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2010-11-29(Mon)

ボローニャ

エミリア・ロマーニャ州の州都ボローニャは、駅と駅の周りだけは、他の街を訪問した時に何度か来ているのですが、街の中を歩いたことがありませんでした。とにかく、街が大きくて人も多いので、街に入るのを尻込みしていたのかも知れません。今回も、ウルビーノから戻るときに立寄ったのですが、街を歩く時間は十分に取りました。

ボローニャの街で一番有名なのはポルチコです。もともとイタリアの街はポルチコが多いのですが、ボローニャは特別です。この街では雨が降っても傘はいらないと思います。従って、雨が降ったときにミラノでよく見かける傘売りは、ボローニャでは商売にならないでしょう。イタリアではボローニャをポルチコの街として世界遺産暫定リストに入れて、次の世界遺産登録を目指しています。
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街の中心はマッジョーレ広場です。この広場には、この街の誇りでもあるサン・ペトロニオ大聖堂があります。この大きな街に相応しいとてつもなく大きな大聖堂です。まだこの大聖堂は未完成であり、ファサードの上半分がむき出しのままです。でも、いつ完成するのでしょうか。多分、永久に完成しないのではないでしょうか。それでもこの街の誇りなのですから、それで良いのだと思います。大聖堂の中は撮影禁止となっていますが、そうとは知らずに1枚写真を撮ってしまいました。床にある18世紀の天文学者が設計した日時計が有名です。
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この大きなマッジョーレ広場には、大聖堂だけでなく、周りは歴史的な建物で囲まれています。大きな噴水の周りはボローニャの住民の待ち合わせ場所で、憩いの場にもなっています。この日も、大勢の人々をこの広場で見かけました。広場には大きな舞台が設置されていて、若者向けのロック・コンサートも行われていました。
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ボローニャには斜塔があります。98メートルの高さを誇るアシネッリ塔の直ぐ横に、半分くらいの高さの、今にも倒れそうなガリセンダ塔があります。2つの塔が並んでいるので、誰の目にもガリセンダ塔が傾いていることは明らかです。マッジョーレ広場からこの2本の塔までの道がボローニャのメインストリートで、まるで、イタリアの渋谷のようでした。この街は、ミラノや他のイタリアの街に比べて、若い人が多いようです。その分、街は活気に溢れていて、ミラノとは違った雰囲気を感じます。
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マッジョーレ広場からボローニャの駅までは、インディペンデンス通りを真直ぐ2キロ弱あると思いますが、ずっと、ポルチコのアーケードが繋がっています。もちろん、アーケードにはお店が並んでいます。従って、雨には無縁です。ショッピングを楽しみながら歩いていると、いつの間にか駅に着いてしまうのです。
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駅の傍には、街の城壁の遺物と城門があります。ここが旧市街のはずれなのですから昔からかなり大きな街だったのでしょう。クリスマスのときに、ここに来たときには、城門近くの広場に、街頭市とスケートリンクが出来ていて、子供たちが遊んでいました。
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ミラノからボローニャまではたくさんの列車があります。普通列車は2時間間隔で、所要時間は2時間20分ほどで料金は12.9ユーロです。ユーロスターは1時間間隔で、所要時間は1時間5分で料金は41ユーロです。その他に、ユーロスター・シティ(約2時間で料金は28.5ユーロ)やインターシティ(約2時間で料金は21.5ユーロ)もあります。ミラノへの戻りもいっぱいあります。但し、普通列車は、夜の7時50分頃が最終で、ユーロスターは夜の10時頃が最終になります。
ボローニャの駅からマッジョーレ広場まではショッピングしながら歩いても問題ないのですが、疲れているときは駅前から1ユーロのバスに乗っても良いでしょう。バスのチケットはバスの中の自動販売機で購入できます。でも、お釣りのないように1ユーロを用意しておいてください。
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2010-11-29(Mon)

ウルビーノ

フィレンツェのウフィッツィ美術館にピエロ・デッラ・フランチェスカが描いた一度見たら忘れられない絵があります。赤い服と赤い帽子を被った鉤鼻の男の肖像画です。この人の名前はフェデリコ・モンテフェルトロと言って、ウルビーノの領主でした。彼は優れた傭兵隊長であり、フィレンツェを初めとした有力貴族に傭兵隊長として雇われて活躍して、高額の報酬を得ていたそうです。彼はその報酬をウルビーノの文化振興に費やして、この街をルネッサンス文化の代表的な街にしたのです。ラファエロもこの街で生まれ、建築家のブラマンテもこの街の出身です。同じくウフィッツィ美術館にある悩ましげな“ウルビーノのヴィーナス”もこの街の名を有名にした絵画です。しかし、ウルビーノの繁栄も17世紀の初頭までで、その後は凋落して現在に至っています。

アドリア海沿岸の街ペサーロはオペラのロッシーニが生まれた街です。ペサーロから内陸にバスで1時間10分のところに、1998年に世界遺産に登録されたウルビーノがあります。この街は、丘の上の城壁に囲まれた人口15000人ほどの街です。バスは丘の麓にあるウルビーノ入口の城門前の広場に到着します。城門から街の中心部までは長い上り坂の道になっています。この道がウルビーノのメインストリートで両側には、お土産屋、ブティック、カフェ等が並んでいます。広場の城門に向かった右隅には、ドゥカーレ宮殿の裏に直接昇るエレベーター(0.5ユーロ)もあります。
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エレベーターで昇ってもドゥカーレ宮殿の正面のドゥカ・フェデリコ(フェデリコ公爵)広場までは、まだ登り道が続きます。城壁の中の裏道はとても静かで中世の雰囲気がそのまま味わえます。広場はドゥカーレ宮殿と2つの大きな教会(カッテドラーレとサン・ドメニコ教会)に囲まれています。昼休みに入る前に2つの教会の中を見た後、カッテドラーレの直ぐ横にある洞窟礼拝堂に入り、いよいよウルビーノのルネッサンス文化の鑑賞会が開始です。
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続けて、ドゥカーレ宮殿の中にあるマルケ国立美術館に入り、どっぷりとウルビーノのルネッサンス文化に浸かってしまいました。ここには、ラファエロの「物言わず人」があります。やはり、ラファエロの絵は素人でも素晴らしいと感じます。残念ながら、この美術館は撮影禁止です。
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その日の宿は、ラファエロ・ホテルでした。ホテルにチェックイン後、ホテルの直ぐ傍にあるラファエロの生家を訪ねました。この二枚目の天才画家は比較的裕福な家庭に育ったようです。ここには、若き日のラファエロが描いたと言われる聖母子の絵かあります。この絵は本当に素晴らしい絵です。生家も、当時の上流階級の暮らしぶりが感じられて観光スポットとして見に行く価値があります。
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ラファエロの生家から更に高い丘の上に昇っていくと、頂上のローマ広場にラファエロの銅像があります。この周辺はラファエロ一色に染まっています。ローマ広場から城壁の一画を占める砦まではパノラマ通りを歩きました。砦の周りは緑の多い公園になっていて、通りの名のとおり、ここから見るウルビーノの街は最高です。しかし、急に、悪魔が舞い降りてきたように、空は黒い雲に覆われて、日中にもかかわらず真っ暗になると同時に激しい雨が降ってきました。急遽、砦の中に逃げ込むと2ユーロの入場券を買うように要求されました。砦の中は博物館だったのです。15分ほどで雨は止み、また青空が戻ってきました。2ユーロを無駄にしないように、砦の上まで上がると、雨の上がった後の透き通るような空気の中で太陽の光を浴びるウルビーノの街は更に美しくなっていました。ウルビーノに来たらこの丘の上には絶対に行くべきです。
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丘の上からのんびりと中世の街並を楽しみながら歩いて降りて行くと、名前も知らない小さな教会(礼拝堂)がありました。ここも博物館になっているようで入場料が必要です。中に入ると、礼拝堂の内部全面にフレスコ画があります。それがまた素晴らしいのです。後で知ったのですが、ここはガイドブックにも載っているサン・ジョヴァンニ礼拝堂だったのです。この時は、何も知らなかったので非常に得をした気分になりました。
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最初に購入した共通入場券でカバーされているもう一つの美術館(カッテドラーレ付属博物館)に行き、最後のルネッサンス文化の鑑賞です。
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これで、ウルビーノのルネッサンスはもう十分です。気持ちの良い空気を吸いながら、城壁沿いを歩くと、雨上がりの澄んだ空気が周りの景色を更に綺麗にしていました。ルネッサンスも良いのですが、ウルビーノは街の雰囲気と周りの景色が最高です。ミラノから遠くまで足を伸ばして良かったと感じるひと時でした。
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その日の夕食は、城壁内に2002年のスローフード認定レストランを見つけて、そこで、ウサギの肉のサラダと黒トリフのパスタでした。古いスローフード認定なので心配でしたが、お店は満員で、味も素晴らしく大満足でした。次の日の朝は素晴らしい天気でした。早起きして、まだ観光客が出てこないうちに、気分爽快な気持ちで最後の散策をして、ウルビーノの街を後にしました。さすがに世界遺産の街です。最高でした。
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ウルビーノはペサーロの駅の横にあるバス・ターミナルからadriabusに乗ります。日曜日以外は20-40分間隔で普通バス(Linea CS、所要時間1時間10分片道2.75ユーロ)があり、1時間に1本急行バス(Linea 46、所要時間45分3.5ユーロ)もあります。但し、日曜日は普通バスのみで本数も2時間に1本となります。バスのチケットは、ペサーロではバス・ターミナル、ウルビーノでは城壁前の広場のタバッキで購入できます。

ミラノからペサーロまではミラノ中央駅から直通のユーロスター・シティが便利です。朝は7時35分から2時間間隔、午後は1時間間隔で出ています。帰りも午前中は2時間間隔、午後は1時間間隔で直通のユーロスター・シティがあります。所要時間は3時間半から3時間45分で料金は片道44.5ユーロです。

ウルビーノへはペサーロからバスで1時間以上かかるので、ミラノからウルビーノへの日帰り旅行はかなり大変です。しかし、ウルビーノは素晴らしいところで、しかも、見所もいっぱいありますから、少なくとも1泊して、ゆっくりと街を見て歩くことをお勧めします。
2010-11-28(Sun)

チンクエ・テッレ

東リヴィエラは、ミラノがまだ寒い冬の間に、カモーリ、ポルト・ヴェネーレ、レリーチ・サンテレンツォと3ヶ所行って来ました。3ケ所とも素晴らしいところだったので、1997年に世界遺産に登録されているチンクエ・テッレに行くのを楽しみにしていたのですが、その機会がやっと訪れました。今回は1泊旅行で計画し、初日はポルト・ヴェネーレに行き、ラ・スペツィアで1泊して2日目の朝からチンクエ・テッレを周ってミラノに戻る予定を組みました。今回は一人旅ではなく、総勢7人の団体旅行です。ポルト・ヴェネーレは既に1回目の訪問時に紹介済みですので、今回は、2日目の朝からのチンクエ・テッレだけを紹介します。

ラ・スペツィア駅前のホテルで朝食を取っていると一人旅をしている75歳の日本人のご婦人と一緒になりました。このご婦人はイタリア語も英語も話せないのですが、堂々と一人旅をしているのです。ホテルのチェックアウトも全部日本語でやっていました。レセプションのイタリア人女性も口をあんぐり開けたままです。海外でこんなすごい日本人のご婦人に会ったのは初めてです。本当に尊敬してしまいます。彼女は前日にチンクエ・テッレを観光してきて、リオマッジョーレの漁村がとても良かったと教えてくれ、その朝もリオマッジョーレの漁村まで同行していただきました。ラ・スペツィア駅で遊覧船以外が無料になるチンクエ・テッレ・パスを購入して、朝の8時にリオマッジョーレ駅に到着。駅から漁港まで降りていくと、そこから見えるパステルカラーの建物が並んでいる漁村はまるで絵葉書のようです。まだ朝早いので、観光客は皆無です。のんびり働いている漁師さんが4,5人いるだけの静かな漁港は海の匂いと波の音だけが漂ってきます。早起きは三文の得でした。
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そこで、日本人のご婦人と別れて、リオマッジョーレの街を散策した後、いよいよ有名な「愛の小道」に入りました。入場料はチンクエ・テッレ・パスに含まれています。断崖絶壁の自然の景観と澄んだ地中海の海は本当に綺麗です。「愛の小道」はマナローラまで整備した遊歩道が続いています。
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マナローラ村は、まだ泥臭い漁村が残るリオマッジョーレに比べて、多少洗練された綺麗な村でした。個人的には泥臭い観光化されていないリオマッジョーレのほうが好きです。
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一人旅のご婦人のお薦めはマナローラの次の村コルニリアまで歩くことでしたので、それに従いました。75歳のご婦人でも歩いた道ですから。疲れたとは言えません。マナローラから先もチンクエ・テッレ・パスでカバーされていますが、まだ整備されていない山道なので、「愛の小道」というわけには行きません。高低差もあるのでちょっとだけ大変です。途中にはつり橋もあり少しだけスリルもあります。しかし、こちらも景色が素晴らしいので多少の疲れは癒されます。この頃から観光客が増えてきました。
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コルニリアからは列車で隣の村のヴェルナッツァまで移動することにして駅まで歩くと、コルニリア駅にはすごい人数の観光客がいました。観光客は、ここからリオマッジョーレに歩くのでしょう。列車は直ぐに来て一駅(3分)でヴェルナッツァに到着(料金は1.3ユーロですが、チンクエ・テッレ・パスを持っていれば無料です)です。この街を港まで歩くと、街は更に観光化されています。どうも、西(ジェノヴァ方向)に向かうに連れて観光化が進んでいるようです。ヴェルナッツァの港には観光客が溢れていました。ちょうど昼時なので、港のレストランやカフェもいっぱいです。ここからは、遊覧船(この料金はチンクエ・テッレ・パスに含まれていませんので3.5ユーロ必要です)でモンテロッソに出ます。港にいる観光客のほとんどは東(ラ・スペツィア方向)に向かっているようで、モンテロッソ行きの遊覧船はそれほど混んでもいません。これで、散策、列車、遊覧船の全部を使ってチンクエ・テッレを巡ったことになります。遊覧船が港を離れるときと港に着くときに見える海からのチンクエ・テッレも観光の見所の一つです。特に、ヴェルナッツァは崖の上にあるお城とパステルカラーの街並がマッチしていて、海からの景観が一番綺麗だと言われています。
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モンテロッソには直ぐに到着です。この小さな街は完全にリゾート観光地です。港の横に海水浴場もあり、街は、たくさんの土産物屋、カフェ、レストランが数え切れないくらいの観光客を迎えてくれます。
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観光客の数に気後れして、足早に街を抜けて街外れのロータリーでレストランからの迎えの車を待ちました。ここでは、予約しておいたスローフード・レストランで昼食です。レストランは港の喧騒を離れた丘の中腹にありました。ここからモンテロッソの港が綺麗に見えます。景色の良いレストランの庭で最高のシーフード・イタリアアンをいただきました。しかし、さすがにスローフードです。予定の2時間の食事を大幅に過ぎて4時間を越す昼食時間となり、ミラノへの戻りの列車も大幅に変更です。
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モンテロッソからジェノヴァまでは1時間に1本の各駅停車の普通列車が出ています。所要時間は1時間半から1時間40分です。ジェノヴァからミラノまでは夜の9時まで1時間に1本以上普通列車とインターシティがあります。特に夜の7時台は本数が多いので問題ありません。所要時間は普通列車なら1時間40分から2時間です。モンテロッソ・ミラノ間の料金は普通列車で12.7ユーロとなります。
2010-11-28(Sun)

シエナ

イタリアで、ローマ・ヴェネツィア・フィレンツェを除いて、シエナはヴェローナの次に、日本人観光客の人気が高い街です。シエナに行った人で、この街を褒めなかった人は誰もいません。期待も高かったのですが、その期待を裏切ることはありませんでした。サン・ジミニャーノから遅れること5年、1995年に世界遺産に登録されました。

サン・ジミニャーノからシエナに着いたのは小雨降る土曜日の夕方でしたが、それでも、この街には観光客が溢れていました。バス停の直ぐ近くにあるホテルに直行すると、その日はセリエAのサッカー最終戦の前日で、ミラノのインテルが同じホテルに到着するところでした。シエナであるにもかかわらず、インテルのファンがホテルを取り巻いて大変な騒ぎでした。同じホテルの客という特権もあり、インテルのスター軍団を間近で見ることが出来たのはラッキーでしたが、おかげでチェックインが遅れてしまいました。直ぐにホテルを出ると、小雨に煙る世界一と言われるカンポ広場に向かいました。扇型をしたこの広場は扇の要となる一番低いところにブッブリコ宮殿があり、マンジャの塔が聳えています。要から9つの方向に放射線状に伸びた登り勾配の扇の先に外周路があり、その外側にカフェが並んでいます。広場は、雨に濡れたレンガ色の表面にお店の明かりが反射して輝いているようでした。やはり、この広場は世界一かもしれません。でも、個人的にはヴィジェーヴァノの広場の方が好きかも知れません。難しいところです。その日は、カンポ広場近くのスローフード・レストランで翌日の昼食の予約を取って、ホテルに戻りました。
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翌日は雨もやみ、徐々に晴れ間が出てくる陽気でした。朝食後直ぐに、昼食までにカンポ広場に戻るような観光コースを考えて、街を歩き始めました。15世紀中旬に建てられたサン・ドメニコ教会には、シエナの聖人でイタリアの第1聖人でもある聖カテリナの礼拝堂があります。まだ、このサン・ドメニコ教会とシエナのドゥオモの間には深い谷があって、サン・ドメニコ教会からドゥオモのあるシエナの中心部がとても綺麗に見えます。ここはシエナの街を見るベスト・ポイントかもしれません。
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続いて、聖カテリナの生家を訪ねました。聖カテリナは18歳でキリストに純潔を捧げる決心をして修道院に入り、キリストと同じ年齢33歳で亡くなるまで、祈りと瞑想と弱者の救済に一生を捧げた人です。サン・ドメニコ教会からシエナの市街地方向へ谷を降り、何の変哲もない門を入ると、そこが生家でした。その奥に教会と礼拝堂があります。教会では、キリストから祝福を受けている聖カテリナの絵が印象的です。教会の反対側にある礼拝堂は、生家の台所だったところですが、壁はシエナ派の画家による聖カテリナを描いた絵画で飾られ、床はマヨルカ焼のタイルで覆われています。この礼拝堂は教会よりも印象的でした。
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一旦、谷底まで降りて、そこからシエナの市街地のある丘を登ります。丘の上にある城壁の中が旧市街です。石畳の道の両側には古い建物が並んでいます。今度は、反対側の丘の上にサン・ドメニコ教会が綺麗に見えます。城壁内の石畳の道を歩いているうちに、道の先にドゥオモが見えてきました。
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シエナは16世紀中旬に降伏するまで、長い間フィレンツェに対抗してきた街です。この街のドゥオモも、フィレンツェのドゥオモ完成後に、それ以上の規模のドゥオモに拡張しようと工事を始めたのですが、疫病や飢饉により資金難に直面して途中で挫折してしまったのです。その時に建てられた高い壁がドゥオモ広場に入るアーチとして残り、一部の建物が現在のドゥオモ博物館となっています。このドゥオモ広場では見どころがいっぱいあります。ドゥオモの教会内部、礼拝堂、クリプトと併設されているドゥオモ博物館及びドゥオモの前にあるサンタ・マリア・デッラ・スカラ(教会と美術館)がすべてカバーされている共通券(12ユーロ)があります。すごい数の展示物がありますので全部見るのは大変です。この点でもフィレンツェと張り合っているのかもしれません。
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その中で一番印象深かったのは、拡張工事の遺物でもあるドゥオモ広場の入口にあるアーチの上からの景色です。ドゥオモ博物館の中からここに登ることが出来ます。ここから、シエナの街及びその周りの景色が一望できます。真下にある美しいドゥオモ、先ほどのサン・ドメニコ教会、カンポ広場とマンジャの塔も良く見えます。シエナではマンジャの塔に登るのが通常の観光コースですが、登るのが大変なマンジャの塔よりもこちらのほうが良いかもしれません。
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ドゥオモの内部の見学だけを後の楽しみに残して、予約したスローフード・レストランに向かいました。今度はトスカーナの赤ワインにピチと呼ばれる太目のパスタと牛の内臓(トリッパ)料理です。要するに日本だと、焼きうどんと牛筋の煮込みです。日本人好みの最高の味でした。食後はカンポ広場をぶらついて、ジェラートを食べながらお土産屋を冷やかして歩きました。シエナには、ブッブリコ宮殿にも美術館があり、国立絵画館もありますが、ドゥオモ博物館を見ればもう十分です。マンジャの塔もパスして、最後にドゥオモに戻りました。
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シエナのドゥオモは、一言で言うとミラノのドゥオモを小型にしたようなものです。でも、単に縮小したのではなく、小さくした分だけすべてが凝縮されていて深みがあります。特に素晴らしいのが床の装飾です。このドゥオモは見る価値が十分でした。
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シエナからフィレンツェへの戻りはバスを使いました。ポッジポンシ経由ですが、バスの乗換えはありません。フィレンツェまで1時間半かかり、料金は7.1ユーロでした。ポッジポンシを経由しない、フィレンツェまで直通のバスもあるようです。時間は短縮されますが、料金は少し高くなるとのこと。バスのチケットはバス停近くのタバッキで購入しました。トスカーナ地方のバスの旅も捨てたものではありません。一面の葡萄畑の中に、針杉に囲まれた農家がぽつんとある光景、丘の上にはサン・ジミニャーノに負けないくらいの城壁に囲まれた村も見えます。まだまだ、第2、第3のサン・ジミニャーノが出番を待っているようです。フィレンツェ郊外まで来ると、フィレンツェの街の周りの城壁も見ることが出来ます。この辺りも、小さな街や村を訪ねようと思ったらいくらでもありそうです。
2010-11-28(Sun)

サン・ジミニャーノ

サン・ジミニャーノはフィレンツェからバスで1時間45分、トスカーナ州のフィレンツェとシエナの間に位置する人口7000人の城壁に囲まれた街です。今まで何度か出てきたFrencigena街道は、ルーニからルッカ、ここサン・ジミニャーノを通って、シエナに至り、ローマへと続きます。従って、この街は、交易と宿泊地として栄えていました。13世紀にはこの街の裕福な商人によって72もの塔が建っていたそうですが、現在は14の塔だけが残っています。その後、サン・ジミニャーノは長い間フィレンツェの前線基地としてシエナとの戦いにおいて利用価値が高く、14,5世紀にはその繁栄の頂点に立っていたのですが、16世紀中旬にシエナが降伏した後は、その利用価値が小さくなり、急速に寂れていったのです。残された美しい中世の街並は1990年に世界遺産に登録されました。

フィレンツェからのバスは、途中の街ポッジポンシで乗換えてサン・ジミニャーノへ向かいます。ポッジポンシの街を少しだけ歩きました。静かな田舎街です。
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ポッジポンシからバスで30分、サン・ジミニャーノの城壁の直ぐ外側にバスは到着します。さすがに世界遺産の街です。同じような中世の雰囲気を残している「最も美しい村」で推薦されている小さな街や村に比べると、城壁も立派で、街も大きく、この日は小雨だったにもかかわらず観光客がいっぱいです。街の入口の13世紀中旬に建造されたポルタ・サンジョヴァンニの城門を抜けると、土産物屋、陶器の店、ワインやサラミの店、カフェやジェラートの店が並ぶメインストリートが観光客を街の中心部に導いてくれます。
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ミラノを朝出て、ちょうどお昼になりましたので、まず、トスカーナの食を求めてスローフード・レストランに入り、この街の白ワインとサラミ等でトスカーナの味を楽しみました。食後は、コッレジアータ教会(ドゥオモ)から観光開始です。教会前の広場ではちょうど結婚式が終わったところで記念写真を撮っていました。教会の中に入るには、付属している美術館を含めて5.5ユーロの入場料を取られます、教会内と美術館には宗教関連の彫刻や所謂シエナ派の絵画が数多く展示されています。但し、撮影禁止です。
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ポポロ宮殿にも小さな美術館がありますが、それよりもこの宮殿からは、街で一番高い塔であるトッレ・グロッサに登ることが出来ます。入場料5ユーロを払って、塔に登りました。塔の上からは、サン・ジミニャーノの町とその先のトスカーナの丘陵地帯が一望できます。小雨模様のこの日は見通しが悪かったのですが、それでも、街の塔と薄茶色の瓦屋根が並ぶ中世の街並、その先の雨に濡れた深い緑が印象的でした。14の塔の街、サン・ジミニャーノに来たら、この塔に登らなくてはいけないのです。
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残った時間は、ゆっくりと街歩きです。石で出来た家々に挟まれた石畳の道は、どこの街でも同じなのですが、何故か、街によって雰囲気が違うのです。見所も多くて楽しみましたが、唯、この街はいつもの小さな村と違って、観光客が多くて静かな中世の街並を味わうことが難しいのが残念でした。観光客が少ない頃にもう一度歩きたいですね。
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この日は、ミラノ中央駅からユーロスター(52ユーロ)でシエナに出て、バスに乗ってサン・ジミニャーノまで来ました。その日のうちにシエナに入って1泊する旅行でした。ミラノ中央駅は朝の8時15分発で、フィレンツェ発10時40分のバスで、45分ほどでポッジポンシ到着、30分ほどの待ち時間があり、ポッジポンシから30分乗るとサン・ジミニャーノに到着です。最終的に到着時間は12時半でした。フィレンツェからのバスは、サンタ・ノッヴェーラ駅の南にあるSITAバスのターミナルから乗ります。料金はサン・ジミニャーノまで通しで片道6.45ユーロでした。チケットはバス・ターミナルで購入できます。

サン・ジミニャーノからシエナへ行くバスも途中のポッジポンシでバスを乗換えます。バス乗り場は城壁の外の広場のバス停です。バスのチケットは、ポルタ・サンジョヴァンニから城壁内に入って直ぐ左にあるタバッキで購入しました。ポッジポンシで乗換があっても、チケットはシエナまでの通しとなります。料金は5.5ユーロでした。ポッジポンシからシエナまでの所要時間は45分です。
2010-11-20(Sat)

コルネッロ・ディ・タッソ

コルネッロ・ディ・タッソ(タッソ家のコルネッロ村)はベルガモの北35キロにあるイタリアの「最も美しい村」です。この村は、カメラータという名の人口600人の村の近くにある人口が僅か45人の本当に小さな村なのです。こんな山奥の小さな村が何故「最も美しい村」に選ばれたのか、その村の歴史を知らない限り理解できません。
この村はブレンボ川沿いの切立った丘の上にあります。この川沿いの地域はヴァル・ブレンバーナ(ブレンバーナ渓谷)と呼ばれ、北イタリアからヴァル・テッリーナ(テッリーナ渓谷)に繋がる交易路でした。ヴァル・テッリーナはサンモリッツを通り、スイスのグリソン地方へと繋がっていますので、北イタリアからスイスやオーストリアに行くにはこの交易路が重要だったのです。この交易路の中継地であったコルネッロの領主タッソ家は、地の利を活かして郵便会社を営み、14,5世紀には、オーストリアのパプスブルグ家の加護を受けて、全ヨーロッパに支店を持つほど巨大な企業になりました。従って、当時コルネッロ村も大いに繁栄していたのです。しかし、15世紀になると、山を砕いてもっと短い交易路が開発されて、コルネッロ村を通らなくなってしまったのです。従って、15世紀以降、誰一人としてコルネッロ村に立寄る人がいなくなり、村は急速に衰退してしまったのです。村は、15世紀で時間が止まったかのように、その当時のまま取り残されてしまいました。

歴史はどうあれ、今は45人しか住んでいないのですから、この村に行くのは大変です。ベルガモからピアッツァ・ブレンバーナ行きのバスがカメラータの停留所で停まりますので、そこからコルネッロ村までは歩くしかないのです。思ったとおり、人口600人の村の停留所でバスを降りる人は誰もいませんでした。その停留所から人口45人の村までの道路標識などあるわけがありません。しかし、“Museo”と書かれた小さな標識を見つけました。「最も美しい村」に選ばれているのですから博物館くらいあるはずです。その標識の指示に従いブレンボ川を望む切立った崖に沿った歩行者用の細い山道を約1キロ歩くと、45人の微かな息遣いだけを感じるひっそりとした村に突き当たりました。ここがコルネッロ村でした。第一印象は、“大変なところに来てしまった”でした。
08052010_C01_カメラータ景色_004 08052010_C01_カメラータ景色_008 08052010_C02_コルネッロ村入口_002

ここまでの道のりでは誰にも会わなかったのですが、村に入ると5,6人の団体客が2組も観光していました。崖の下の道路からここまで登ってくるもう一つのルートがあったようです。標識には“Museo”とありましたが、村の中にある小さなMuseoは閉まっています。でも、ここは村全体がMuseoなのです。正に、15世紀から時間が止まっている村でした。村には小さな教会があります。木造瓦葺屋根のロマネスク様式の古い教会です。教会の内側の窓の少ない両壁と祭壇の裏の壁面には、当時の繁栄を示すように立派なフレスコ画が残っています。15世紀以前に描かれたのでしょう。かなりの傷みがあります。まだ、観光化されていないこの村では、ちゃんとした管理もされていないのだと思います。
08052010_C02_コルネッロ村入口_006 08052010_C03_コルネッロ村内部_001 08052010_C04_コルネッロ村教会_001
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この映画のセットのような村は小さくて10分もあればすべての道をゆっくり歩くことが出来ます。現在の時代を示すものはところどころに見える電線だけで、それ以外は何もありません。もちろん、この村に入るには細い歩行者用の山道しかありませんから、村の中には車もありません。民家の軒先には薪が積み上げられていて、今でも、冬の暖房は薪に頼っているのがわかります。本当にすごいところです。村人45人のほとんどは、村の入口付近の斜面に建つ一塊の石の家に住んでいるようです。その建物は4階建てで、1階部分は城壁と倉庫になっています。2階部分は各家の店や作業場に入る入口があり、アーケードになっている村の石畳の道はこの高さにあわせてあります。3階部分が住居で、窓には洗濯物が干してあります。4階部分にはポルチコの通路が見えます。この通路と村の教会は同じ高さにあり、この通路を通って雨でも濡れずに教会に行けるようになっているのでしょう。
08052010_C06_コルネッロ村並_016 08052010_C09_コルネッロ村並_012 08052010_C03_コルネッロ村内部_002
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この一塊の家の先を抜けるとちょっと大きな家が数件並び、直ぐにこの村の境界の城壁になります。そこに城壁と一体になったタッソ家の宮殿跡があります。昔は大きな宮殿があったのかもしれませんが、今は“夢の跡”だけです。
08052010_C07_コルネッロ村・タッソ家跡_004 08052010_C07_コルネッロ村・タッソ家跡_001 08052010_C07_コルネッロ村・タッソ家跡_008

ローマ遺跡もそうですが、急速に消滅或いは衰退した街ほどその当時の面影がたくさん残っています。コルネッロ村は、正に、その代表のような村でした。しかし、これまで訪ねた村の中でも一番小さいうえ、一番田舎にある村でした。良くこんなところまで来たものです。我ながら感心しました。しかし、田舎の景色は最高です。これを見れば、ここまで来たことに満足しない人はいないと思います。
08052010_C10_コルネッロ村・景色_001 08052010_C11_カメラータ・ブレンボ川景色_009 08052010_C12_カメラータ・コルネッロ村景色_003

この日は、“アルピニストの日”というお祭りだったようで、鳥の羽がついたベレー帽と昔のアルペン部隊の軍服を着た人がベルガモの街とバスの中にたくさんいました。このお祭りで、アルプス方面に向かうバスは無料でした。片道1時間くらいかかりますので、バス料金も片道3ユーロほどだと思います。ベルガモからカメラータ村へは、ベルガモ駅の直ぐ横にあるSABバスのターミナルからピアッツァ・ブレンバーナ行きのバスに乗ります。ベルガモのチケット売り場で往復を買っておきましょう。例によって、運転手さんにカメラータ・コルネッロの停車場で降りることを言っておくことを忘れないでください。

ミラノとベルガモ間のイタリア国鉄は2通りあります。ミラノ中央駅だと、1時間間隔で所要時間は45分、料金は4.2ユーロです。ポルタ・ガリバルディだと、20-40分間隔で所要時間は1時間で、料金は3.6ユーロです。本数も多いので好きな列車に乗れば良いと思います。特に、ミラノへの戻りは、臨機応変に考えて良いと思います。
2010-11-20(Sat)

チェルヴォ

チェルヴォはリグーリア州インペリア県にある人口1000人余りの小さな村で、イタリアの「最も美しい村」に選ばれています。リグーリア州インペリア県はサヴォーナ県の西にあり、フランスと国境を接している県です。チェルヴォに行くにはディアーノ・マリーナ駅で降りるのですが、同じ列車に更に20分乗ると音楽祭で有名な街サンレモになり、更に20分でフランス国境の街ヴェンティミーリアとなります。要するに、イタリアン西リヴィエラの西のはずれになります。
チェルヴォは、アレッシオとディアーノ・マリーナ間の海岸線にある丘の上に築かれた城壁に囲まれた村です。ディアーノ・マリーナからチェルヴォまでは西リヴィエラの海岸線を走るバスで行くことが出来ますが、バスは、丘の麓の海岸通で停まりますので、そこから村までは歩いて丘を登らなければいけません。それが厭なので、またタクシーに乗ってしまいました。タクシーは北側にある丘の上の村の入口まで10分もかかりません。料金もたった13.5ユーロでした。
02052010_12_チェルヴォ・丘の下からの眺め_002 02052010_03_チェルヴォ・カステッロ_002 02052010_01_チェルヴォ入口_003

チェルヴォは、ローマ時代以前の古い街ですが、11,2世紀にジェノヴァ共和国の下でクラヴェサーナ家が、この村に城(クラヴェサーナ城)を築き、13世紀初頭から18世紀まで自治権を持った街として半独立状態を保っていました。しかし、サラセン人の海賊に度々襲われ、その防備のために、15世紀には現在のように100%城壁で取り囲まれた村になっています。タクシーで来ると村の北側の城門から、この村に入ることになります。城門を入ると小さな広場があり、その横にあるクラヴェサーナ城の2階にインフォメーションがありますので、そこで観光資料を貰うことが出来ます。
02052010_03_チェルヴォ・カステッロ_003 02052010_04_チェルヴォ・S_カルティナ広場_001 02052010_04_チェルヴォ・S_カルティナ広場_002

歩いて丘を登ってくる人は、村の南の階段を通って村に入りますので、南側の見晴らしの良い大きな広場に到着します。この広場には、階段を登って疲れたような顔をした観光客が、海を眺めながら休んでいます。この広場から見えるリグーリア海がとても綺麗です。海賊が攻めてきても、ここからよく見えたでしょうね。観光客が休んでいるこの広場にはカフェやお土産屋もあります。
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海岸線から村に入るには、迷路のような、曲がりくねった細い階段の道を登らないといけません。また、城壁に囲まれた村まで入ったとしても、村の一番北の高台にあるクラヴェサーナ城までは、更に複雑な細い迷路の路地を登っていく必要があります。階段や村の路地で道に迷っていると、お城の上から集中攻撃を受けてしまいますので、海賊もクラヴェサーナ城まで攻め落とすのは至難の業だったと思います。城壁で囲まれた村の中は、今でも中世の村です。迷路のような村の路地裏を歩くと、雰囲気だけでなく、中世にいる気持ちになれます。最も典型的な「最も美しい村」と言えるでしょう。
02052010_11_チェルヴォからの下り道_003 02052010_10_チェルヴォ周りの景色_001 02052010_09_チェルヴォ街並_032
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村の中央に12,3世紀に建てられたサン・ジョヴァンニ教会があります。小さな村に不釣合いなほど大きな教会です。現在は外側も内装もバロック調に改装されています。堂々たるその外観は、この村だけでなく、周辺の地域からも良く見えて、威圧するほどの迫力があります。
02052010_07_チェルヴォ・S_ジョヴァンニ教会_003 02052010_07_チェルヴォ・S_ジョヴァンニ教会_006 02052010_12_チェルヴォ・丘の下からの眺め_004

当然、教会から周辺地域を見渡すと素晴らしい景色です。教会前の広場から村の中に入ると、中世の民家に埋もれているような12世紀に建てられたサン・カテリナ礼拝堂があります。このロマネスク様式の礼拝堂の中には15世紀のフレスコ画が残っています。現在は礼拝堂として使用されていませんが、観光客に解放されています。村の城壁周りの道を歩くと村人の生活感と周囲の景色のコントラストが今回の旅の満足感を決定づけてくれました。
02052010_10_チェルヴォ周りの景色_003 02052010_08_チェルヴォ・S_カルティナ礼拝堂_003 02052010_09_チェルヴォ街並_011

村から帰るときは南側の階段を降りました。登りは大変ですが下りは楽なものです。難なく海岸線の道まで降りることが出来ました。そのまま、海まで出ると小さな砂利の浜があり、そこからのチェルヴォの村を見上げると、あの大きな教会が周囲を睨んでいるようです。
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ミラノへの戻りは、ディアーノ・マリーナには戻らずに、海岸線の道路沿いにあるチェルヴォの国鉄駅からジェノヴァ方面に行く列車に乗ることにしました。列車は、行き先はサヴォーナやアルベンガ行き等とありますが、2時間間隔の各駅停車です。但し、この駅は無人駅なので、チケットは前もって買っておく(いつも往復のチケットを買っておくとどんなときでも使えます)か、駅のバールで距離チケットを購入する必要があります。チェルヴォからサヴォーナまでは約1時間半で、サヴォーナでミラノ方面の直通普通列車に乗換えます。乗換えはサヴォーナでなくても構いません。アルベンガ等の大きな駅でジェノヴァ行き或いはミラノ行き直通列車に乗り換えればOKです。
2010-11-18(Thu)

フォンタネッラート

イタリアでは5月1日は特別な祝日です。クリスマス(12月25日)、正月(1月1日)、聖母マリアの被昇天の日(8月25日)と並んで、5月1日も、イタリア国鉄と地下鉄以外のほとんどの公共交通機関が動きません。しかし、天気が良いので家でじっとしている気にもなれず、先週訪ねたトッレキアラで、フォンタネッラートのお城にはパルミジャニーノのフレスコ画が残っていて保存状態も良いとの情報を入手したので、パルマからタクシーで行くことにして出かけました。このお城はロッカ・サンヴィターレと言います。14世紀に、ミラノのヴィスコンティ家がサンヴィターレ家にこの地を与えました。サンヴィターレは、15世紀に、12世紀に建てられていた城を戦いと居住の両方に適するように改修して、1948年に街に売り払うまでここに住んでいたそうです。

フォンタネッラートの街は、パルマのベッドタウンなのですが、このお城の周りだけが旧市街となっています。旧市街入口には15世紀に建てられたソプラ門があるので、昔は城壁で囲まれていたのかもしれません。街並も、典型的なヨーロッパの小さな街のように、パステルカラーの可愛い小さな建物に挟まれた石畳の道には、カフェのテーブルが並んでいます。お城の周りは街頭市が建ち並び、観光客とこの街の住民でいっぱいでした。街頭市の中には土産物屋もあったので、晴れた日には多くの観光客がこの街を訪れるのかもしれません。
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お城の周りの堀には、珍しく(汚いですが)水が満たされています。お城は、情報どおり保存状態が良く、中に入るのが楽しみになってきます。お城の周りの広場にも、いくつかの歴史的な建物が見られます。中でも、お城の同じ頃に建てられたサンヴィターレ家の厩舎はとても立派な建物でした。まるで宮殿のような建物です。きっと、ここの領主は、領民よりも飼い馬のほうを大事にしていたのかもしれません。また、16世紀に建てられたゴシック建築のサンタ・クローチェ教会も立派な教会でした。
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お城の中への入場は、ガイドつきの時間性になっていますので、予約をして時間まで待っていなくてはいけません。1回に30人くらいの観光客が一緒に見学して、城の中の11部屋を1時間くらいで周るツアーになっています。ガイドは4人の若い女性のボランティアが部屋毎に代わる代わるイタリア語で説明してくれます。でも、ちゃんとガイドの順番どおりの英語版説明書をくれますので、イタリア語がわからなくても理解は出来ます。城内は撮影禁止でしたので、パルミジャニーノが20歳のとき(1524年)に描いたフレスコ画“ダイアナとアクタエオンの神話”は素晴らしかったのですが、目で見て記憶にとどめるしかありません。でも、直ぐに忘れそうなので出口の売店で絵葉書を購入しておきました。下記の左2枚の写真はその絵葉書を撮影したものです。
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その他にも、14~20世紀までのフレスコ画、絵画、タペストリー、調度品、家具、ビリヤード台等が展示されていて、内容はかなり充実しています。トリノやジェノヴァの宮殿に比べると質素なものが多いのですが、品が良く、日本人好みだと思います。
01052010_08_フォンタネッラート城中庭_002 01052010_09_フォンタネッラート城内部_009 01052010_09_フォンタネッラート城内部_001

今回は。パルマから往復ともタクシーを利用しました。でも、今日は5月1日なので仕方がないと理由を正当化できます。フォンタネッラートはパルマから北西方向に18キロのところにあります。タクシーで片道30ユーロ強でした。パルマから行くときは駅前のタクシーを捕まえられますが、パルマに戻るときが問題です。フォンタネッラートは小さな街ですからタクシー乗り場にタクシーはありません。ですから、電話で呼ばなくてはいけません。でも、一番簡単なのは、パルマから来たときに乗ったタクシーを予約しておくことです。フォンタネッラートで降りたところに、何時に来てくれと言えば、祝日は客も少ないので、喜んで来てくれます。

ミラノとパルマ間の列車に関しては、以前のブログを見てください。
2010-11-18(Thu)

トッレキアラ

トッレキアラはエミリア・ロマーニャ州パルマ県にある山の上のお城です。パルマから南の山の方向に向かって、最初の山の上にあります。ピアチェンツァとパルマ県の観光ガイドは、周辺の保存状態の良いお城を紹介していますが、その中で最も保存状態の良いお城一つです。この日は素晴らしい天気の日曜日ということもあって、たくさんの観光客が来ていました。このお城は、昔からあったお城の上に、14世紀半ばにパルマの北15キロにある街、サン・セコンドの領主であったPier Maria Rossi伯爵によって、彼の愛人であったBianca Pellegriniの住居として建てられました。従って、最初から戦いのためのお城ではなかったので、今日に至るまで改修する必要がなかったのです。

日曜日と言うこともあり、パルマからのバスは本数が少なく、帰りのバスのチケットだけ購入して、タクシーで来てしまいました。パルマの街を抜けて葡萄畑の中を走っていると、遠くから、山岳地帯に入る手前の一番最初に見える山の上にこのお城が見えてきました。この温暖な葡萄園に囲まれたこの地は、愛人のお城には最適の場所に思えます。

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タクシーはこの山の中腹にある城門まで連れて行ってくれました。山の麓の駐車場も、山の中腹までの道の脇にも観光客の車が並んで駐車しています。城門の中に入ると、お城の周りには、城壁で囲まれた小さな空間に、石で作られた民家、教会にお墓があります。きっと、教会とお墓はお城の付帯設備のようなもので、街から離れたこの地で暮らす愛人が不自由を感じないようにしたのでしょう。石で造られた民家は愛人に使えていた人たちの住まいだったのだと思います。これらの中世のまま残されている建物で囲まれた石畳の道を歩くと、14世紀の時代にタイムスリップしたようです。但し、これらの建物の一部は、レストランやお土産屋として使われています。
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この日はお城の入場券(5ユーロ)が無料になる日でした。観光客が多い理由がわかりました。チケット売り場の女性が、その理由を説明してくれたのですが、イタリア語なので理解不能でした。お礼だけ言って城の中へ進むと、やはり、今までに見たお城とは違って、トーチカや城壁に銃を撃つための穴が開いていません。要するに、このお城では戦えません。建物に入る手前は広いテラスのようになっていて、そこから周りの葡萄園とその先の山々の景色が一望できます。青い空と周りの緑が目にしみるほど素晴らしい景色でした。
25042010_06_トッレキアラ・城の外観_005 25042010_09_トッレキアラ・城の外観_006 25042010_07_トッレキアラ・城からの景色_001

お城の中に入るとたくさんの部屋はフレスコ画で覆われています。それも、すべて明るいイメージのフレスコ画で、暗い宗教画や戦争の絵は一つもありません。インターネットの情報では、地震による被害でフレスコ画を修復中とありましたが、もう、修復は終わっているようで全部を観賞することが出来ました。また、オペラの衣装も飾られていて、アイーダのエジプト衣装や蝶々夫人の着物も展示されていました。ここは何から何まで平和なムードで包まれています。建物のポルチコで囲まれた中庭には、井戸があります。建ててから600年以上も建つのに、中庭から建物を見てもほとんどダメージがありません。本当に綺麗なお城です。これまで見てきた中世のお城の中でも一番綺麗でした。
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トッレキアラは、パルマの南15キロのところにあります。平日・土曜日には、パルマの駅前からTEPバスで30分(料金2.35ユーロ)の位置です。但し、日曜日のバスは1日に2本しかありません。従って、この日は、パルマへの戻りのバスの時間に合わせて、タクシーで行くことにしました。タクシーなら20分で着いてしまいます。但し、料金は30ユーロ弱でしたので、バスの10倍以上です。パルマから平地を抜けて最初の山の上のお城ですから、写真でわかるように、かなり遠くから山の上のお城が見えます。遠くから見てもとても綺麗なお城です。

パルマに近い観光地ですから観光客も多く、お城の周りにはレストランもいっぱいあります。ドライブがてら来ているイタリア人家族が多く、お昼時には、どのレストランも満員でした。でも、この日2本しかないバスでパルマに戻った人は、私以外に誰も居ませんでした。ミラノ辺りから車で来ている人が多いのだと思います。
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ミラノとパルマ間は、イタリア国鉄で、2時間間隔で普通列車の直通がありますので、行く時はその列車を使うと便利です。帰りも2時間間隔で普通列車の直通がありますが、その合い間にピアチェンツァ乗換えの普通列車もありますので、ミラノへは1時間に1本の普通列車があります。普通列車なら所要時間1時間半強で料金は片道8.4ユーロです。また、インターシティやユーロスターもありますので、夜の9時過ぎまで問題ありません。
2010-11-17(Wed)

ザヴァッタレッロ

ザヴァッテレッロはロンバルディア州パヴィア県にある人口が1000人余りの小さな村です。但し、エミリア・ロマーニャ州ピアチェンツァ県のボッビオに近く、歴史的にはボッビオの影響を強く受けています。10世紀に神聖ローマ帝国のオットー一世がこの地をボッビオの聖コロンバーノ修道院に与えたことからザヴァッタレッロの歴史が始まります。12世紀にピアチェンツァに支配が移り、13世紀にこの難攻不落の城が建てられました。しかし、14世紀にミラノのヴィスコンティ家に支配が移りジャコポ・デル・ヴェルメが城に入ります。ヴェルメ家は1975年に村に引き渡すまで、この城を維持していたそうです。第2次世界大戦で多少のダメージを受けましたが、ほぼ、建築当時のままで今日まで維持されている珍しいお城なのです。ヴァルツィからのバスはヴァルツィを過ぎると直ぐに山を登り始めます。いくつかの山と葡萄園が広がる渓谷を通り過ぎた後に、角ばっている頂上の高い山が見えてきました。それがザヴァッテレッロです。角ばっている頂上がお城であることも、近づくにつれてはっきりとわかってきます。天気がよければ景色もより素晴らしいのでしょうが、それだけが残念です。村外れの古い教会からの景色が最高です。
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バスはお城への登り口の広場の停留所まで連れてきてくれました。お城への上り口には城門があり、そこに「最も美しい村」の看板が出ています。即ち、この門を潜った先が「最も美しい村」になっていたのです。城壁で囲まれたお城のある山の斜面には、寄生虫のように石で造られた中世の民家が建ち並んでいます。狭い階段の路地が迷路のようになっています。標識もないので、これではどの路地を進めばよいのかわからず、お城まで辿り着けそうにありません。ここの住人は数十人しかいないと思われますが、やっと見つけたここの住人らしきお年寄りに道を聞いて、何とかお城へ続く道を見つけました。
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城に着くと20人ほどの団体の観光客が何かを話しています。お城の入口が閉まっていましたので、多分予約していなかったために入れなかったのでしょう。このお城への入場は団体で、しかも予約が必要なのです。しかも、この日は午後2時半からガイド付きツアーが1回だけと書いてあります。団体客は不満そうな顔をして帰っていきました。やはり、観光化されていない小さな村はこちらの思い通りには行きません。こちらも、お城の周りの公園を散策して、お城と周りの景色を眺めて帰ることにしました。ここも、やはり、「最も美しい村」に選ばれているだけあって、自然に同化した素晴らしいところです。
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ザヴァッタレッロへはヴァルツィからバスに乗っていきました。所要時間30分で料金は1.65ユーロです。でも、土曜日なのに、このバスは午後1本しかなく、しかもヴァルツィに戻るバスは夜までありません。親切な運転手さんがほとんどしゃべれない英語を駆使して、ヴァルツィを出るときに教えてくれましたので、帰りは、代案として考えていたザヴァッタレッロからパヴィア行きのバスに乗ることにしました。そんなわけで、帰りは、これも午後1本しかないザヴァッテレッロからパヴィア行きのバスに乗ってパヴィアに出ました。こちらは、所要時間2時間の長距離バスで料金も4.6ユーロです。この日は、ずっと曇り空で天気には恵まれなかったのですが、皮肉にも、パヴィア行きのバスに乗った途端に雲が切れて青空が見えてきました。パヴィアまでは幾つもの山と谷を越えて、幾つもの葡萄園とワインの街を越えて、バスは走っていきます。今まで乗ったバスでは一番の長距離でしたが、周りの景色を楽しむことが出来ました。
今回は、バスの多い難しい旅でしたが、トラブルもなく、効率的にイタリアの田舎巡りが出来ました。もう、どこでも行ける自信にもなりました。

パヴィアからミラノへはいつものイタリア国鉄です。本数も多く待ち時間もほとんどなかったので、20分でミラノのロゴレド駅に到着しました。要するに、ザヴァッタレッロは、近くて遠いところだったのです。ミラノの近くの本当の意味での田舎だったのです。
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Author:matsuohj (パパロンチーノ)
2008年10月20日から2010年8月23日までの1年10カ月ミラノに滞在。その期間、北イタリアを中心に115ヶ所の街を訪ねました。それも、ほとんどが公共交通機関を利用したものです。この経験で得た情報を一人でも多くのイタリア好きの人に伝えるためのブログです。

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