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2010-10-29(Fri)

パルマ

パルマハムとパルミジャーノ・レッジャーノ・チーズで有名なエミリア・ロマーニャ州にある人口17万人の大きな街、パルマです。でも、それだけではありません。パルマの歴史地区は世界遺産の街に引けはとりません。また、ヴェルディを初めとする音楽家やコッレッジョ、パルミジャニーノに代表されるパルマ派の画家たちが生まれた芸術の街でもあります。この歴史と文化が融合した街は、お気に入りの街のひとつで、何度でも来たくなるところです。実際に、パルマ駅で降りた回数は5回を越えています。
パルマ観光は午前中が勝負です。この日(2度目のパルマ)も朝の9時前にパルマに到着しました。毎週土曜日には、駅前からピロッタ宮殿までの通りは露天商が並んだ街頭市となっています。生ハムやチーズはもちろんのこと生活用品、服や靴まで売っています。街頭市の中はパルマの人と観光客で溢れかえって、活気が漲っています。
10102009_01_パルマ・土曜市_03 10102009_18_パルマ・土曜市_02 10102009_03_パルマ・街並_01

ピロッタ宮殿を通り越して、カフェやお店の並ぶ旧市街を真直ぐに進み、ドゥオモ広場に出ました。この広場はガランとしていてカフェもありません。ここまでの道筋と対照的に、急に静かな神聖な雰囲気を感じます。このドゥオモ広場には大理石のファサードが美しいロマネスク様式のドゥオモとピンクの大理石で造られた洗礼堂が静かに建っています。この広場はこれだけで十分なのです。他に何もいりません。
10102009_04_パルマ・ドゥオモ広場_02 10102009_04_パルマ・ドゥオモ広場_03 10102009_06_パルマ・洗礼堂_01

広場には何組かの観光客の団体が固まって静かにガイドさんの話を聞いています。その団体を横目にドゥオモの中に入りました。ドゥオモの採光塔(クーポラ)のフレスコ画は、パルマの画家コレッジョの作品です。ロンバルディア・ロマネスク建築の傑作といわれるドゥオモを更に印象付ける素晴らしいフレスコ画でした。
10102009_05_パルマ・ドゥオモ_01 10102009_09_パルマ・ドゥオモ外観_02 07112009_01_パルマ_001

ピンクの八角形の洗礼堂は素晴らしく調和が取れている建物です。洗礼堂の入口上部(タンパン)の彫刻はみごとです。すべての入口にある彫刻をじっくりと見てから、内部に入りました(博物館との共通券で4ユーロです)。内部は聖人を描いたフレスコ画と彫刻で周囲を覆われ、神聖な雰囲気に包まれていて、カトリックの人なら最高の洗礼を受けられるのではないかと感じました。共通券でカバーされているドゥオモ広場のデオセザーノ博物館には、この広場の地下で発掘されたローマ時代の遺物が展示されています。
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素晴らしいドゥオモと洗礼堂を見た後では忘れそうなのですが、ドゥオモの裏にある聖ジョバンニ・エヴァンジュリスタ修道院にも足を運びましょう。数人の尼さんが修道院回廊からその横に建っている大きな教会に入って行くのを見て、その後を追って教会に入りました。ここの採光塔でもコレッジョの素晴らしいフレスコ画を見ることが出来ました。
10102009_10_パルマ・聖ジョバンニ修道院_01 10102009_10_パルマ・聖ジョバンニ修道院_03 10102009_10_パルマ・聖ジョバンニ修道院_06

パルマの旧市街と駅の途中に、先ほど素通りしたピロッタ宮殿があります。この宮殿の中には「芸術のパルマ」が詰まっています。入場券(6ユーロ)を買うと、宮殿の中にある大きなファルネーゼ劇場を見ながら国立絵画館へと導かれていきます。この絵画館には、所謂、パルマ派と呼ばれる画家たちの作品が数多く展示されています。特に、パルミジャニーノの「トルコの女奴隷」は必見です。ダ・ヴィンチのめずらしい作品も見なくては損です。但し、ファルネーゼ劇場と国立絵画館は、残念ながら写真撮影が出来ません。ですから、この感動を忘れないように最後にある売店で記念となる絵葉書、画集等のお土産を購入している観光客がいっぱいいました。誰もが考えることは一緒です。
10102009_15_パルマ・ピロッタ宮殿_01 10102009_15_パルマ・ピロッタ宮殿_10 10102009_19_トルコの女奴隷
国立絵画館は午後1時45分で閉まってしまいます。ドゥオモと洗礼堂もお昼の12時半から午後3時まではお休みです。ですから、パルマ観光は午前中が勝負なのです。国立絵画館の見学が終わったら、ガリバルディ広場界隈で美味しいパルマの生ハムとチーズでお昼としてください。パルマでは単に広場というと、ドゥオモ広場ではなくガリバルディ広場を指します。この大きな広場はパルマの中心を走るマンツォーニ大通りを挟んだ両側にあります。たくさんの人と車は、ここが人口17万人の大都会であることを実感させてくれます。生ハムやサラミの有名な店、レストラン、カフェ、デパート等がこの周辺に固まっています。広場の直ぐ近くに、ナポレオンの皇后であるマリア・ルイーザが建てたパルマのオペラの殿堂、テアトロ・レージョもあります。食事の後は、この界隈でショッピングするのも良いでしょう。但し、駅前の街頭市は午後にはもう終わっています。
10102009_13_パルマ・ガリバルディ広場_03 10102009_13_パルマ・テアトロレジョ_01 10102009_14_パルマ・ガリバルディ広場近く_02

もっとパルマの街を楽しみたい方には、ピロッタ宮殿から川を渡った先のドゥカーレ公園に行くのが良いと思います。ここには16,7世紀に建てられたドゥカーレ宮殿と緑豊かな大きな公園があります。パルマの住人の憩いの場です。生ハムとチーズのパニーノと飲み物を買って、この公園のベンチに座ってランチも気持ちが良いと思います。
10102009_16_パルマ・トッレンタ川_02 10102009_17_パルマ・ドゥカーレ宮殿公園_02 10102009_17_パルマ・ドゥカーレ宮殿公園_03

パルマへはミラノ・ロゴレドから普通列車とインターシティ(IC)が、朝の7時台に2本、9時代から1時間に1本出ています。所要時間は1時間20~30分で、料金は、普通列車なら8.4ユーロ、ICなら14ユーロです。上記のように午前中が勝負ですから、早起きして7時台の列車に乗りましょう。そうすれば9時前にパルマに着きますので、午後1時45分までに、ドゥオモから国立絵画館まで観光することができます。帰りは、普通列車(8.4ユーロ)が2時間間隔、その合間にIC(14ユーロ)とユーロシティ(19ユーロ)があり、ミラノ方面に1時間に1本以上の列車があります。好きな列車で戻ってください。但し、ユーロシティはロゴレド駅には停まらずにミラノ中央駅行きとなります。
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2010-10-29(Fri)

シルミオーネ

シルミオーネはガイドブックにも載っている有名な観光地です。ロンバルディア州ブレーシア県に属しますが、それよりもガルダ湖の南岸から湖に突き出た半島の先と言ったほうがわかると思います。実は、半島から橋を渡ってシルミオーネに入るので、半島の先の島と言ったほうが正確です。ガルダ湖は他の北イタリアの湖と同様に氷河によって造られた湖です。氷河期にアルプスを出発した氷河が周りの山々を削りながらここまで流れてきて、ここで停まり、ここから川になってロンバルディ平野を流れていきました。氷河に削られた湖の周りの山々は、湖のふちまで迫って独特の景観を創りだしています。人間はローマ時代からここに別荘を造りこの美しい景観を楽しんでいました。即ち、この自然が造り出した今も変わらない美しい景観は、ローマ時代から現在まで人々にまで愛し続けられ、2000年以上の間、シルミオーネを国際的な観光地として保ち続けているのです。
04102009_02_ガルダ湖_05 04102009_03_スカラ家の城塞_02 04102009_08_ローマ遺跡_01 04102009_08_ローマ遺跡_24

デセンツァーノ駅前からのバスは半島の最先端まで連れてきてくれます。目の前の橋の先にヴェローナの領主であったスカラ家の城砦があります。橋を渡ったところからシルミオーネの街が始まり、島の先端にある温泉とローマ遺跡まで繋がっています。城砦の広場にはたくさんの観光客をもてなすカフェとレストランが並んでいます。街のメインストリートも観光客で溢れ、両側にある土産物屋、カフェ、ジェラテリア等も商売繁盛です。さすがに国際的な観光地です。でも、お城と観光客から目を離して冷静に周りを眺めると、ガルダ湖と周りの山々の景色がとても素晴らしいことに気がつきます。青い湖と全く同じ色の青空の間に、境界線のように遠い山々が見えます。大きなガルダ湖ならではの絶景です。シルミオーネは、観光客が多いから有名なのではないのです。やはり、2000年前から変わらない美しい景色があるから有名な観光地なのです。
04102009_03_スカラ家の城塞_04 04102009_04_シルミオーネ街並_02 04102009_04_シルミオーネ街並_03

シルミオーネでも、広場やメインストリートから、ちょっと裏の路地に入ると静かな田舎街の雰囲気も味わえます。古い教会も田舎の教会らしく小さくて風情があります。
04102009_05_SMマッジョーレ教会_01 04102009_05_SMマッジョーレ教会_06 04102009_06_シルミオーネ街並_01

街の喧騒を抜けると緑豊かな公園があり、超高級ホテルと有料の大きな温泉設備があります。公園の緑の小道を更に進むと、湖の脇に温泉が湧き出ていました。ここは無料の小さな温泉です。ここではお母さんと子供が足湯を楽しんでいました。
04102009_07_テルメ・温泉_04 04102009_08_五つ星ホテル_01 04102009_10_温泉場_03

更に島の先端に歩いて行くと、島先端の小高い丘の上にローマ遺跡があります。それほど期待をしていなかったのですが、期待を大きく上回る素晴らしい大きな遺跡でした。このローマ時代のヴィラはお金持ちの貴族の別荘だったでしょう。温泉を取込んだ大きな浴場跡まであります。保存状態もすごく良く、ローマ時代の栄華を感じることが出来ます。それに加えて、この遺跡からの景色が最高です。このお金持ちのローマ人は、シルミオーネで一番景色の良いところに自分の別荘を建てたのです。
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ガルダ湖はミラノのレジャー基地及び保養地として現在も人気があります。ガルダ・ランドというテーマパーク(ペスキエーラ駅下車)は、いつもたくさんの家族連れと若者たちで賑わっています。そんなガルダ湖の遊覧船の中心基地であるデセンツァーノ駅がシルミオーネに行く中継点です。デセンツァーノ駅前から、土・日曜祝日でも1時間間隔で走るブレーシア・ヴェローナ間路線バス(Transporti Brescia Nordバス)のヴェローナ行きに乗って、所要時間約20分でシルミオーネ入口の広場に到着します。料金は片道1.65ユーロで、チケットはデセンツァーノ駅構内のタバッキで購入できます。又は、デセンツァーノ駅から港まで15分ほど歩き、ガルダ湖の遊覧船に乗ってシルミオーネに行くことも出来ます。行きはバスで、帰りを遊覧船でも良いでしょう。デセンツァーノの街も観光地ですから港の周辺を歩くとガルダ湖の景色とショッピングを楽しむことが出来ます。
ミラノからデセンツァーノは、ミラノ中央駅からヴェローナ行きの普通列車又はヴェネツィア行きのユーロスターが便利です。朝9時35分までなら両方あわせて1時間に1~2本あります。所要時間は普通列車なら1時間25分、ユーロスターなら1時間です。料金は普通列車が6.95ユーロでユーロスターは16.5ユーロとなります。ミラノへの戻りは、午後には普通列車が1時間に1本あり、ユーロスターも2時間に1本あります。
2010-10-29(Fri)

ボッビオ

ボッビオは、イタリアの「最も美しい村」に選ばれている街です。ピアチェンツァとジェノヴァを真直ぐに引いた線上に、ピアチェンツァから距離で1/3くらいのところにあるエミリア・ロマーニャ州・ピアチェンツァ県の人口3700人余りの小さな街です。ヴァル・トレッビア(トレッビア渓谷)にあるこの街は、周りを山々に囲まれ、ポー川の支流のトレッビア川が流れている美しい自然環境に加えて、聖コロンバーノ修道院、ローマ時代起源の古い橋、11~12世紀に建てられた教会、13世紀の城と村の周りの城壁等、観光名所が小さな地域に詰め込まれています。
この村はローマ時代からジェノヴァとピアチェンツァを結ぶ街道の中継点として塩の交易で栄えていたのですが、この村の歴史は7世紀初めにアイルランドから来た聖コロンバーノが、地域の司教にこのボッビオを与えられて修道会を設立した時から始まっています。実際には、彼の死後に弟子たちが修道院を建てたそうです。修道院は、まもなく大勢の修道士を抱えて、農業、酪農に加えて宗教や医療の研究等、幅広く活動して、直ぐにこの地域の生産拠点として地域の発展に寄与しました。また、トレッビア川を利用した輸送により、その販売網を北イタリアの各地に広げて大きな経済力も得ました。10,11世紀には最盛期を迎え、宗教においても北イタリアの中心となりボッビオ司教区として認定されて、街の周りには城壁も造られました。ドゥオモを初めとした建物もこの頃に建てられて、この街の骨格が出来上がっています。学問においても、農業、医療の知識の集積地となり、同時に、修道院には写字室を備えていて、ここで作られた羊皮の写本はイタリア各地に行き渡り、今でも各地の博物館に保存されています。即ち、この頃、ボッビオの聖コロンバーノ修道院は北イタリア全域に影響力のある規模になっていたのです。しかし、この街の最盛期は長く続かず、13世紀にピアチェンツァ領主のマラスピーナ家支配下に入って衰退に向かい始めました。修道院の知識も写本によって各地に分散されたことにより、修道院はその優位性を徐々に失い、15世紀の拡張事業を最後に収束に向かいます。ピアチェンツァから乗ったバスはトレッビア渓谷に沿ってイタリアの田舎村をいくつか寄道しながらボッビアに10時過ぎに到着すると、この日は街頭市が出ていて小さな街の周りには車がいっぱい停まっていました。
03102009_10_ボッビオ・ポンテ・ヴェッキオ_06 03102009_10_ボッビオ・ポンテ・ヴェッキオ_17 03102009_02_ボッビオ・街並_03

街の中心にある聖コロンバーノ修道院の周りとドゥオモ広場は街頭市で大賑わいです。街頭市を避けるように聖コロンバーノ修道院に入り、一部に残るロマネスク建築と15世紀に拡張された建物を見学しました。7世紀頃は修道院以外に何もなかったのでしょうが、徐々に周りに人が住むようになり、10世紀頃から現在に至るまで、この街はこの修道院を中心に動いているようです。
03102009_02_ボッビオ・街並_08 03102009_03_ボッビオ・聖コロンバーノ修道院_02 03102009_03_ボッビオ・聖コロンバーノ修道院_11

修道院の裏側には12世紀に建てられた小さなサン・ロレンツォ教会があります。中に入ると外の喧騒と完全に隔離されていて、静かに聖母マリアに祈りを捧げている人がいました。
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街頭市に沿って進むとドゥオモ広場に出ます。ここには、この街の最盛期である11世紀に建てられたドゥオモがあります。当時の栄華を忍ばせるように堂々とした建物で、祭壇の壁と天井に描かれたフレスコ画は見事なものでした。
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聖コロンバーノ修道院の先の小高い丘の上に、13世紀、ピアチェンツァの領主であるマラスピーナ家が建てたマラスピーナ城があります。城の内部は公開されていませんでしたが、城の周りの公園から、ボッビオの街全体を見渡せます。新しい支配者のお城は、防衛のための城ではなく、街(修道院)を警戒するために建てられたのでしょう。
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城の丘から降りて、今度はトレッビア川に向かいました。ドゥオモからトレッビア川に向かう街並は中世の香りが一番強く残っているところです。石畳の道の両側は石垣と石を積み上げて造った家が並んでいます。川からの水を取り込んで水車を回している家もあります。街頭市で賑わっている広場と違って、さすがに「最も美しい村」に選ばれただけのことはあって、街の小さな路地裏はとってもきれいでゴミも全くありません。イタリアの田舎の街に来たら、歴史的な建物や周りの美しい景色だけでなく、静かな路地裏を歩くことを忘れてはいけません。歩きながら中世と変わらない雰囲気に浸っていると、そこに中世と変わらない生活が見えてきます。
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トレッビア川に出ると、そこにはローマ時代起源の古い橋が架かっています。この橋は蛇のようにくねっていて、しかも平らではありません。それが古さの証明なのかもしれません。聖コロンバーノがこの地に来たときに、この橋は壊れていて使えなかったそうです。そこで、聖コロンバーノは悪魔(サタン)と契約して、一晩のうちにサタンに修復させたとの言い伝えがあり、それにちなんで「悪魔の橋」と呼ばれているそうです。トレッビア川の清流と周りの自然に、完全に調和しているこの古い橋は旅人の心を癒してくれます。また、橋を渡りながら見えるボッビオの街の眺めは最高でした。
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これまでに、イタリアの「最も美しい村」は、オルタ・サンジュリオとボッビオの2つを訪ねたわけですが、どちらも素晴らしいところでした。観光名所の豪華さと土産物屋の数では劣りますが、「世界遺産」では感じることの出来ない素晴らしさがここにはあります。
03102009_13_ボッビオ・街全景_01 03102009_13_ボッビオ・街全景_03 03102009_11_ボッビオ・街並_03

鉄道駅のないボッビオにはバスでアクセスする以外にありません。エミリア・ロマーニャ州・ピアチェンツァ県にありますので、バスもピアチェンツァ駅前から乗るTempiバスのLinea 17(駅前のロータリーの先のバス停で、大きく“BOBBIO”と行き先が書かれたているバスです)が便利です。日曜祝日は1日に3本しかないので不便ですが、土曜日なら、午前中に2本(8時53分と11時3分)、午後1時からは1時間半に1本あります。所要時間は1時間10分で料金は片道3.7ユーロです。チケットはピアチェンツァ駅構内のタバッキで購入できますので、往復分を買ってください。バスは、綺麗な景色のトレッビア渓谷沿いに途中にある小さな村々に停まりながら進みます。それぞれのイタリアの田舎の村々も非常に興味深いのですが、ボッビオはそれらの村とは美しさの格が違いますので到着すると直ぐにわかります。でも、例によって、運転手さんに着いたら知らせてもらうように頼んでおいてください。バスは、ボッビオの城壁の直ぐ外にある広場に停まります。その広場にはインドメーションがありますから、観光資料はそこで貰えます。

ミラノ・ロゴレドからピアチェンツァまでは普通列車とインターシティがあわせて1時間に1本あります。料金もそれぞれ5.1ユーロと8.1ユーロです。ロゴレドから所要時間50分前後で到着しますから、がんばって早起きしてピアチェンツァを8時53分に出るバスに乗りましょう。そうすれば、ボッビオの街をゆっくりと楽しむことが出来ます。
2010-10-29(Fri)

ローディ・ヴェッキオ

ローディ・ヴェッキオは、名前の通り“古いローディ”、即ち、今のローディが出来る前の街で、田舎風景の中に溶け込んでいる小さな街です。ここもケルト人起源の街で、ローマ時代にはLaus Pompeiaという名前の村でした。名前の由来はあのローマのポンペイウスの父親です。このLaus村は、11世紀からのミラノによる侵攻により大きな被害を受け、1158年にはついに街を焼かれて完全に破壊されてしまいました。そこで、住民は今のローディの場所に街を建てて移住したのです。Laus村は復興しましたが昔の栄華に戻ることはなく、名前もLodi Vecchioとなり、今日では人口7000人の小さな街となっています。
従って、この街はローディより古い歴史はありますが、街は復興後の比較的新しい景観となっています。但し、Basilica dei XII Apostoli San Bassiano(12使途・聖バッシアーノの教会)だけは、街から少しだけ離れていたおかげで破壊されずに残ったので、今でもLodi Vecchioの古い歴史の面影を見ることが出来ます。この教会の起源は古く、古キリスト教時代の378年にLausの司教であった聖バッシアーノによってローマ時代のお墓の上に建てられた12使途を拝した教会でした。聖バッシアーノはミラノの司教であった聖アンブロージョと同じ時代の人で、この教会の完成に当たってはミラノから聖アンブロージョを招待したとの記録が残っています。418年には聖バッシアーノの遺骸がこの教会に納められ12使途と聖バッシアーノ教会となりました。1300年にロンバルディア・ロマネスク建築で再建されましたので、古キリスト教時代の建物は入口の右側にわずかに残るだけです。
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ここのロンバルディア・ロマネスク建築は、ロマネスク建築を研究する人たちには有名らしく。インターネットでも取り上げられています。確かに、シンプルなロマネスク建築の代表的な建築で、ミラノのサンタンブロージョ教会と共通点を感じます。残念ながら、教会は開放されていないために中に入ることが出来ませんでした。でも、ロンバルディア平野の畑の中にぽつんとある古い教会はとてもきれいです。イタリア人の団体及び何組かの観光客も来ていて写真を撮っていました。
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12使途・聖バッシアーノ教会以外にはこれと言って目立つ観光名所はありません。街の中には、ローマ時代の遺跡がありますが、土台だけの遺跡なのでそれほど興味をそそるものではありません。掘り出したものはミラノとローディの博物館にあるそうです。又、La Chiesa di San Pietroはローディ・ヴェッキオの教区教会で、ベネディクト会の修道院でもありますが、伝説によると327年にローマ時代のお墓の上に立てられた教会がその始まりで、その後9世紀に修道院となりました。現在の建物は、Lodi Vecchioの他の建物と同様に17,8世紀のものです。他に、Le Cascineと呼ばれる中世の農業設備が街の中及び周りに点在しています。廃墟になっているものもあれば、まだ、現役で乳牛を育て酪農をしているところもあります。これらの陽の目を見ていない観光資源を売り出そうと、街にはツアリスト・インフォメーションがありました。
27092009_05_礼拝堂_02 27092009_05_礼拝堂_03 27092009_06_ローマ遺跡_01
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ローディ・ベッキオに行くには地下鉄M3のサンドナート駅構内始発のローディ・ヴェッキオ行きのバス(Lineバス)があります。日曜日も2~3時間間隔であり、所要時間はローディ・ヴェッキオまで約45分です。料金は、片道、サンドナート駅構内からですと2.5ユーロで、サンドナート管轄内のエミリア通りから乗ると2.2ユーロです。12使途・聖バッシアーノ教会は、街の外ですが、街から歩いて数分のところにあります。Le Cascineは街の中にもありますが、いくつかは街から遠いところにあります。田舎の散歩気分で出かけてください。
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matsuohj (パパロンチーノ)

Author:matsuohj (パパロンチーノ)
2008年10月20日から2010年8月23日までの1年10カ月ミラノに滞在。その期間、北イタリアを中心に115ヶ所の街を訪ねました。それも、ほとんどが公共交通機関を利用したものです。この経験で得た情報を一人でも多くのイタリア好きの人に伝えるためのブログです。

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