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2010-10-28(Thu)

オルジャスカ、ピオナ修道院

今回はミラノの北、コモ湖の沿岸にある修道院です。コモ湖の周辺には3つの有名な古い修道院があります。一つは先日、大変な思いをしてたどり着いたチヴァーテのサン・ピエトロ・アル・モンテ修道院、次が、余りに遠くて行くことを断念したオッスッチョの山奥にあるサン・ベネディット修道院、そして、今回訪ねたオルジャスカのピオナ修道院です。オルジャスカはコモ湖先端の東岸にある街コーリコの南、コモ湖に突き出た半島にある村です。この村を更に半島先端に向かって進むと、最先端に世俗と隔離されたピオナ修道院があります。3つの中では、山の上ではないので、一番楽に行けるところかもしれません。しかし、最寄の駅から4キロ離れていて、しかも、その区間には公共交通機関が存在しないのです。要するに、4キロの道のりを(車がない人は)歩く以外にはないのです。
26092009_04_オルジャスカ村_02 26092009_05_修道院への道_01 26092009_06_ピオナ修道院入口_01

この修道院は7世紀初めに修道士の共同体を設立したことに始まります。824年のこの区域の修道院リストにその名が入っていることでも確認されています。修道院の教会は10,11世紀前後の初期ロマネスク様式で、石を積み上げた壁に木造の瓦葺屋根でファサードはありません。教会内部のフレスコ画は祭壇部の壁と天井に残っています。また、壁に掛けられた青銅のパネルにキリストの受難が描かれていました。ロマネスク様式の窓の少なくて暗いシンプル教会ですが重い雰囲気があります。
26092009_06_ピオナ修道院入口_04 26092009_07_ピオナ修道院教会_03 26092009_07_ピオナ修道院教会_07

回廊は、教会から100~200年遅れて建てられたようで、後期ロマネスク様式となっています。後期ロマネスクになると芸術性が増して、中庭との調和も良く取れていて、修道院らしい素晴らしい回廊です。回廊の壁にもフレスコ画が残っています。
26092009_08_ピオナ修道院回廊_01 26092009_08_ピオナ修道院回廊_13 26092009_08_ピオナ修道院回廊_04

修道院の周りは整備された公園になっていて、コモ湖と周りの山々の素晴らしい景色を望むことが出来ます。但し、この修道院内には、現在でも修道士が生活していますので、そのエリアには入れません。コモ湖の沿岸にあるアヴェ・マリアの像がとても印象的でした。
26092009_09_ピオナ修道院教会外観_02 26092009_10_ピオナ修道院教会敷地内_02アヴェマリア 26092009_10_ピオナ修道院教会敷地内_10

この修道院には売店があり、修道士が生産したリキュール、ジャム、飴や化粧品等が、修道院のガイドブック、宗教関連の本やグッズと一緒に売られています。公園内にはバールもあり、飲み物やスナックもありますので、ここを訪れる観光客は結構多いようです。外国人の観光客も数人見かけましたが、もちろん、日本人は一人もいません。一緒になった団体客は、1日に1便だけのコーリコからの遊覧船を利用して来ていました。また、修道院入口には観光客用の大きな駐車場があり、車で訪れるイタリア人観光客も多いようです。オルジャスカ村から修道院までは、景色の良い整備された道路が出来ていますので、この村に宿泊して修道院まで散策している観光客にも何人か遭遇しました。しかし、駅から4キロの道のりを歩いて来るような人は余りいないようです。
26092009_10_ピオナ修道院教会敷地内_11売店 26092009_11_帰り道_01 26092009_11_帰り道_04

オルジャスカ村に一番近いイタリア国鉄駅はドーリオ駅です。この駅は、無人の田舎駅で構内にはバールもありません。駅からコモ湖沿岸の車の往来が多い道路に出て、オルジャスカ村まで北方向に約2キロ歩かなくてはいけません。道すがらコモ湖の景色は楽しめますが、途中には歩道がないところもあり、気持ちの良い散策とはいきません。この道から、ちょっとした丘の上にあるオルジャスカ村に入っていくと、登り道ですが、道も狭くなり車の往来も少なく、やっとイタリアの田舎村を散策している気分になれます。オルジャスカ村のコモ湖を見渡せる崖の上には、ホテル、レストラン、カフェ等が並んでいます。人気のない寂れた田舎の観光地の雰囲気が懐かしさを感じさせてくれます。オルジャスカ村からピオナ修道院へは、丘から湖に降りていく整備された綺麗な散歩道が続いていますので、景色を楽しみながらゆっくりと散策すれば良いだけです。駅からは、片道、1時間ちょっとかかりますので、駅に戻るときはその時間を考慮してください。
26092009_02_ドリオ駅_03 26092009_12_ドリオ村_02 26092009_12_ドリオ村_08コモ湖

ミラノからの列車は、ミラノ中央駅からレッコ又はティラーノ行きの普通列車(9時台を除き1時間に1本)が便利です。レッコまで(40分で着きます)行き、乗り換えてコーリコ行き(11時台を除き1時間に1本)に乗ってドーリオまで(55分で着きます)行ってください(ミラノ中央駅からティラーノ行きに乗っても、レッコの次はコーリコまで停まりませんのでドーリオは通過してしまいますから、レッコで乗り換える必要があります)。レッコから10番目の駅がドーリオ駅(コーリコの2つ手前)です。乗換時間を入れてミラノ中央駅から1時間50分で、料金は5.55ユーロです。ドーリオの次の駅は修道院と同じ名前のピオナ駅ですが、この駅からは、湖を迂回しなくてはいけないので歩く距離がもっと遠くなります。ひょっとしたら、この駅から修道院に行く渡し舟があるのかもしれません。もし、あれば、もっと楽に行くことが出来ます。ミラノからレッコまでは、ポルタ・ガリバルディから1時間間隔で出ているLinea Sでも行くことが出来ますが、乗換時間も長くなり、所要時間が2時間20分になってしまいます。
ミラノへの戻りも、ドーリオからレッコまでは1時間間隔で夜7時50分まで列車がありますので安心です。レッコからミラノへは1時間に3本、ミラノ中央駅行きとポルタ・ガリバルディ行きが夜遅くまで出ています。
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2010-10-28(Thu)

オペーラ、ミラソーレ修道院

また、ミラノに戻ってきました。ミラノの南部のロンバルディア平野の中には3つの名の知れた修道院があります。先に紹介したキアラヴァッレ修道院、ヴィボルドーネ修道院と今回訪ねたミラソーレ修道院です。ミラノの南東10キロにあるオペーラという名の街の北のはずれの穀倉地帯にあります。ここには、ロンバルディア州最大規模の米、酪農農家があります。酪農主体のミラソーレ農場と米の生産主体のモンタルバーノ農場からなっていることから、ミラソーレ・モンタルバーノ農場と呼ばれています。
20092009_01_ミソラーレへの道_01 20092009_04_ミソラーレ修道院外_01 20092009_04_ミソラーレ修道院外_07

ミラソーレ修道院は、ヴィボルドーネ修道院から100年遅れて、13世紀にウミリアーテによって建てられました。ウミリアーテが消滅した後、1582年にこの修道院は所有権をミラノ大学に移されています。その後、1797年にミラノのオスペダーレ・マッジョーレ(病院)に所有権が渡っています。実際に、修道院は16世紀から使われていなかったので、ほとんどが廃墟となっていましたが、1980年に、この修道院を15世紀の状態に戻すべく改修工事が始まりました。既に30年経っていますが、教会と一部の建物が終わっているだけで、まだ改修工事は続いています。オスペダーレ・マッジョーレの医療の歴史に関する古い図書は、既にここに移されていて、将来は、同じくオスペダーレ・マッジョーレの絵画のコレクションもここに移して一緒に管理されることになるそうです。
改修工事が終わって、現在公開されているのは修道院教会だけです。修道院の門を潜って中の敷地の北東の角に14世紀後半から15世紀前半に建てられた“聖母マリア被昇天”の修道院教会があります。単身廊の小さな教会で屋根は木造瓦葺です。横に聳える小さな鐘楼は13世紀に建てられたものが現存しています。内部の祭壇と礼拝堂には、建設当時に描かれたフレスコ画が残っています。
20092009_02_ミソラーレ修道院_04 20092009_03_ミソラーレ修道院教会_03 20092009_03_ミソラーレ修道院教会_06

修道院の中庭と回廊部分は、改修工事が進められていて中に入ることが出来ません。この回廊には、太陽・三日月の中に顔が描かれた彫刻があり、この模様が現在のミラノの紋章の原型だそうです。残念ながら、工事中に付き見ることは出来ませんでした。
20092009_02_ミソラーレ修道院_03 20092009_02_ミソラーレ修道院_06 20092009_04_ミソラーレ修道院外_03

ミラノからバスで、高速道路の環状線の直ぐ内側まで来て、そこから歩いて、高速道路の下を潜って穀倉地帯に入ります。南北に入る高速道路の歩道橋を越え、畑の中にある一直線の並木道を歩いていくとミラソーレ修道院に突き当たります。ミラノは、この高速道路環状線の内側と外側では大違いで、外側は長閑な田園地帯が広がっているのです。並木道ではジョッギングや散歩を楽しむ人が行き交っています。ここには、都会の喧騒はまるでありません。野鳥も人間を警戒することなく自由を満喫していました。
20092009_01_ミソラーレへの道_02礼拝堂 20092009_05_野鳥_02 20092009_02_ミソラーレ修道院_02

ミラソーレ修道院へは、ミラノのATMバス99番が便利です。99番のバスはヴィジェンティーノからリパモンティ通りをオペーラのノヴェラスカまで行っています。ミラソーレ修道院へはノヴェラスカから歩いて行きます。ヴィジェンティーノは地下鉄M3のコルヴェット駅から西に2キロほどのところですので、コルヴェット駅から95番のバスに乗ってリパモンティ通りに出て、そこで99番に乗り換えることになります。又は、ドゥオモから24番のトラムでヴィジェンティーノまで行って乗り換えることも出来ます。料金は、真直ぐに行けば1ユーロ75分の範囲内ですから、1ユーロで最後まで行くことが出来ます。
ノヴェラスカの停留所からは高速道路環状線方向(南)に歩いてください。高速道路の手前を左に曲がり、オペーラのゴルフコースの方向に行きますと、高速道路の下を潜る通路があります。通路を抜けると、急に田舎の田園風景が広がります。そこから高速度道路環状線に沿って西に進むと南北の高速道路があり、歩行者用の立体交差を通って高速道路を越えると1本の並木道があります。後は、その並木道を真直ぐ歩き、突き当りがミラソーレ修道院です。停留所から15分ほど歩けばミラソーレ修道院に着きます。
高速道路の先は自然がいっぱい残っている別世界です。ミラソーレ修道院までイタリアの穀倉地帯の田舎の雰囲気をたっぷり味わえる散策が出来ます。
2010-10-28(Thu)

チヴァーテ、サン・ピエトロ・アル・モンテ修道院

ミラノの北30キロ、コモ湖の“人”の字の右足の先にある街レッコの南西4キロにある人口4000人に満たない小さな街がチヴァーテです。南にはアンノーネ湖が広がり、北側はコモ湖との間にある険しい山々が迫っています。この山の中にひっそりと建っているのが、ベネディクト会のサン・ピエトロ・アル・モンテ修道院です。この修道院教会はロマネスク様式の教会内に残るフレスコ画と漆喰細工がみごとで、イタリアでも有数なロマネスク芸術と言われています。確かに、何冊かのロマネスク芸術の写真集に、この教会の壁に描かれた11世紀のフレスコ画が載っているのを見たことがあります。しかし、この修道院は標高663メートルの山頂に建っている上、そこに到達するまで細く険しい山道を徒歩で1時間以上も登って行かなくてはいけないのです。
伝説では、最後のロンバルディア王が772年に息子である王子の悪い目を奇跡的に癒した水に感謝して、ここに修道院を建てたと言われています。現実に、5~8世紀の建物跡がこの地域に見つかっているそうです。今に残る修道院の記録では、9世紀にスイスのサンクト・ガレン修道院(世界遺産)から修道長と35人の修道士がここに移って来たとあります。現存する建物は、この時代のものと言われています。また、1097年にミラノ司教が亡くなる前に数年をここで過ごしたことも記録に残っています。その後しばらく閉鎖されていましたが16世紀から再び修道士が入り現在に至っています。
19092009_16_チヴァーテ風景・午後_01 19092009_05_ポッツオ村・午前中_02 19092009_05_ポッツオ村・午前中_03

まだ現役の修道院ですから世俗から隔離しておかないといけないのでしょう。それにしても、ここに来たことを何度も後悔するほど厳しい登りの山道でした。途中で見える素晴らしい景色だけが、この修道院まで登ろうとする気持ちを維持させてくれます。途中で何人かの人と出会いましたが、登山靴を履いた本格的な登山の格好でした。
19092009_06_サンピエトロへの山道_03 19092009_10_教会からの風景_08 19092009_14_帰り道の風景_03

何とか、普通の運動靴で標高663メートルにたどり着きましたが、ここがこの山の頂上ではなく登りの山道は更に続いています。しかし、修道院を取り囲む石垣を見たときには全身の力が抜けるほどほっとしてしまって、これ以上登るのは無理な状態でした。石垣のアーチ型の門を潜り抜けて修道院の敷地に入ると、直ぐに石造りの礼拝堂が目に入りました。続けて、深い緑の草原に建つ修道院教会、その後ろの高い山々、まさに、サウンド・オブ・ミュージックの世界です。無意識に“ついに登りきったぞ!”と言葉が飛び出し、満足感が体中に湧き上がり、石垣の上に腰を下ろして、この素晴らしい景観をしばらく眺めて疲れを癒しました。教会は10世紀前後の初期ロマネスク様式で石造りの壁に木造の瓦葺の屋根が乗っているシンプルなものですが、この山の中の草原に建つその姿は、見る人を感動させる力があります。建設機械のない昔の人が、良くこんな山の上に建てたものです。
19092009_08_サンピエトロ修道院・礼拝堂_01 19092009_09_サンピエトロ教会_01 19092009_10_教会からの風景_11
19092009_11_サン・ピエトロ教会_08 19092009_13_教会からの風景_04 19092009_11_サン・ピエトロ教会_12

修道院教会内のフレスコ画は2007年から保護のために特別な許可なしに見ることが出来ないとの情報がありましたが、許可の取り方もわからずにここまで来てしまい見ることが出来るのか不安だったのですが、修道院教会のドアは広く開かれていて、出入りは全く自由です。教会の中には、数人の修道士の方が忙しそうに働いていました。有名なフレスコ画、“悪魔(サタン)のドラゴンと戦う天使”及び“12使途と天上のエルサレム”は入口裏の壁と入口の天上部分に描かれていました。初期のロマネスク芸術ですが、その色(特に緑色)の鮮やかさには驚きます。漆喰細工も入口付近の明るいところにありました。写真撮影の許しももらって、問題なく撮影もさせてもらいました。いくら保護しているといっても、こんな山奥ですから、管理もそれほど厳しくないようです。フレスコ画もじっくり見ることが出来て、本当に、苦しい道のりをここまで登ってきた価値がありました。
19092009_09_サンピエトロ教会_06 19092009_09_サンピエトロ教会_10 19092009_09_サンピエトロ教会_12

ミラノからチヴァーテまでは、ポルタ・ガリバルディから、1時間間隔のレッコ行き普通列車(Linea S)で約1時間、料金は4.2ユーロです。但し、チヴァーテの駅の位置があまり便利の良いところではないので、今回、この列車は使いませんでした。ミラノ中央駅から1時間間隔(朝9時台を除く)で出ているレッコ又はティラーノ行きの普通列車は、途中でモンツァに停まるだけなので40分でレッコに到着します。料金も3.6ユーロです。レッコ駅前からErba/Como行きのLinea C40のバス(ASFバス)に乗ると約20分でチヴァーテの街の中心部まで行ってくれます。料金は片道1.35ユーロで、平日は30分間隔、日曜祝日でも1~2時間に1本あります。バスはチヴァーテのイセッラ通りのバス停で降りてください。万が一、乗り越してしまった場合でも、次の停留所で降りれば問題ありません。但し、その停留所には帰りのレッコ行きのバスが停まりませんので注意してください。ミラノへの戻りは、ちょっと歩きますがチヴァーテ駅からでも、イセッラ通りのバス停からバスに乗ってレッコ経由でもどちらでも構いません。レッコは遊覧船の拠点です。コモに比べて派手さはありませんが、落ち着いた雰囲気の観光地です。
19092009_18_レッコ・午後・街並_03 19092009_18_レッコ・午後・街並_04 19092009_19_レッコ・午後・コモ湖_06

チヴァーテの街からサン・ピエトロ・アル・モンテ修道院までは徒歩しかありません。チヴァーテの鉄道駅もバスの停留所もアンノーネ湖の一番低いところにあります。サン・ピエトロ・アル・モンテ修道院の標識に沿って山に向かって歩くと直ぐに上り坂になります。まずは、ボッツォ村を目指します。この村までは道路も舗装してあり、かなり急な登り道はつらいのですが、それほど問題はありません。ボッツォ村の入口から眼下のチヴァーテの街とアンノーネ湖はとても綺麗です。ボッツォ村は人口数十人の小さな村で、古い石の家が数件並んでいます。小さなつぶれそうなカフェが一つあるだけで、石の家と家畜以外には何もない村です。村を過ぎると道路は狭くなりますが、暫くは長閑な田舎の道になります。でも、大変になるのはここからです。サン・ピエトロ・アル・モンテ修道院の標識を頼りに先に進むと長閑な田舎道がだんだん険しい登りの山道になってきます。山道に入ってからサン・ピエトロ・アル・モンテ修道院までの道のりはかなりの距離で、しかも、途中に湧水が飲める程度の休憩所が2ヶ所あるだけです。深い樹木に覆われ、石を敷き詰めた細くて険しい山道が延々と続きます。ここからは体力と根性で登るしかありません。
2010-10-28(Thu)

クレスピ・ダッタ

ミラノに非常に近い上に、1995年に世界遺産に登録されているクレスピ・ダッタですが、なかなか訪ねる気持ちにならずに後回しにしていました。他のイタリアの世界遺産に比べるとかなり地味で、歴史的な興味も余り湧いてこなかったのがその理由です。しかし、とにかく近いこともあって、フルに1日を旅行に当てられない日に行くことにしました。

ミラノは少しだけ郊外に出ただけでも、直ぐに田舎の景色になってしまいます。アルプスから始まりベルガモを通ってミラノの東を流れるアッダ川畔は、ミラノ内の地下鉄駅からバスで20分ほどのところであるのですが、もう完全に片田舎です。アッダ川の両側は木々に囲まれ、澄んだアッダ川で渓流釣りを楽しんでいる人がいます。川沿いの木々に囲まれた薄暗い小道を気持ちよく散策していると、それほど古くはないお城が見えてきます。そこがクレスピ・ダッタの入り口です。
13092009_03_ヴィラ・ジーナからの景色_03 13092009_05_アッダ川_03 13092009_07_カステッロ_01

クレスピとは、アッダ川のベルガモ側に建設した錦織物工場の工場主の名前です。先ほどのお城はこの工場主の館だったのです。クレスピは、19世紀末のこの地に工場を建設し、同時に工員とその家族のための“労働者の理想郷”を建設したのです。工場の階級によってその家の大きさと構造には各差がありますが、それでも、一番小さな家でさえ、一戸建住宅に庭と家庭菜園が付いています。それだけでなく、教会から墓地まで生活に必要な共有設備や福利厚生の設備まで取り揃えて、すべての工員が平等に利用できたのです。
13092009_21_全景_01 13092009_09_工場_05 13092009_09_工場の事務所_02
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お城に住む工場主がこの村のすべてを統治し、すべての工員に生活保障のすべてを与えて、安心して工場で働ける環境を整えたのです。19世紀後半、日本では田舎から少女たちを連れてきて強制的に工場で働かせていた明治時代初期です。アメリカでは奴隷制度が真っ盛りで南北戦争の時代です。そんな時代に、ここまで考えた工場主がいたことは驚き以外に何もありません。イタリアの長い歴史の中で、イタリア人は、人間にとって何が一番大事なのかを学び、それが文化となって彼らのDNAに組み込まれているのかもしれません。即ち、衣食住と家族愛(と宗教)がその根本で、その次に来るのが芸術、趣味、ファッション、スポーツなのです。この世界遺産を見て、イタリア人を見直さざるを得なくなりました。工場は既に閉鎖されているようですが、この村の家々は、今でも住人がいます。彼らは、今の世の中をどう考えているのでしょうか。“昔は良かった”と思っているのかもしれません。この村のはずれにある丘の上に昇ると村全体を見渡せます。そこから小さくまとまった村を見ていると、普段は考えないようなことが頭の中を過ぎります。こんな世界遺産が一つはあっても良いのかもしれません。
13092009_08_村の教会_01 13092009_10_墓地への道_03 13092009_15_村の景色_03
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クレスピ・ダッタは、観光ボケしている頭の中に刺激を与えてくれました。やっぱり来てみないとわからないものですね。クレスピ・ダッタはミラノからアッダ川を渡った対岸にありますのでベルガモ県に属しますが、ベルガモよりもミラノからのほうが近いのです。ここに来るには、ミラノの地下鉄M2の終点であるジェッサーテ(Gessate)まで行きます。地下鉄M2は、このあたりでは地下鉄ではなく地上を走りますので、ジェッサーテ駅も地上にあります。ミラノからここまでは、U+1 1/2Zoneのミラノ郊外料金になりますので2.45ユーロです。また、所要時間はミラノ中央駅から40分です。この駅前からLinea Z310のバス(NETバス)に乗り、Trezzo s. Adda Via Biffi停留所で降ります。ここがこのバスの終点のようです。バスの所要時間は約20分で1 1/2Zoneの区間1.55ユーロとなります。但し、地下鉄とバスの通しチケットならミラノからU+3Zoneチケット(料金は3.15ユーロ)で良いはずです。このチケットは地下鉄の自動販売機(英語表示にしてInterurbane次のInclusiveを選ぶ)で買えますから、帰りの分まで2枚買っておきましょう。

Trezzoの停留所からクレスピ・ダッタの村までは歩いて20分ほどです。アッダ川沿いを南に歩き、歩行者専用の橋を渡って対岸に入ると直ぐに着きます。このあたりはまだ自然が残り、アッダ川の澄んだ水の流れを見ながら気持ち良く散策できるコースです。途中にはお金持ちが所有している古いヴィラや教会もありますので、ちょっと寄り道しても良いでしょう。イタリアの田舎が好きな人にはうってつけです。
途中のヴィラもクレスピ・ダッタの村の中も、今でも住人がいますので、観光するときは迷惑にならないように気をつける必要があります。観光客はそれほど多くはありませんでしたが、皆、静かに観光していました。学生も多く、片手に参考資料を持ってノートをとりながら歩いています。他の世界遺産の観光地とはかなり趣が異なります。
13092009_02_ヴィラ・ジーナ_06 13092009_03_ヴィラ・ジーナからの景色_04 13092009_06_アッダ川沿いの道_06
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matsuohj (パパロンチーノ)

Author:matsuohj (パパロンチーノ)
2008年10月20日から2010年8月23日までの1年10カ月ミラノに滞在。その期間、北イタリアを中心に115ヶ所の街を訪ねました。それも、ほとんどが公共交通機関を利用したものです。この経験で得た情報を一人でも多くのイタリア好きの人に伝えるためのブログです。

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