの家族連れと若者たちで賑わっています。そんなガルダ湖の遊覧船の中心基地であるデセンツァーノ駅がシルミオーネに行く中継点です。デセンツァーノ駅前から、土・日曜祝日でも1時間間隔で走るブレーシア・ヴェローナ間路線バス(Transporti Brescia Nordバス)のヴェローナ行きに乗って、所要時間約20分でシルミオーネ入口の広場に到着します。料金は片道1.65ユーロで、チケットはデセンツァーノ駅構内のタバッキで購入できます。又は、デセンツァーノ駅から港まで15分ほど歩き、ガルダ湖の遊覧船に乗ってシルミオーネに行くことも出来ます。行きはバスで、帰りを遊覧船でも良いでしょう。デセンツァーノの街も観光地ですから港の周辺を歩くとガルダ湖の景色とショッピングを楽しむことが出来ます。
ミラノからデセンツァーノは、ミラノ中央駅からヴェローナ行きの普通列車又はヴェネツィア行きのユーロスターが便利です。朝9時35分までなら両方あわせて1時間に1~2本あります。所要時間は普通列車なら1時間25分、ユーロスターなら1時間です。料金は普通列車が6.95ユーロでユーロスターは16.5ユーロとなります。ミラノへの戻りは、午後には普通列車が1時間に1本あり、ユーロスターも2時間に1本あります。
2010-10-29(Fri)

ボッビオ

ボッビオは、イタリアの「最も美しい村」に選ばれている街です。ピアチェンツァとジェノヴァを真直ぐに引いた線上に、ピアチェンツァから距離で1/3くらいのところにあるエミリア・ロマーニャ州・ピアチェンツァ県の人口3700人余りの小さな街です。ヴァル・トレッビア(トレッビア渓谷)にあるこの街は、周りを山々に囲まれ、ポー川の支流のトレッビア川が流れている美しい自然環境に加えて、聖コロンバーノ修道院、ローマ時代起源の古い橋、11~12世紀に建てられた教会、13世紀の城と村の周りの城壁等、観光名所が小さな地域に詰め込まれています。
この村はローマ時代からジェノヴァとピアチェンツァを結ぶ街道の中継点として塩の交易で栄えていたのですが、この村の歴史は7世紀初めにアイルランドから来た聖コロンバーノが、地域の司教にこのボッビオを与えられて修道会を設立した時から始まっています。実際には、彼の死後に弟子たちが修道院を建てたそうです。修道院は、まもなく大勢の修道士を抱えて、農業、酪農に加えて宗教や医療の研究等、幅広く活動して、直ぐにこの地域の生産拠点として地域の発展に寄与しました。また、トレッビア川を利用した輸送により、その販売網を北イタリアの各地に広げて大きな経済力も得ました。10,11世紀には最盛期を迎え、宗教においても北イタリアの中心となりボッビオ司教区として認定されて、街の周りには城壁も造られました。ドゥオモを初めとした建物もこの頃に建てられて、この街の骨格が出来上がっています。学問においても、農業、医療の知識の集積地となり、同時に、修道院には写字室を備えていて、ここで作られた羊皮の写本はイタリア各地に行き渡り、今でも各地の博物館に保存されています。即ち、この頃、ボッビオの聖コロンバーノ修道院は北イタリア全域に影響力のある規模になっていたのです。しかし、この街の最盛期は長く続かず、13世紀にピアチェンツァ領主のマラスピーナ家支配下に入って衰退に向かい始めました。修道院の知識も写本によって各地に分散されたことにより、修道院はその優位性を徐々に失い、15世紀の拡張事業を最後に収束に向かいます。ピアチェンツァから乗ったバスはトレッビア渓谷に沿ってイタリアの田舎村をいくつか寄道しながらボッビアに10時過ぎに到着すると、この日は街頭市が出ていて小さな街の周りには車がいっぱい停まっていました。
03102009_10_ボッビオ・ポンテ・ヴェッキオ_06 03102009_10_ボッビオ・ポンテ・ヴェッキオ_17 03102009_02_ボッビオ・街並_03

街の中心にある聖コロンバーノ修道院の周りとドゥオモ広場は街頭市で大賑わいです。街頭市を避けるように聖コロンバーノ修道院に入り、一部に残るロマネスク建築と15世紀に拡張された建物を見学しました。7世紀頃は修道院以外に何もなかったのでしょうが、徐々に周りに人が住むようになり、10世紀頃から現在に至るまで、この街はこの修道院を中心に動いているようです。
03102009_02_ボッビオ・街並_08 03102009_03_ボッビオ・聖コロンバーノ修道院_02 03102009_03_ボッビオ・聖コロンバーノ修道院_11

修道院の裏側には12世紀に建てられた小さなサン・ロレンツォ教会があります。中に入ると外の喧騒と完全に隔離されていて、静かに聖母マリアに祈りを捧げている人がいました。
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街頭市に沿って進むとドゥオモ広場に出ます。ここには、この街の最盛期である11世紀に建てられたドゥオモがあります。当時の栄華を忍ばせるように堂々とした建物で、祭壇の壁と天井に描かれたフレスコ画は見事なものでした。
03102009_06_ボッビオ・ドゥオモ_01 03102009_06_ボッビオ・ドゥオモ_03 03102009_06_ボッビオ・ドゥオモ_05 03102009_06_ボッビオ・ドゥオモ_12

聖コロンバーノ修道院の先の小高い丘の上に、13世紀、ピアチェンツァの領主であるマラスピーナ家が建てたマラスピーナ城があります。城の内部は公開されていませんでしたが、城の周りの公園から、ボッビオの街全体を見渡せます。新しい支配者のお城は、防衛のための城ではなく、街(修道院)を警戒するために建てられたのでしょう。
03102009_08_ボッビオ・マラスピーナ城_02 03102009_08_ボッビオ・マラスピーナ城_04 03102009_08_ボッビオ・マラスピーナ城_05 03102009_08_ボッビオ・マラスピーナ城_24

城の丘から降りて、今度はトレッビア川に向かいました。ドゥオモからトレッビア川に向かう街並は中世の香りが一番強く残っているところです。石畳の道の両側は石垣と石を積み上げて造った家が並んでいます。川からの水を取り込んで水車を回している家もあります。街頭市で賑わっている広場と違って、さすがに「最も美しい村」に選ばれただけのことはあって、街の小さな路地裏はとってもきれいでゴミも全くありません。イタリアの田舎の街に来たら、歴史的な建物や周りの美しい景色だけでなく、静かな路地裏を歩くことを忘れてはいけません。歩きながら中世と変わらない雰囲気に浸っていると、そこに中世と変わらない生活が見えてきます。
03102009_07_ボッビオ・街並_11 03102009_07_ボッビオ・街並_13 03102009_09_ボッビオ・街並_01
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トレッビア川に出ると、そこにはローマ時代起源の古い橋が架かっています。この橋は蛇のようにくねっていて、しかも平らではありません。それが古さの証明なのかもしれません。聖コロンバーノがこの地に来たときに、この橋は壊れていて使えなかったそうです。そこで、聖コロンバーノは悪魔(サタン)と契約して、一晩のうちにサタンに修復させたとの言い伝えがあり、それにちなんで「悪魔の橋」と呼ばれているそうです。トレッビア川の清流と周りの自然に、完全に調和しているこの古い橋は旅人の心を癒してくれます。また、橋を渡りながら見えるボッビオの街の眺めは最高でした。
03102009_10_ボッビオ・ポンテ・ヴェッキオ_01 03102009_10_ボッビオ・ポンテ・ヴェッキオ_03 03102009_10_ボッビオ・ポンテ・ヴェッキオ_09
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これまでに、イタリアの「最も美しい村」は、オルタ・サンジュリオとボッビオの2つを訪ねたわけですが、どちらも素晴らしいところでした。観光名所の豪華さと土産物屋の数では劣りますが、「世界遺産」では感じることの出来ない素晴らしさがここにはあります。
03102009_13_ボッビオ・街全景_01 03102009_13_ボッビオ・街全景_03 03102009_11_ボッビオ・街並_03

鉄道駅のないボッビオにはバスでアクセスする以外にありません。エミリア・ロマーニャ州・ピアチェンツァ県にありますので、バスもピアチェンツァ駅前から乗るTempiバスのLinea 17(駅前のロータリーの先のバス停で、大きく“BOBBIO”と行き先が書かれたているバスです)が便利です。日曜祝日は1日に3本しかないので不便ですが、土曜日なら、午前中に2本(8時53分と11時3分)、午後1時からは1時間半に1本あります。所要時間は1時間10分で料金は片道3.7ユーロです。チケットはピアチェンツァ駅構内のタバッキで購入できますので、往復分を買ってください。バスは、綺麗な景色のトレッビア渓谷沿いに途中にある小さな村々に停まりながら進みます。それぞれのイタリアの田舎の村々も非常に興味深いのですが、ボッビオはそれらの村とは美しさの格が違いますので到着すると直ぐにわかります。でも、例によって、運転手さんに着いたら知らせてもらうように頼んでおいてください。バスは、ボッビオの城壁の直ぐ外にある広場に停まります。その広場にはインドメーションがありますから、観光資料はそこで貰えます。

ミラノ・ロゴレドからピアチェンツァまでは普通列車とインターシティがあわせて1時間に1本あります。料金もそれぞれ5.1ユーロと8.1ユーロです。ロゴレドから所要時間50分前後で到着しますから、がんばって早起きしてピアチェンツァを8時53分に出るバスに乗りましょう。そうすれば、ボッビオの街をゆっくりと楽しむことが出来ます。
2010-10-29(Fri)

ローディ・ヴェッキオ

ローディ・ヴェッキオは、名前の通り“古いローディ”、即ち、今のローディが出来る前の街で、田舎風景の中に溶け込んでいる小さな街です。ここもケルト人起源の街で、ローマ時代にはLaus Pompeiaという名前の村でした。名前の由来はあのローマのポンペイウスの父親です。このLaus村は、11世紀からのミラノによる侵攻により大きな被害を受け、1158年にはついに街を焼かれて完全に破壊されてしまいました。そこで、住民は今のローディの場所に街を建てて移住したのです。Laus村は復興しましたが昔の栄華に戻ることはなく、名前もLodi Vecchioとなり、今日では人口7000人の小さな街となっています。
従って、この街はローディより古い歴史はありますが、街は復興後の比較的新しい景観となっています。但し、Basilica dei XII Apostoli San Bassiano(12使途・聖バッシアーノの教会)だけは、街から少しだけ離れていたおかげで破壊されずに残ったので、今でもLodi Vecchioの古い歴史の面影を見ることが出来ます。この教会の起源は古く、古キリスト教時代の378年にLausの司教であった聖バッシアーノによってローマ時代のお墓の上に建てられた12使途を拝した教会でした。聖バッシアーノはミラノの司教であった聖アンブロージョと同じ時代の人で、この教会の完成に当たってはミラノから聖アンブロージョを招待したとの記録が残っています。418年には聖バッシアーノの遺骸がこの教会に納められ12使途と聖バッシアーノ教会となりました。1300年にロンバルディア・ロマネスク建築で再建されましたので、古キリスト教時代の建物は入口の右側にわずかに残るだけです。
27092009_01_サンバスティアーノ教会_02 27092009_02_サンバスティアーノ教会_01 27092009_03_サンバスティアーノ教会_01

ここのロンバルディア・ロマネスク建築は、ロマネスク建築を研究する人たちには有名らしく。インターネットでも取り上げられています。確かに、シンプルなロマネスク建築の代表的な建築で、ミラノのサンタンブロージョ教会と共通点を感じます。残念ながら、教会は開放されていないために中に入ることが出来ませんでした。でも、ロンバルディア平野の畑の中にぽつんとある古い教会はとてもきれいです。イタリア人の団体及び何組かの観光客も来ていて写真を撮っていました。
27092009_03_サンバスティアーノ教会_04 27092009_04_サンバスティアーノ教会_02 27092009_04_サンバスティアーノ教会_03

12使途・聖バッシアーノ教会以外にはこれと言って目立つ観光名所はありません。街の中には、ローマ時代の遺跡がありますが、土台だけの遺跡なのでそれほど興味をそそるものではありません。掘り出したものはミラノとローディの博物館にあるそうです。又、La Chiesa di San Pietroはローディ・ヴェッキオの教区教会で、ベネディクト会の修道院でもありますが、伝説によると327年にローマ時代のお墓の上に立てられた教会がその始まりで、その後9世紀に修道院となりました。現在の建物は、Lodi Vecchioの他の建物と同様に17,8世紀のものです。他に、Le Cascineと呼ばれる中世の農業設備が街の中及び周りに点在しています。廃墟になっているものもあれば、まだ、現役で乳牛を育て酪農をしているところもあります。これらの陽の目を見ていない観光資源を売り出そうと、街にはツアリスト・インフォメーションがありました。
27092009_05_礼拝堂_02 27092009_05_礼拝堂_03 27092009_06_ローマ遺跡_01
27092009_07_古い農家_04 27092009_07_古い農家_02 27092009_09_教会と広場_01

ローディ・ベッキオに行くには地下鉄M3のサンドナート駅構内始発のローディ・ヴェッキオ行きのバス(Lineバス)があります。日曜日も2~3時間間隔であり、所要時間はローディ・ヴェッキオまで約45分です。料金は、片道、サンドナート駅構内からですと2.5ユーロで、サンドナート管轄内のエミリア通りから乗ると2.2ユーロです。12使途・聖バッシアーノ教会は、街の外ですが、街から歩いて数分のところにあります。Le Cascineは街の中にもありますが、いくつかは街から遠いところにあります。田舎の散歩気分で出かけてください。
2010-10-28(Thu)

オルジャスカ、ピオナ修道院

今回はミラノの北、コモ湖の沿岸にある修道院です。コモ湖の周辺には3つの有名な古い修道院があります。一つは先日、大変な思いをしてたどり着いたチヴァーテのサン・ピエトロ・アル・モンテ修道院、次が、余りに遠くて行くことを断念したオッスッチョの山奥にあるサン・ベネディット修道院、そして、今回訪ねたオルジャスカのピオナ修道院です。オルジャスカはコモ湖先端の東岸にある街コーリコの南、コモ湖に突き出た半島にある村です。この村を更に半島先端に向かって進むと、最先端に世俗と隔離されたピオナ修道院があります。3つの中では、山の上ではないので、一番楽に行けるところかもしれません。しかし、最寄の駅から4キロ離れていて、しかも、その区間には公共交通機関が存在しないのです。要するに、4キロの道のりを(車がない人は)歩く以外にはないのです。
26092009_04_オルジャスカ村_02 26092009_05_修道院への道_01 26092009_06_ピオナ修道院入口_01

この修道院は7世紀初めに修道士の共同体を設立したことに始まります。824年のこの区域の修道院リストにその名が入っていることでも確認されています。修道院の教会は10,11世紀前後の初期ロマネスク様式で、石を積み上げた壁に木造の瓦葺屋根でファサードはありません。教会内部のフレスコ画は祭壇部の壁と天井に残っています。また、壁に掛けられた青銅のパネルにキリストの受難が描かれていました。ロマネスク様式の窓の少なくて暗いシンプル教会ですが重い雰囲気があります。
26092009_06_ピオナ修道院入口_04 26092009_07_ピオナ修道院教会_03 26092009_07_ピオナ修道院教会_07

回廊は、教会から100~200年遅れて建てられたようで、後期ロマネスク様式となっています。後期ロマネスクになると芸術性が増して、中庭との調和も良く取れていて、修道院らしい素晴らしい回廊です。回廊の壁にもフレスコ画が残っています。
26092009_08_ピオナ修道院回廊_01 26092009_08_ピオナ修道院回廊_13 26092009_08_ピオナ修道院回廊_04

修道院の周りは整備された公園になっていて、コモ湖と周りの山々の素晴らしい景色を望むことが出来ます。但し、この修道院内には、現在でも修道士が生活していますので、そのエリアには入れません。コモ湖の沿岸にあるアヴェ・マリアの像がとても印象的でした。
26092009_09_ピオナ修道院教会外観_02 26092009_10_ピオナ修道院教会敷地内_02アヴェマリア 26092009_10_ピオナ修道院教会敷地内_10

この修道院には売店があり、修道士が生産したリキュール、ジャム、飴や化粧品等が、修道院のガイドブック、宗教関連の本やグッズと一緒に売られています。公園内にはバールもあり、飲み物やスナックもありますので、ここを訪れる観光客は結構多いようです。外国人の観光客も数人見かけましたが、もちろん、日本人は一人もいません。一緒になった団体客は、1日に1便だけのコーリコからの遊覧船を利用して来ていました。また、修道院入口には観光客用の大きな駐車場があり、車で訪れるイタリア人観光客も多いようです。オルジャスカ村から修道院までは、景色の良い整備された道路が出来ていますので、この村に宿泊して修道院まで散策している観光客にも何人か遭遇しました。しかし、駅から4キロの道のりを歩いて来るような人は余りいないようです。
26092009_10_ピオナ修道院教会敷地内_11売店 26092009_11_帰り道_01 26092009_11_帰り道_04

オルジャスカ村に一番近いイタリア国鉄駅はドーリオ駅です。この駅は、無人の田舎駅で構内にはバールもありません。駅からコモ湖沿岸の車の往来が多い道路に出て、オルジャスカ村まで北方向に約2キロ歩かなくてはいけません。道すがらコモ湖の景色は楽しめますが、途中には歩道がないところもあり、気持ちの良い散策とはいきません。この道から、ちょっとした丘の上にあるオルジャスカ村に入っていくと、登り道ですが、道も狭くなり車の往来も少なく、やっとイタリアの田舎村を散策している気分になれます。オルジャスカ村のコモ湖を見渡せる崖の上には、ホテル、レストラン、カフェ等が並んでいます。人気のない寂れた田舎の観光地の雰囲気が懐かしさを感じさせてくれます。オルジャスカ村からピオナ修道院へは、丘から湖に降りていく整備された綺麗な散歩道が続いていますので、景色を楽しみながらゆっくりと散策すれば良いだけです。駅からは、片道、1時間ちょっとかかりますので、駅に戻るときはその時間を考慮してください。
26092009_02_ドリオ駅_03 26092009_12_ドリオ村_02 26092009_12_ドリオ村_08コモ湖

ミラノからの列車は、ミラノ中央駅からレッコ又はティラーノ行きの普通列車(9時台を除き1時間に1本)が便利です。レッコまで(40分で着きます)行き、乗り換えてコーリコ行き(11時台を除き1時間に1本)に乗ってドーリオまで(55分で着きます)行ってください(ミラノ中央駅からティラーノ行きに乗っても、レッコの次はコーリコまで停まりませんのでドーリオは通過してしまいますから、レッコで乗り換える必要があります)。レッコから10番目の駅がドーリオ駅(コーリコの2つ手前)です。乗換時間を入れてミラノ中央駅から1時間50分で、料金は5.55ユーロです。ドーリオの次の駅は修道院と同じ名前のピオナ駅ですが、この駅からは、湖を迂回しなくてはいけないので歩く距離がもっと遠くなります。ひょっとしたら、この駅から修道院に行く渡し舟があるのかもしれません。もし、あれば、もっと楽に行くことが出来ます。ミラノからレッコまでは、ポルタ・ガリバルディから1時間間隔で出ているLinea Sでも行くことが出来ますが、乗換時間も長くなり、所要時間が2時間20分になってしまいます。
ミラノへの戻りも、ドーリオからレッコまでは1時間間隔で夜7時50分まで列車がありますので安心です。レッコからミラノへは1時間に3本、ミラノ中央駅行きとポルタ・ガリバルディ行きが夜遅くまで出ています。
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プロフィール

matsuohj (パパロンチーノ)

Author:matsuohj (パパロンチーノ)
2008年10月20日から2010年8月23日までの1年10カ月ミラノに滞在。その期間、北イタリアを中心に115ヶ所の街を訪ねました。それも、ほとんどが公共交通機関を利用したものです。この経験で得た情報を一人でも多くのイタリア好きの人に伝えるためのブログです。

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