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2010-10-31(Sun)

ヴィチェンツァ

ヴェローナとパドヴァの間に位置するヴェネト州ヴィチェンツァ県の県庁がある街です。ヴェローナと同様に、ヴィチェンツァもローマ時代からの古い街です。但し、この街の観光資源は後期ルネッサンス(16-17世紀)の建造物です。16世紀の優れた天才建築家であるアンドレーア・パッラーディオの街とも呼ばれているヴィチェンツァの街並は、1994年に“ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ”として世界遺産に登録されました。その登録名にもパッラーディオの名が記されているように、ヴィチェンツァの主役はパッラーディオなのです。また、昔から今日に至るまで経済的に裕福な街としても有名で、貴金属や宝石の店が多く、今日のブランド店とともに、女性の観光客に人気のある街でもあります。

ヴェローナの次の駅、ヴィチェンツァ駅から5分も歩かないうちに、12,3世紀に建てられたお城と城壁の門を抜けると、そこからはパッラーディオ大通りとなります。名前の通り、この通りにはパッラーディオと彼の弟子によって建てられた宮殿が並んでいます。もちろん、貴金属や宝石の店、ブランド店もこの通りに並んでいます。
27122009_01_ヴィチェンツァ・街並_005 27122009_01_ヴィチェンツァ・街並_008 27122009_01_ヴィチェンツァ・街並_010

パッラーディオ通りを右に入ると街の中心部で、ヴィチェンツァのドゥオモとその先にシニョーリ広場があります。このシニョーリ広場にパッラーディオの最高傑作といわれているバシリカ、及びヴェネツィア総督府のロッジアがあります。このバシリカは、規模は大きいのですが、同じくパッラーディオが設計したブレーシアのロッジアと良く似ています。この広場にはインフォメーションもありますから観光資料を貰ってください。今でも、ヴェネツィア共和国の面影が強く残っているこの広場は、ローマ時代のフォロの上にあるそうで、地下にはその遺跡が眠っているそうです。但し、世界遺産であるパッラーディオの建物の下にあるのですから、このローマ遺跡は、永久に陽の目を見ることはないでしょう。もったいない話です。
27122009_01_ヴィチェンツァ・街並_012シニョーリ広場 27122009_01_ヴィチェンツァ・街並_013シニョーリ広場 27122009_01_ヴィチェンツァ・街並_014シニョーリ広場

パッラーディオ大通りに戻り、更に進むと、大通りの最後にオリンピコ劇場があります。パルマやサッビオネータにある室内の古代劇場なのですが、やはり、天才パッラーディオの設計だからなのか、ここの劇場はより強く印象に残っています。一見の価値があります。
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オリンピコ劇場の正面に、同じくパッラーディオ設計の宮殿を利用したキエリカーテ宮殿美術館があります。ここの美術館は、所謂ヴェネト派の画家の作品が集められているのですが、それほど大きくなく作品も多すぎず、飽きることなく絵画を鑑賞できます。この美術館の目玉は、18世紀ヴェネト派最後の巨匠と言われたジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロです。彼のフレスコ画だけを集めた部屋があります。見る人の好みもあるでしょうが、パルマ派(コレッジョ)やマントヴァ派(ジュリオ・ロマーノ)に比べるとインパクトは小さいと感じました。
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美術館を出ると、もう一度、ゆっくりと街を歩いてパッラーディオの建物を見直した後、ヴィチェンツァ郊外にあるもう一つのパッラーディオを求めて、田舎道を歩くことにしました。その建物は、街から約1.5キロ、20分弱歩いたところの高台に建っていました。建物はロトンダと呼ばれていて、あのホワイトハウスのモデルになったそうです。この丘の頂点に建つ建物は、丘の下4方向のどこから見ても同じ形をした非常に調和の取れた建物です。パッラーディオの建築はローマ時代の建物のような石柱がポイントとなっていますので、後期ルネッサンスと言うよりもネオ・クラシックなのだと思います。ホワイトハウスだけでなく、ロンドンの有名な建物や日本の国会議事堂でさえもパッラーディオの影響を大いに受けています。そういう意味で、やはり偉大な建築家なのです。
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ミラノからヴェローナまでは普通列車が1-2時間に1本出ていますが、ヴィチェンツァはヴェローナの先ですので、普通列車は朝の7時過ぎにヴェネツィア行きが1本あるだけです。従って、ミラノ中央駅からユーロスターが便利です。ユーロスターは朝7時半から9時半まで30分間隔でヴェネツィア(又はその先)行きが出ています。所要時間は1時間50分で料金は22.5ユーロです。ちなみに普通列車だと所要時間が2時間25分で料金は11.25ユーロですから、便利さを考えるとユーロスターを使うべきだと思います。ミラノへの戻りもユーロスターが1時間間隔(夕方の5時と6時は30分間隔)であります。
ヴィチェンツァ駅からバスも使いませんので、日帰りでも十分に観光の時間が取れます。
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2010-10-31(Sun)

ラヴェンナ

1996年に“ラヴェンナの初期キリスト教建築物群”として世界遺産に登録されたラヴェンナに行ってきました。アドリア海に面した沼地にあったこの街は軍港として、又は商業都市としてローマ時代から栄えていた街です。5世紀初めには西ローマ帝国最後の都となり、その後、東ゴート王国の都を経て、紀元540年に東ローマ帝国のイタリア半島の拠点として栄えました。しかし、その後、東ローマ帝国の衰退とともにラヴェンナの街も衰退して、単なる小さな街になってしまいました。但し、そのおかげで戦乱によって破壊されることもなく現在にその面影を残しているのです。

ラヴェンナは、なんと言っても、現存する東ローマ帝国時代に建てられたビサンチン様式の痕跡を残す初期キリスト教建築とモザイク装飾が有名です。特に、サン・ヴィターレ聖堂のモザイクは、すべてのイタリア観光ガイドとイタリア芸術の本に必ず載っていますので、これ以上の説明は無用だと思います。但し、何度も、写真では見ていたものの実際に見たときには足が震えるほどの感動が押し寄せました。これが5,6世紀の作品であることは、どこかに飛んでいってしまい、ただただ、飽きることなく見入ってしまいます。
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サン・ヴィターレ聖堂はモザイクだけではなく、イタリアには少ないビサンチン様式の8角形の建築や、教会に付属している回廊にあるローマ時代の遺物も素晴らしいのですが、モザイクを見た瞬間に記憶をほとんど失ってしまいました。
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サン・ヴィターレ聖堂の敷地内には、ガッラ・ブラチディアという、覚えるのも読むのも難しい名の霊廟があります。西ローマ帝国のテオドシウス皇帝の娘がガッラ・ブラチディアという名で、彼女が5世紀前半に建てた霊廟です。従って、彼女のお墓ではありません。この霊廟の内面のモザイクも有名で、ガイドブックや初期キリスト教の芸術の本には必ず出てきます。但し、廟の中は暗い上にフラッシュ撮影は禁止なので、目でじっくりと味わうしかありません。
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サン・ヴィターレ聖堂に入るときにラヴェンナのモザイク鑑賞の共通入場券(8ユーロ)を購入できます。入場券には、サン・ヴィターレ聖堂とガッラ・ブラチディアの霊廟の他に2ヶ所の入場券が付いています。一緒に貰った地図を頼りに次のモザイクへ移動です。ラヴェンナのドゥオモはもともと5世紀に建てられたのですが、現在は18世紀に建て直されたものです。そのドゥオモの洗礼堂は、5世紀の建物がそのまま残されていて、その洗礼堂の内部にも当時のモザイクを見ることが出来ます。最初に見たサン・ヴィターレ聖堂のモザイクの衝撃が大きすぎて、このあたりでは、少々、モザイクに麻痺してきました。
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最後のモザイクはサンタポリナーレ・ヌォーヴォ聖堂です。ここは東ゴート族の皇帝によって6世紀前半に建てられたのですが、東ローマ帝国がこの地に入ったときに、内面に描かれていた彼らの一族の絵を取り除いて、現在見ることが出来るモザイクに改装したそうです。ですから、この聖堂は長方形の建築でビザンチン様式ではありませんが、他のイタリアの教会の建築とも違います。東ゴート族はアリウス派だったとのことなので、彼ら独自の教会を持っていたのでしょう。
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神曲で有名なフィレンツェ出身のダンテはラヴェンナを安住の地として、1321年に亡くなり、ラヴェンナのサン・フランチェスコ教会に彼の霊廟があります。モザイクの影に隠れて、この霊廟を訪ねる人は少ないようです。ドゥオモからサンタポリナーレ・ヌォーヴォ聖堂に向かう途中、偶然にも団体観光客が写真を撮っていたので気がついたくらいです。
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ラヴェンナから5キロほど離れた港町のクラッセに、もう一つ、モザイクで有名なサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂があります。しかし、4つのモザイクを見るとクラッセまで足を伸ばす気持ちにはなれませんでした。それにしても、サン・ヴィターレ聖堂のモザイクは感動的でした。実は、もう一度この感動を味わいたくて、半年後に、もう一度ここに来てしまいました。2度目にもかかわらず、また感動してしまいました。
26122009_02_ラヴェンナ_003_サンジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ 26122009_02_ラヴェンナ_009_ポポロ広場 30052010_02_ラヴェンナ_002

ミラノ・ロゴレドからボローニャまでは、普通列車で2時間35分かかりますが、ミラノ中央駅からユーロスターでボローニャに行くと、わずか1時間5分で着いてしまいます。ボローニャからラヴェンナまでは2時間間隔で普通列車があります。所要時間は1時間20分で料金は6.2ユーロです。従って、日帰りでラヴェンナに行くのなら、ミラノからユーロスターでボローニャに行き、そこから普通列車でラヴェンナに行くことをお勧めします。ボローニャでの待ち時間も入れて3時間前後でラヴェンナに到着します。ラヴェンナ駅から市街地までは歩ける距離ですので、日帰りでもゆっくり観光できます。但し、ミラノからボローニャまでのユーロスターの料金は41ユーロですので、ちょっと高くつきます。
ラヴェンナからの戻りは、午後のボローニャ行きの普通列車は1時間間隔ですから、ボローニャからのユーロスターを決めて、それにあわせた列車に乗れば良いだけです。ボローニャからミラノへは1時間間隔に夜10時過ぎまでユーロスターがあります。
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matsuohj (パパロンチーノ)

Author:matsuohj (パパロンチーノ)
2008年10月20日から2010年8月23日までの1年10カ月ミラノに滞在。その期間、北イタリアを中心に115ヶ所の街を訪ねました。それも、ほとんどが公共交通機関を利用したものです。この経験で得た情報を一人でも多くのイタリア好きの人に伝えるためのブログです。

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