2010-12-31(Fri)
バール / ドンナ / ポン・サン・マルテン
まだ行っていないフランス国境の街アオスタに行こうと思って調べていたら、イタリアの「最も美しい村」に選ばれているバールという小さな村の名が出てきました。このバールはヴァル・ダオスタ(アオスタ渓谷)州モンテ・ローザのコミューネに属する人口134人の小さな村で、アオスタ渓谷の中で一番狭いところにあり、古くから重要な要塞があったところだったのです。興味が湧いて、更に調べてみると、今までにも何度か出てきたフランチジェーナ街道がこのアオスタ渓谷を通っていて、ナポレオンが越えたグラン・サン・ベルナール峠を抜けてフランスに通じているのです。しかも、あのシーザーもガリア遠征で通っているローマ時代からの重要な街道でもあったのです。
要するに、バールにある要塞は、フランチジェーナ街道を通って来る北からの侵略者に対する防御のために築かれたものなので、古くは6世紀からあったそうです。この要塞にかかわる一番有名な話は、ナポレオンがフランスからグラン・サン・ベルナール峠を越えてイタリアに侵略してきたとき、この小さな要塞を包囲して攻撃したのですが、結局、直ぐに陥落することができずに、途中で諦めて、やっと持ち出すことが出来た15門の大砲だけを持って先に進んだそうです。その後、残ったフランス軍の攻撃で13日後にやっと陥落したのですが、小さな要塞にてこずらされたナポレオンの怒りは収まらず、オーストリア軍を破った後に、この小さな要塞を跡形もなく破壊するように命じたそうです。現在ある要塞は、ナポレオン没落後に、サヴォイア家が、フランス軍の再度の侵略を恐れて1838年に再建されたものです。
そんなところにあるバールという小さな村はどんな村なのか、アオスタよりも興味が湧いて、早速、行くことにしました。バールはBardと書きます。要するに、このあたりの地名はフランス語読みになっています。同じく、フランス語読みのポン・サン・マルテン(“Pont Saint Martin”と書き“聖マルティン橋”の意味)の鉄道駅からバスに乗ってバール村に着くと、19世紀に建てられた丘の上の要塞が綺麗に見えます。そして、もちろん、周りのアルプスの山々がとても綺麗です。

バール村は、要塞の建つ丘の麓を通るフランチジェーナ街道の両側に並ぶ長さ50メートルほどの集落です。この集落にある14,5,6世紀に建てられた23の家々が歴史的建造物として保護されているそうです。23の家々ということは、集落のほとんどの家になってしまいます。集落のちょうど真ん中あたりに噴水があり、そこに奇妙な石像があります。この石像が何なのか何時出来たのかは誰も知らないそうです。何しろ、フランチジェーナ街道はローマ時代からあるのですから、この石像もそれ相応の歴史があるのでしょう。


バール村の中に、100メートルの高さにある要塞に上がる無料リフト乗り場があります。4つのリフトを乗り継いで城砦の上まで上がるようになっているのですが、乗り場にあるインフォメーションの女の子が、リフトに乗るよりも歩いて登ったほうが良い景色を見ることが出来ると教えてくれて、歩いて登ることにしました。100メートル登るのは大変だと考えていたのですが、とにかく、周りの景色が素晴らしいので、疲れを感じないうちに登りきることができました。19世紀に建てられた要塞自体はそれほどでもないのですが、周りの景色は百万ドルです。ここがアオスタ渓谷の一番狭いところであり、ポー川に繋がるドーラ・バルデア川に沿ったバール村に入っていく1本の街道の防衛には最適な場所であることが良くわかります。但し、川に平行に高速道路が走っているのだけが昔と違います。

要塞から下りて、もう一度、フランチジェーナ街道に戻り、昔の人のように隣村のドンナまで歩いてみることにしました。バール村を出でも石畳の街道が続いています。しばらく歩くと、遺跡のような廃墟がありました。何も説明がないので分かりませんが、勝手に、ローマ時代の遺跡だと思い込みました。もちろん、中世の建物の廃墟かもしれませんが、少なくとも、数百年以上の昔であることは間違いないと思います。

10分歩くと、ドンナ村の入口付近に、今度は、間違いなくローマ時代の街道跡の遺跡がありました。ちゃんと説明のパネルもあります。ここには、アーチ型の門があり、ローマ時代に舗装された石の道には荷車の轍の跡も残っています。ポンペイで見た轍の跡と同じものです。驚いたことに、こんな重要な遺跡であるにもかかわらず、管理する人は誰もいませんし、フェンスがないので立ち入りも自由なのです。従って、2000年前のローマ時代の道の上を自由に歩くことが出来ます。

もっと、驚いたことに、このローマ時代の道がそのままドンナ村旧市街の真ん中を通る道に繋がっているのです。ドンナ村の旧市街は全く観光化されてなく、まだここにも住民が住んでいるのです。唯、この旧市街の入口(ローマ遺跡の反対側)にあるアーチの門には、「ここから中世の村」とだけ表示されていました。でも、実際には、中世からローマ時代に続くタイム・トラヴェルの道なのです。

フランチジェーナ街道は、更に、続いています。但し、ドンナ村とポン・サン・マルテンの間は、昔の街道として独立してなく、現在の国道に取り込まれてしまっています。ちょっと残念ですが、仕方がありません。それでも、周囲の山々と葡萄畑の景色がとても綺麗です。10分も歩くと、ポン・サン・マルテンの街に入りました。この街もとても綺麗です。街の裏に聳える山のうえには2つのお城が見えます。1つは19世紀後半に建てられた赤と白の綺麗なお城です。バライン城と言って、今は、ワイン博物館になっているそうです。もう1つは14世紀に建てられたお城で、今では廃墟になっていて、しかも崖淵にあるので近くにも行けないそうです。


ポン・サン・マルテンは、先ほども書きましたが、“聖マルティン橋”の意味です。その名の通り、この街には有名なローマ時代の橋があるのです。この橋はフランチジェーナ街道の一部として紀元1世紀に造られた長さ31メートルの立派なものです。2000年以上経った今でもがっちりしていて問題なく使えるのですから、ローマ時代の技術は大変なものです。橋の脇の小さな公園の中に小さな博物館があり、ローマ時代の橋の工法をイタリア語と英語で丁寧に説明しています。

フランチジェーナ街道は、ここからピエモンテ州に入って、イヴレーア、ヴェルチェッリ、モルターラ、ロンバルディ州のパヴィア、エミリア・ロマーニャ州のピアチェンツァ、フィデンツァ、トスカーナ州のポントレモーリ、ルッカ、サン・ジミニャーノ、シエナ、オルチャ渓谷を抜けてラッツィオ州に入り、ローマまで続きます。これらの通過する街は、すべて観光したくなってしまいます。でも、今回は、ここポン・サン・マルテンで終わりです。この橋からポン・サン・マルテンの駅までは、歩いて10分足らずです。
ポン・サン・マルテンからバールまでのバスは、アオスタとイヴレーア間を走るSademバスLinea 0160です。平日・土曜日は1時間間隔ですが、日曜日は朝の10時過ぎまでしかありません。バールまでは停留所3つで10分足らずです。料金は片道1ユーロで、チケットはバスの中で購入します。
ミラノからポン・サン・マルテンまでは、ミラノ中央駅からトリノ行き(1時間間隔)の普通列車に乗って約1時間半のキヴァッソ駅でアオスタ行きの普通列車に乗換えて40分です。ミラノからだと乗換を入れて合計2時間半かかります。但し、キヴァッソからアオスタ行きの普通列車は午前中9時発以外にはありません。従って、ミラノ中央駅7時15分発に乗らなければこの列車に間に合いません。でも、午後になると12時過ぎからは1時間に1本以上あります。料金はミラノから通しで10.85ユーロです。
帰りは、午後になるので、ポン・サン・マルテンからキヴァッソ行きは夜8時過ぎまで1時間に1本以上ありますので問題ありません。キヴァッソからも1時間間隔でミラノ行きがあります。
要するに、バールにある要塞は、フランチジェーナ街道を通って来る北からの侵略者に対する防御のために築かれたものなので、古くは6世紀からあったそうです。この要塞にかかわる一番有名な話は、ナポレオンがフランスからグラン・サン・ベルナール峠を越えてイタリアに侵略してきたとき、この小さな要塞を包囲して攻撃したのですが、結局、直ぐに陥落することができずに、途中で諦めて、やっと持ち出すことが出来た15門の大砲だけを持って先に進んだそうです。その後、残ったフランス軍の攻撃で13日後にやっと陥落したのですが、小さな要塞にてこずらされたナポレオンの怒りは収まらず、オーストリア軍を破った後に、この小さな要塞を跡形もなく破壊するように命じたそうです。現在ある要塞は、ナポレオン没落後に、サヴォイア家が、フランス軍の再度の侵略を恐れて1838年に再建されたものです。
そんなところにあるバールという小さな村はどんな村なのか、アオスタよりも興味が湧いて、早速、行くことにしました。バールはBardと書きます。要するに、このあたりの地名はフランス語読みになっています。同じく、フランス語読みのポン・サン・マルテン(“Pont Saint Martin”と書き“聖マルティン橋”の意味)の鉄道駅からバスに乗ってバール村に着くと、19世紀に建てられた丘の上の要塞が綺麗に見えます。そして、もちろん、周りのアルプスの山々がとても綺麗です。



バール村は、要塞の建つ丘の麓を通るフランチジェーナ街道の両側に並ぶ長さ50メートルほどの集落です。この集落にある14,5,6世紀に建てられた23の家々が歴史的建造物として保護されているそうです。23の家々ということは、集落のほとんどの家になってしまいます。集落のちょうど真ん中あたりに噴水があり、そこに奇妙な石像があります。この石像が何なのか何時出来たのかは誰も知らないそうです。何しろ、フランチジェーナ街道はローマ時代からあるのですから、この石像もそれ相応の歴史があるのでしょう。






バール村の中に、100メートルの高さにある要塞に上がる無料リフト乗り場があります。4つのリフトを乗り継いで城砦の上まで上がるようになっているのですが、乗り場にあるインフォメーションの女の子が、リフトに乗るよりも歩いて登ったほうが良い景色を見ることが出来ると教えてくれて、歩いて登ることにしました。100メートル登るのは大変だと考えていたのですが、とにかく、周りの景色が素晴らしいので、疲れを感じないうちに登りきることができました。19世紀に建てられた要塞自体はそれほどでもないのですが、周りの景色は百万ドルです。ここがアオスタ渓谷の一番狭いところであり、ポー川に繋がるドーラ・バルデア川に沿ったバール村に入っていく1本の街道の防衛には最適な場所であることが良くわかります。但し、川に平行に高速道路が走っているのだけが昔と違います。



要塞から下りて、もう一度、フランチジェーナ街道に戻り、昔の人のように隣村のドンナまで歩いてみることにしました。バール村を出でも石畳の街道が続いています。しばらく歩くと、遺跡のような廃墟がありました。何も説明がないので分かりませんが、勝手に、ローマ時代の遺跡だと思い込みました。もちろん、中世の建物の廃墟かもしれませんが、少なくとも、数百年以上の昔であることは間違いないと思います。



10分歩くと、ドンナ村の入口付近に、今度は、間違いなくローマ時代の街道跡の遺跡がありました。ちゃんと説明のパネルもあります。ここには、アーチ型の門があり、ローマ時代に舗装された石の道には荷車の轍の跡も残っています。ポンペイで見た轍の跡と同じものです。驚いたことに、こんな重要な遺跡であるにもかかわらず、管理する人は誰もいませんし、フェンスがないので立ち入りも自由なのです。従って、2000年前のローマ時代の道の上を自由に歩くことが出来ます。



もっと、驚いたことに、このローマ時代の道がそのままドンナ村旧市街の真ん中を通る道に繋がっているのです。ドンナ村の旧市街は全く観光化されてなく、まだここにも住民が住んでいるのです。唯、この旧市街の入口(ローマ遺跡の反対側)にあるアーチの門には、「ここから中世の村」とだけ表示されていました。でも、実際には、中世からローマ時代に続くタイム・トラヴェルの道なのです。



フランチジェーナ街道は、更に、続いています。但し、ドンナ村とポン・サン・マルテンの間は、昔の街道として独立してなく、現在の国道に取り込まれてしまっています。ちょっと残念ですが、仕方がありません。それでも、周囲の山々と葡萄畑の景色がとても綺麗です。10分も歩くと、ポン・サン・マルテンの街に入りました。この街もとても綺麗です。街の裏に聳える山のうえには2つのお城が見えます。1つは19世紀後半に建てられた赤と白の綺麗なお城です。バライン城と言って、今は、ワイン博物館になっているそうです。もう1つは14世紀に建てられたお城で、今では廃墟になっていて、しかも崖淵にあるので近くにも行けないそうです。






ポン・サン・マルテンは、先ほども書きましたが、“聖マルティン橋”の意味です。その名の通り、この街には有名なローマ時代の橋があるのです。この橋はフランチジェーナ街道の一部として紀元1世紀に造られた長さ31メートルの立派なものです。2000年以上経った今でもがっちりしていて問題なく使えるのですから、ローマ時代の技術は大変なものです。橋の脇の小さな公園の中に小さな博物館があり、ローマ時代の橋の工法をイタリア語と英語で丁寧に説明しています。



フランチジェーナ街道は、ここからピエモンテ州に入って、イヴレーア、ヴェルチェッリ、モルターラ、ロンバルディ州のパヴィア、エミリア・ロマーニャ州のピアチェンツァ、フィデンツァ、トスカーナ州のポントレモーリ、ルッカ、サン・ジミニャーノ、シエナ、オルチャ渓谷を抜けてラッツィオ州に入り、ローマまで続きます。これらの通過する街は、すべて観光したくなってしまいます。でも、今回は、ここポン・サン・マルテンで終わりです。この橋からポン・サン・マルテンの駅までは、歩いて10分足らずです。
ポン・サン・マルテンからバールまでのバスは、アオスタとイヴレーア間を走るSademバスLinea 0160です。平日・土曜日は1時間間隔ですが、日曜日は朝の10時過ぎまでしかありません。バールまでは停留所3つで10分足らずです。料金は片道1ユーロで、チケットはバスの中で購入します。
ミラノからポン・サン・マルテンまでは、ミラノ中央駅からトリノ行き(1時間間隔)の普通列車に乗って約1時間半のキヴァッソ駅でアオスタ行きの普通列車に乗換えて40分です。ミラノからだと乗換を入れて合計2時間半かかります。但し、キヴァッソからアオスタ行きの普通列車は午前中9時発以外にはありません。従って、ミラノ中央駅7時15分発に乗らなければこの列車に間に合いません。でも、午後になると12時過ぎからは1時間に1本以上あります。料金はミラノから通しで10.85ユーロです。
帰りは、午後になるので、ポン・サン・マルテンからキヴァッソ行きは夜8時過ぎまで1時間に1本以上ありますので問題ありません。キヴァッソからも1時間間隔でミラノ行きがあります。
スポンサーサイト