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2010-12-31(Fri)

バール / ドンナ / ポン・サン・マルテン

まだ行っていないフランス国境の街アオスタに行こうと思って調べていたら、イタリアの「最も美しい村」に選ばれているバールという小さな村の名が出てきました。このバールはヴァル・ダオスタ(アオスタ渓谷)州モンテ・ローザのコミューネに属する人口134人の小さな村で、アオスタ渓谷の中で一番狭いところにあり、古くから重要な要塞があったところだったのです。興味が湧いて、更に調べてみると、今までにも何度か出てきたフランチジェーナ街道がこのアオスタ渓谷を通っていて、ナポレオンが越えたグラン・サン・ベルナール峠を抜けてフランスに通じているのです。しかも、あのシーザーもガリア遠征で通っているローマ時代からの重要な街道でもあったのです。
要するに、バールにある要塞は、フランチジェーナ街道を通って来る北からの侵略者に対する防御のために築かれたものなので、古くは6世紀からあったそうです。この要塞にかかわる一番有名な話は、ナポレオンがフランスからグラン・サン・ベルナール峠を越えてイタリアに侵略してきたとき、この小さな要塞を包囲して攻撃したのですが、結局、直ぐに陥落することができずに、途中で諦めて、やっと持ち出すことが出来た15門の大砲だけを持って先に進んだそうです。その後、残ったフランス軍の攻撃で13日後にやっと陥落したのですが、小さな要塞にてこずらされたナポレオンの怒りは収まらず、オーストリア軍を破った後に、この小さな要塞を跡形もなく破壊するように命じたそうです。現在ある要塞は、ナポレオン没落後に、サヴォイア家が、フランス軍の再度の侵略を恐れて1838年に再建されたものです。

そんなところにあるバールという小さな村はどんな村なのか、アオスタよりも興味が湧いて、早速、行くことにしました。バールはBardと書きます。要するに、このあたりの地名はフランス語読みになっています。同じく、フランス語読みのポン・サン・マルテン(“Pont Saint Martin”と書き“聖マルティン橋”の意味)の鉄道駅からバスに乗ってバール村に着くと、19世紀に建てられた丘の上の要塞が綺麗に見えます。そして、もちろん、周りのアルプスの山々がとても綺麗です。
31072010_06_バール城・外観_001 31072010_07_バール城と景観_003 31072010_07_バール城と景観_008

バール村は、要塞の建つ丘の麓を通るフランチジェーナ街道の両側に並ぶ長さ50メートルほどの集落です。この集落にある14,5,6世紀に建てられた23の家々が歴史的建造物として保護されているそうです。23の家々ということは、集落のほとんどの家になってしまいます。集落のちょうど真ん中あたりに噴水があり、そこに奇妙な石像があります。この石像が何なのか何時出来たのかは誰も知らないそうです。何しろ、フランチジェーナ街道はローマ時代からあるのですから、この石像もそれ相応の歴史があるのでしょう。
31072010_04_バール旧市街・ロマーナ街道_003 31072010_04_バール旧市街・ロマーナ街道_006 31072010_04_バール旧市街・ロマーナ街道_011
31072010_04_バール旧市街・ロマーナ街道_013 31072010_04_バール旧市街・ロマーナ街道_014 31072010_04_バール旧市街・ロマーナ街道_016

バール村の中に、100メートルの高さにある要塞に上がる無料リフト乗り場があります。4つのリフトを乗り継いで城砦の上まで上がるようになっているのですが、乗り場にあるインフォメーションの女の子が、リフトに乗るよりも歩いて登ったほうが良い景色を見ることが出来ると教えてくれて、歩いて登ることにしました。100メートル登るのは大変だと考えていたのですが、とにかく、周りの景色が素晴らしいので、疲れを感じないうちに登りきることができました。19世紀に建てられた要塞自体はそれほどでもないのですが、周りの景色は百万ドルです。ここがアオスタ渓谷の一番狭いところであり、ポー川に繋がるドーラ・バルデア川に沿ったバール村に入っていく1本の街道の防衛には最適な場所であることが良くわかります。但し、川に平行に高速道路が走っているのだけが昔と違います。
31072010_07_バール城と景観_015 31072010_08_バール城からの戻りと景観_002 31072010_07_バール城と景観_019

要塞から下りて、もう一度、フランチジェーナ街道に戻り、昔の人のように隣村のドンナまで歩いてみることにしました。バール村を出でも石畳の街道が続いています。しばらく歩くと、遺跡のような廃墟がありました。何も説明がないので分かりませんが、勝手に、ローマ時代の遺跡だと思い込みました。もちろん、中世の建物の廃墟かもしれませんが、少なくとも、数百年以上の昔であることは間違いないと思います。
31072010_10_古代ローマの街道・バール郊外_010 31072010_10_古代ローマの街道・バール郊外_002 31072010_10_古代ローマの街道・バール郊外_003

10分歩くと、ドンナ村の入口付近に、今度は、間違いなくローマ時代の街道跡の遺跡がありました。ちゃんと説明のパネルもあります。ここには、アーチ型の門があり、ローマ時代に舗装された石の道には荷車の轍の跡も残っています。ポンペイで見た轍の跡と同じものです。驚いたことに、こんな重要な遺跡であるにもかかわらず、管理する人は誰もいませんし、フェンスがないので立ち入りも自由なのです。従って、2000年前のローマ時代の道の上を自由に歩くことが出来ます。
31072010_11_古代ローマの街道・ドンナ郊外_005 31072010_11_古代ローマの街道・ドンナ郊外_008 31072010_11_古代ローマの街道・ドンナ郊外_011

もっと、驚いたことに、このローマ時代の道がそのままドンナ村旧市街の真ん中を通る道に繋がっているのです。ドンナ村の旧市街は全く観光化されてなく、まだここにも住民が住んでいるのです。唯、この旧市街の入口(ローマ遺跡の反対側)にあるアーチの門には、「ここから中世の村」とだけ表示されていました。でも、実際には、中世からローマ時代に続くタイム・トラヴェルの道なのです。
31072010_12_古代ローマの街道・ドンナ中世の村_001 31072010_12_古代ローマの街道・ドンナ中世の村_010 31072010_12_古代ローマの街道・ドンナ中世の村_012

フランチジェーナ街道は、更に、続いています。但し、ドンナ村とポン・サン・マルテンの間は、昔の街道として独立してなく、現在の国道に取り込まれてしまっています。ちょっと残念ですが、仕方がありません。それでも、周囲の山々と葡萄畑の景色がとても綺麗です。10分も歩くと、ポン・サン・マルテンの街に入りました。この街もとても綺麗です。街の裏に聳える山のうえには2つのお城が見えます。1つは19世紀後半に建てられた赤と白の綺麗なお城です。バライン城と言って、今は、ワイン博物館になっているそうです。もう1つは14世紀に建てられたお城で、今では廃墟になっていて、しかも崖淵にあるので近くにも行けないそうです。
31072010_13_古代ローマの街道・ドンナ村と景色_005 31072010_13_古代ローマの街道・ドンナ村と景色_008 31072010_14_古代ローマの街道・ポンサンマルテン街と景色_003
31072010_14_古代ローマの街道・ポンサンマルテン街と景色_004 31072010_17_古代ローマの街道・ポンテ・ロマーナからの景色_001 31072010_15_古代ローマの街道・花_007

ポン・サン・マルテンは、先ほども書きましたが、“聖マルティン橋”の意味です。その名の通り、この街には有名なローマ時代の橋があるのです。この橋はフランチジェーナ街道の一部として紀元1世紀に造られた長さ31メートルの立派なものです。2000年以上経った今でもがっちりしていて問題なく使えるのですから、ローマ時代の技術は大変なものです。橋の脇の小さな公園の中に小さな博物館があり、ローマ時代の橋の工法をイタリア語と英語で丁寧に説明しています。
31072010_16_古代ローマの街道・ポンテ・ロマーナ_007 31072010_16_古代ローマの街道・ポンテ・ロマーナ_009 31072010_16_古代ローマの街道・ポンテ・ロマーナ_021

フランチジェーナ街道は、ここからピエモンテ州に入って、イヴレーア、ヴェルチェッリ、モルターラ、ロンバルディ州のパヴィア、エミリア・ロマーニャ州のピアチェンツァ、フィデンツァ、トスカーナ州のポントレモーリ、ルッカ、サン・ジミニャーノ、シエナ、オルチャ渓谷を抜けてラッツィオ州に入り、ローマまで続きます。これらの通過する街は、すべて観光したくなってしまいます。でも、今回は、ここポン・サン・マルテンで終わりです。この橋からポン・サン・マルテンの駅までは、歩いて10分足らずです。

ポン・サン・マルテンからバールまでのバスは、アオスタとイヴレーア間を走るSademバスLinea 0160です。平日・土曜日は1時間間隔ですが、日曜日は朝の10時過ぎまでしかありません。バールまでは停留所3つで10分足らずです。料金は片道1ユーロで、チケットはバスの中で購入します。
ミラノからポン・サン・マルテンまでは、ミラノ中央駅からトリノ行き(1時間間隔)の普通列車に乗って約1時間半のキヴァッソ駅でアオスタ行きの普通列車に乗換えて40分です。ミラノからだと乗換を入れて合計2時間半かかります。但し、キヴァッソからアオスタ行きの普通列車は午前中9時発以外にはありません。従って、ミラノ中央駅7時15分発に乗らなければこの列車に間に合いません。でも、午後になると12時過ぎからは1時間に1本以上あります。料金はミラノから通しで10.85ユーロです。
帰りは、午後になるので、ポン・サン・マルテンからキヴァッソ行きは夜8時過ぎまで1時間に1本以上ありますので問題ありません。キヴァッソからも1時間間隔でミラノ行きがあります。
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2010-12-29(Wed)

ベッリンツォーナ

今回は国境を越えてスイスに行ってきました。とは言っても、ミラノ中央駅からユーロスターで1時間25分のところなのです。ここも簡単に行けると考えていて後回しにしていたところです。ですから、スイスといってもイタリア語が通じますし、違うのはパスポートを持って行くことぐらいです。そのパスポートも一度も検査されることはありませんでした。ベッリンツォーナは、2000年に世界遺産に登録された“旧市街と3つのお城”がありますが、それだけでなく、アルプスの麓にある人口17000人の街は景色も最高です。

ベッリンツォーナは鉄道駅があることでもわかるように、テチーノ渓谷にある古くからの交通の要所で、最初に城壁が造られたのはローマ時代の紀元4世紀だそうです。現在見ることが出来る3つの城と城壁は13~15世紀にかけて建てられたものです。この3つのお城は、もちろん、テチーノ渓谷を通って攻めてくる北からの侵略者に備えたものです。旧市街の直ぐ西にある高さ50メートルの岩の上にあるお城がカステル・グランデで、ミラノのヴィスコンティ家が13世紀に建てたもので、14世紀にはその城壁は、西1キロ先を流れるテチーネ川まで延ばしたそうです。スフォルツァ家が15世紀に補強したものが現在まで残っています。2つ目のお城はモンテベッロ城で、旧市街の東、現在の鉄道線路の先にある高さ90メートルの丘の上に、コモの領主であったルスコニ家によって、13/14世紀にかけて建てられました。この時期、ヴィスコンティ家とルスコニ家はこの地で両立していたそうです。3つ目のお城は、モンテベッロ城の更に東にある高さ230メートルの山の上に、スフォルツァ家が15世紀に僅か6ヶ月で建てたと言われるコルバーロ城です。
25072010_15_ベッリンツォーナ街並3_006 25072010_11_カステルグランデ_041 25072010_02_ベッリンツォーナ街並1_003

駅に到着しても、ここがスイスだという感覚はまったくありませんし、イタリアとの違いも感じません。旧市街は駅から2,3分のところですので、お城を見る前に、旧市街の散策を始めました。旧市街に入ると直ぐに広場があり、そこにこの街の教区教会であるコッレガーテ教会があります。ここが旧市街の中心です。
25072010_03_コッレジアーテ教会_002 25072010_03_コッレジアーテ教会_005 25072010_03_コッレジアーテ教会_008

広場の直ぐ近くにインフォメーションのあるコミューネがあり、その先のインディペンデンツ広場にはサン・ロッコ教会があります。ここまでが旧市街です。要するに、ここの旧市街はすごく小さいのです。
25072010_04_コムーネとコムーネ広場_001 25072010_04_コムーネとコムーネ広場_010 25072010_05_インディペンデンツァ広場_002

旧市街を出て、更に南に進むと300メートル先に小さなサンタ・マリア・デッラ・グラッツェ教会があります。この教会に入ると正面にキリストの生涯を描いた見事なフレスコ画があります。また、東の丘の上にある小さなロマネスク様式のサン・ビアジォ教会のフレスコ画も見事です。この2つの教会は旧市街の外にあり、観光コースを外れているのですが、アルプスの麓にある田舎の教会の雰囲気が漂っています。
25072010_07_SMDグラッツェ教会_009 25072010_09_サンビアジョ教会_002 25072010_09_サンビアジョ教会_008

2つの教会を見た後、旧市街に戻る道すがら見えるカステル・グランデとモンテベッロ城は、これから見に行く期待を膨らませるのに十分な眺めでした。
25072010_08_ベッリンツォーラ街外れ1_005 25072010_10_ベッリンツォーラ街外れ2_003 25072010_10_ベッリンツォーラ街外れ2_011

旧市街に戻ると早速カステル・グランデに入りました。ここは入場無料なので、城内にいるたくさんの観光客は、公園にいるような感じでくつろいでいます。城塔に登ると、周りの素晴らしい景色が一望できます。隣のモンテベッロ城はもちろんのこと、その先にあるコルバーロ城も良く見えます。それに加えて、周りの山々は素晴らしく、いつまでも見ていたいくらいです。テチーネ川まで続く城壁も散策コースになっていて、どこまでも歩いていくことが出来ます。また、城壁の下には石のトンネルの通路があって、そこも歩いて通れます。この通路は、戦時に兵隊や兵器を安全に運ぶ為に造られたのだと思います。
25072010_11_カステルグランデ_007 25072010_11_カステルグランデ_010 25072010_11_カステルグランデ_022
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旧市街のコッレガーテ教会の横の脇道を抜けると、2つ目のモンテベッロ城に繋がる登り道があります。90メートルの登り階段はちょっと大変でしたが、モンテベッロ城に辿り着くと、カステル・グランデに勝る景色が待っていました。ここからのほうが、3つ目の城であるコルバーロ城が良く見えます。それに、先ほどのカステル・グランデの全貌とベッリンツォーナの旧市街を眺めることが出来るのです。ここからの眺めは世界遺産の眺めです。
25072010_12_ベッリンツォーナ街並2_001002 25072010_13_モンテベッロ城_006 25072010_13_モンテベッロ城_016
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230メートルの高さにある3つ目のお城コルバーロ城はパスしました。2つのお城を見ればもう疲労度も十分です。ベッリンツォーナの旧市街に戻り、一休みして駅に戻りました。帰りの列車の車窓からはルガーノ湖が楽しめます。ルガーノ湖もミラノから近いのですが、ほとんどがスイス領ですので、なかなか足がそちらに向きません。
25072010_13_モンテベッロ城_065 25072010_14_モンテベッロ城下りと城壁_003 25072010_17_ルガーノ湖_001

ミラノ中央駅からベッリンツォーナまでは、2時間間隔で出ているユーロシティのチューリッヒ行き国際列車に乗ります。所要時間1時間25分で料金は24ユーロです。国際列車ですが、チケットの購入はイタリア国内と全く同じです。もちろん、イタリアで帰りのチケットまで買うことが出来ますから、いつものように往復を買っておきました。但し、国内と違ってインターネットのチケットレス・サーヴィスは適用されませんので、インターネットで予約購入しても、当日に駅でチケットを受け取らなくてはいけません。
スイスは外国ですから、パスポートは検査がなくても必ず携帯する必要があります。国境を越えると車内で一応パスポート検査があり、荷物の多い人にはパスポートの提示を要求していました。
ベッリンツォーナでのお金は、ユーロでもスイス・フランでも、どちらも使うことが出来ますので、スイス・フランに両替する必要もありません。従って、全く国内旅行と同じ感覚で旅行を楽しめます。

ミラノ中央駅からチューリッヒまで行くと所要時間は3時間45分(102.2ユーロ)だそうです。2010年の秋には新しいトンネルが出来るので、もっと短い時間で行けるはずです。そうなると、チューリッヒもミラノからの日帰り旅行範囲内に入ってくるかもしれません。
2010-12-23(Thu)

パドヴァ

パドヴァもいつか行くつもりでいたのですが、行きたいところが多かったのですっかり忘れていました。簡単に行けるところなので後回しにしていたのが原因です。しかし、この街は後回しにするようなところではなかったのです。この街で世界遺産に登録されているのはオルト・ボタニコと呼ばれる世界で一番古い植物園だけなのですが、それ以外にも見所がいっぱいありました。その理由は、パドヴァがヴェネツィアに支配される前の14世紀まで統治していたカッラーラ家が数多くの芸術家を集めてこの街に文化の花を咲かせたことにあります。パドヴァの人達を未だにカッラレーゼと呼ぶのはこの影響が如何に大きかったかを証明しています。

朝の10時にパドヴァの駅に到着すると、直ぐにサンタントニオ聖堂に向かいました。というのも、サンタントニオ聖堂とオルト・ボタニコは午後1時から昼休みで閉まってしまうからです。それに加えて、午後3時からはスクロヴェーニ礼拝堂の入場予約をしていたので、植物園までをどうして午後1時までに見ておきたかったのです。
24072010_02_パドヴァ街並1_001 24072010_02_パドヴァ街並1_008 24072010_02_パドヴァ街並1_011

聖アントニオはパドヴァの聖人ですがリスボン生まれのポルトガル人です。聖フランチェスコを慕ってイタリアまで来た聖アントニオは生前に数々の奇跡を起こしたことで、今でも多くの人々が信仰しています。 従って、ポルトガルやブラジルでも国の聖人となっています。パドヴァにあるサンタントニオ聖堂は聖アントニオの総本山ですので、イタリアだけでなく、これらの海外からも巡礼で訪れる人が絶えません。巡礼者は年間500万人にも上ると言われています。1310年に一度は完成した聖堂は15世紀までに何度か改築されて、今や素晴らしく豪華な聖堂としてたくさんの巡礼者を迎えています。こういう聖堂は見ておかなければいけません。
24072010_03_サント広場_002 24072010_04_サンタントニオ聖堂外観_001 24072010_04_サンタントニオ聖堂外観_010
24072010_05_サンタントニオ聖堂内部_013 24072010_05_サンタントニオ聖堂内部_011 24072010_05_サンタントニオ聖堂内部_009

この総本山の聖堂に付属して、修道院、サンジョルジョ礼拝堂(入場料2.5ユーロ)及び信者会の礼拝堂があり、全部を見学することが出来ます。但し、内部はいずれも撮影禁止となっています(聖堂内は撮影禁止と知らずに撮影してしまいました)。絵葉書とお土産及び巡礼者のための聖具は修道院の回廊に大きな売店があり、たくさんの観光客と巡礼者が買い物をしていました。こういう光景は、日本にあるお寺の総本山と良く似ています。
24072010_07_サンジョルジョ礼拝堂_001 24072010_06_サンタントニオ聖堂回廊_022 24072010_06_サンタントニオ聖堂回廊_009

植物園に行く前に、もう1つの大きなサンタ・ジェスティーナ聖堂に立寄りました。ここは、モーツアルトがオルガンを弾いたと言われている教会です。聖堂は大きすぎて半分は使っていないようです。それでも、後陣の横奥に礼拝堂と廟があり、そこのフレスコ画は素晴らしいものでした。
24072010_09_サンタジュスティーナ聖堂_003 24072010_10_サンタジュスティーナ聖堂内部_004 24072010_10_サンタジュスティーナ聖堂内部_005

さて、パドヴァ唯一の世界遺産である植物園オルト・ボタニコです。この植物園はパドヴァ大学の研究機関として1545年に開園された世界最古の植物園です。この中で一番古い植物は建物で保護されている椰子の木で、1585年に植えられたそうです。その他にもいろいろな品種の植物があります。この時期、一番綺麗な花は蓮の花でした。
24072010_12_植物園オルト・ボタニコ風景_001 24072010_12_植物園オルト・ボタニコ風景_003 24072010_12_植物園オルト・ボタニコ風景_010
24072010_13_植物園オルト・ボタニコ花_001 24072010_13_植物園オルト・ボタニコ花_004 24072010_13_植物園オルト・ボタニコ花_010

午後1時の閉館まで植物鑑賞して、いよいよパドヴァの街歩きの開始です。午後3時までたっぷりと時間はあります。先ほどのサンタ・ジェスティーナ聖堂前には、楕円形をした大きな広場プラトー・デッラ・ヴァッレがあります。楕円形の広場の周囲には水路があり、その両岸には芸術家や偉人たちの真っ白な彫刻が並んでいるのです。水路の内側には緑の芝生が植えられていて子供たちが遊んでいます。この日は水路の外側に街頭市が並んでいて、たくさんの人々が買い物をしていました。この広場が楕円形なのは、ローマ時代の円形闘技場跡をそのまま広場にしたからです。
24072010_15_プラート・デッラ・ヴァッレ_017 24072010_15_プラート・デッラ・ヴァッレ_019 24072010_15_プラート・デッラ・ヴァッレ_004

プラトー・デッラ・ヴァッレから、ミラノと違って汚れていないトラムが走る大通りを越えると、街の中心部に繋がるメインストリートのローマ通りです。ここで腹ごしらえをしてエルベ広場、フルッタ広場とシニョーリ広場の3つの広場が連なる街の中心部に出ました。この3つの広場はマーケットでもあり白いテントの市が並んでいます。一番多いところは、ヴィチェンツァのロッジアに良く似たラジョーネ宮の1階とその周辺です。ラジョーネ宮1階の中にぎっしりと並んでいる店は、まるで東南アジアの市場のようです。1階がマーケットのラジョーネ宮ですが、2階は有料の観光名所です。入場料4ユーロで中に入ると、体育館のように広い講堂の壁には素晴らしいフレスコ画(ここのフレスコ画は宗教的な絵画ではありません)でびっしりと埋め尽くされています。多すぎて見切れないのですが、入場したときに貰ったカタログに載っているフレスコ画だけ見逃さないように見ました。広い講堂には、ぽつんと大きな木造の馬の彫刻だけが置いてあります。
24072010_16_パドヴァ街並3_006 24072010_17_ラジョーネ宮1階とセニョーリ広場_008 24072010_18_ラジョーネ宮と内部_002
24072010_18_ラジョーネ宮と内部_004 24072010_18_ラジョーネ宮と内部_013 24072010_18_ラジョーネ宮と内部_015

パドヴァのドゥオモもこの3つの広場の近くにあります。ドゥオモの横にある礼拝堂は有料(2.5ユーロ)ですが、入る価値があります。ここも素晴らしいフレスコ画で円筒形の内面が覆われています。
24072010_20_ドゥオモとドゥオモ広場_002 24072010_21_ドゥオモ洗礼堂と内部_002 24072010_21_ドゥオモ洗礼堂と内部_004

午後3時にスクロヴェーニ礼拝堂に行って、入場チケットを受け取り、午後4時の入場までは、同じチケットでカバーされている13世紀に建てられたエレミターニ教会の博物館を見学します。何故か、博物館の人達は非常に親切で、何度もスクロヴェーニ礼拝堂の位置と時間の確認をしてくれます。博物館の中で迷って遅れてしまう人が多いのでしょう。この教会とスクロヴェーニ礼拝堂は、ローマ時代のアレーナの内側にあります。従って、あちこちにアレーナのローマ遺跡が顔を出しています。
24072010_27_エレミターニ教会と博物館_003 24072010_27_エレミターニ教会と博物館_010 24072010_29_アレーナ市民公園_006

いよいよ、スクロヴェーニ礼拝堂に入りました。1回で25名限定ですが、その日の予約でも問題なく入れるようです。でも、インターネットで簡単に予約できますので、パドヴァに来たことが無駄にならないように事前予約したほうが良いと思います。スクロヴェーニ礼拝堂の中は、もちろん撮影禁止ですので、絵葉書を買いました。ここも、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と同じジョットのフレスコ画です。青を基調とした綺麗な色が印象的でした。入場制限するだけのことはあります。見事なフレスコ画でした。
24072010_28_スクロヴェーニ礼拝堂_005 24072010_28_スクロヴェーニ礼拝堂_009 24072010_28_スクロヴェーニ礼拝堂_010

ミラノからパドヴァまでは、朝は30分間隔、10時以降も1時間間隔で出ているヴェネツィア方面行きのユーロスターが便利です。所要時間は2時間強で料金は28ユーロです。ミラノへの戻りも夜の8時過ぎまで1時間間隔でユーロスターがありますから好きな時間に乗って帰るだけです。あまり、乗り物に気を使わずに行くことが出来るところです。
2010-12-18(Sat)

アレッツォ

アッシジからフィレンツェ行きの普通列車に乗り、途中駅のアレッツォで降りました。アレッツォはイタリアの名画「ライフ・イズ・ビューティフル」の舞台となった街です。それだけの理由でこの街にはいつか来たいと考えていました。しかし、調べていくうちに、この街も立派な観光地であることもわかってきて、ついに降りてしまったのです。

アレッツォの駅を降りて、メインストリートであるブランド店も並んでいるイタリア通りを真直ぐに進み、グランデ広場を目指しました。グランデ広場も「ライフ・イズ・ビューティフル」に出てきます。グイドが自転車に乗ってこの広場を走り抜けるシーンがありました。“ボン・ジョルノ・プリンチペッセ”とどこからか聞こえてくるような気がします。でも、天気の良いこの日は、たくさんの観光客や街の人が広場のカフェやお土産屋に群がっているので、映画のようなわけには行きません。それでも、「ライフ・イズ・ビューティフル」のパネルを広場の隅にあるポルチコの柱で見つけたときは感激しました。
18072010_AR06_アレッツォ・グランデ広場_004 18072010_AR06_アレッツォ・グランデ広場_003 18072010_AR06_アレッツォ・グランデ広場_002

アレッツォは「ライフ・イズ・ビューティフル」だけではありません。観光地としても素晴らしいのです。シエナのカンポ広場ように勾配のあるグランデ広場は、古い建物で囲まれて、広場に面したポルチコの下にはカフェが並んでいます。イタリアの広場の中でも素晴らしさでは上位に入ると思います。
18072010_AR06_アレッツォ・グランデ広場_007 18072010_AR06_アレッツォ・グランデ広場_012 18072010_AR06_アレッツォ・グランデ広場_016

そのグランデ広場の一角に見えるのがピエーヴェ・ディ・サンタ・マリア教会の後陣です。後陣にもピサ・ルッカ様式の連続開廊アーチを見ることが出来ますが、イタリア通りに面した正面には40もの連続開廊アーチをもつファサードがあります。
18072010_AR06_アレッツォ・グランデ広場_015 18072010_AR04_サンタ・マリア教会_001 18072010_AR04_サンタ・マリア教会_002

イタリア通りには古い宮殿もあります。また、お城の一画のような遺構があり、この通りが、この街の歴史を一番感じる場所です。更に進むと公園の先にこの街を取り囲む城壁があります。緑豊かな公園は、夏の日差しを遮る木々が茂っていて、街の人の憩いの広場となっています。公園の直ぐ横にある盛り上がった城壁はフォルテッツァと呼ばれる五角形の要塞です。まるで、日本のお城の石垣のようです。
18072010_AR03_アレッツォ・イタリア通り_002 18072010_AR05_アレッツォ・イタリア通り_003 18072010_AR05_アレッツォ・イタリア通り_008
18072010_AR08_アレッツォ・城壁公園と景色_005 18072010_AR08_アレッツォ・城壁公園と景色_010 18072010_AR07_アレッツォ・フォルテッツァ_006

フォルテッツァと反対側にはアレッツォのカテドラーレが見えます。この14世紀に建てられたゴシック建築は、人口10万人の街にふさわしい大きな大聖堂です。この大聖堂の中には2つの貴重なモニュメントがあります。一つは入口の左奥にある礼拝堂の青と白の陶磁で創られたキリストの磔像(暗くてうまく写真を撮れません)で、もう1つは正面に向かって左の壁にあるマグダラのマリアのフレスコ画です。こんな美しい顔をしたマグダラのマリアの絵は初めて見ました。
18072010_AR08_アレッツォ・城壁公園と景色_012 18072010_AR09_アレッツォ・カテドラーレ_002 18072010_AR09_アレッツォ・カテドラーレ_011

この街のインフォメーションで話を聞くと、この街にはフレスコ画で有名な教会が2つあるそうです。インフォメーションの人に、それを見るように強く薦められて、まず、カテドラーレに近い、13世紀に建てられた小さなゴシック建築のサン・ドメニコ教会に行きました。古いフレスコ画なのでダメージはあるものの素晴らしいフレスコ画には驚かされました。
18072010_AR10_アレッツォ・カテドラーレ広場_010 18072010_AR13_アレッツォ・サンドメニコ教会と広場_001 18072010_AR13_アレッツォ・サンドメニコ教会と広場_008

次は、駅のほうに戻ったところにある14世紀に建てられ15世紀に拡張されたと言われるサン・フランチェスコ教会です。ここは、教会内がほとんどフレスコ画で埋め尽くされています。特に、後陣のフレスコ画が有名で、入場料を払うと後陣のガイドツァーに参加できます。ガイドツァーがある場合は、ほとんどのところが撮影禁止なのですが、ここも同じです。ところが、それと知らずに撮影をしていましたところ注意されてしまいました。それもあって、ガイドツァーはパスして出てきてしまいました。
18072010_AR14_アレッツォ・サンフランチェスコ教会_001 18072010_AR14_アレッツォ・サンフランチェスコ教会_006 18072010_AR14_アレッツォ・サンフランチェスコ教会_008

駅に向かって戻る方向に進んでいましたので、最後に、駅の直ぐ近くにあるローマ時代の円形闘技場の遺跡に向かいました。ここの円形闘技場は、ルッカやアッシジと違って、本当の遺跡です。保存状態はそれほど良くないのですが、一部の観客席はまだ使えるようです。闘技場内には仮設の舞台が設けられ、周りには照明もつけられているので、定期的に、ここで野外ステージを行っているようです。
18072010_AR16_アレッツォ・円形闘技場_008 18072010_AR16_アレッツォ・円形闘技場_002 18072010_AR16_アレッツォ・円形闘技場_004

ぐるりとアレッツォの街を1周しただけですが、見所がいっぱいで期待以上でした。やはり、この街は「ライフ・イズ・ビューティフル」だけではなかったのです。

アッシジからアレッツォまでは2時間間隔で走っている普通列車で1時間半弱です。料金は6.2ユーロでした。アレッツォの駅からグランデ広場までは歩いても10分かかりません。バスも乗りませんから無駄な時間もなく効率的に街を歩き廻ることが出来ます。アレッツォからフィレンツェまでは、1時間間に2,3本の普通列車が走っています。所要時間は1時間~1時間30分で料金は5.8ユーロとなります。フィレンツェはサンタ・マリア・ノッヴェーラ駅に到着しますので、ミラノに戻るユーロスターへの乗換にも便利です。ですから、アレッツォだけなら、ミラノからの日帰り旅行も楽しむことが出来ます。
ミラノとフィレンツェ間は、ユーロスターが便利です。1時間間隔以上の本数があり、所要時間は1時間45分で、料金は51ユーロです。
2010-12-14(Tue)

アッシジ

ルッカからフィレンツェ経由でアッシジまで行きました。ルッカまでの2時間遅れがそのまま残り、アッシジには午後7時前に着く予定だったのが9時前になってしまいました。アッシジの駅前からバスで、山の中腹にある城壁に囲まれた街アッシジの入口に着くと、夏の長い陽も落ちてしまい、誰も歩いていない薄暗い城壁内の中世の石畳の道を一人で歩き始めました。途中のカフェで夕食を取ったので、ホテルについた時間は既に真っ暗でした。ここは山の斜面に築かれた城壁に囲まれた街です。その城壁の内側は完全に中世の街並になっていて、それも、暗くて誰も通らない細い石畳の道ですから、完全にタイムスリップして、ロミオがジュリエットに会いに行くような気分になってしまいます。
アッシジは、聖フランチェスコの街です。聖フランチェスコ(英語ではサンフランシスコです)と言っても日本人にはピンと来ませんが、イタリアでは最大の人気を誇る聖人です。イタリア国の聖人は2人いて、第1聖人は、シエナの聖カテリーナで、第2聖人がアッシジの聖フランチェスコです。従って、シエナとアッシジ、この2つの世界遺産は、イタリア人にとっても特別な街なのかもしれません。

ホテルでぐっすりと眠り、体もカメラも十分に充電された状態で、朝の6時前に目が覚めてしまいました。窓から外を見るとこの日も快晴です。ホテルの朝食は8時からなので、その前に、まだ誰もいないであろう街を散策しました。アッシジの一番高いところに城砦(ロッカ・マッジョーレ)があり、ホテルは城砦から続く城壁に沿ったところにあります。ホテルの直ぐ横にある城門を抜けて城壁の外に出ると、朝日に輝く金色のロッカ・マッジョーレと周りの山々が目の前に広がり、もう、口では言い表せない景色なのです。早起きは3文の得と言いますが、この景色はその何百倍も得をした気分にさせてくれます。
18072010_AS03_アッシジ城外景色_002 18072010_AS03_アッシジ城外景色_005 18072010_AS03_アッシジ城外景色_007

城壁に戻りアッシジの街に入っても、先ほどの景色による気持ちの高ぶりは修まりません。人がほとんどいない静かな朝は、花で飾られてとても綺麗な中世の街並を一層際立たせています。ホテル近くにあるローマ時代の円形闘技場跡外周の楕円形の石畳の道で、お年寄りのご婦人が箒で掃除をしていました。やはり、イタリアでも早起きするのも、街を綺麗にするのも老人なのですね。
18072010_AS02_アッシジのホテル周辺_004 18072010_AS02_アッシジのホテル周辺_005 18072010_AS05_アッシジ円形闘技場周辺街並_001
18072010_AS05_アッシジ円形闘技場周辺街並_004 18072010_AS05_アッシジ円形闘技場周辺街並_010 18072010_AS05_アッシジ円形闘技場周辺街並_011

その先にはアッシジのドゥオモ(サン・ルフィーノ聖堂)が見えています。ドゥオモといってもアッシジでは第3の聖堂なのです。12世紀に建てられたこの教会は、聖フランチェスコと聖キアーラの洗礼を行ったところです。教会の床の一部がガラス張りになっていて、ローマ時代のバシリカの遺跡を見ることが出来ます。
18072010_AS06_アッシジドゥオモ周辺街並_001 18072010_AS07_アッシジドゥオモ_001 18072010_AS07_アッシジドゥオモ_010
18072010_AS07_アッシジドゥオモ_012 18072010_AS08_ドゥオモからキアーラ街並_001 18072010_AS08_ドゥオモからキアーラ街並_002

続いて、13世紀中旬に建てられたアッシジ第2のサンタ・キアーラ聖堂があります。キアーラは若く美しい女性だったそうで、聖フランチェスコを師と仰ぎ、クララ修道院の祖となった人です。クララはキアーラのドイツ語読みですが、クララよりもイタリア語のキアーラのほうが若くて美しい女性を想像できます。聖堂前の広場からの景色も朝日が当たって輝いていました。聖堂の中のクリプトには聖キアーラの亡骸が納められています。この時間、ここにいるのは一人だけなので、聖キアーラが今にも起きて話しかけるのではないかと思ってしまいます。でも、クリプトにある礼拝堂では、既に朝のミサが始まっていました。
18072010_AS10_サンタ・キアーラ教会_001 18072010_AS10_サンタ・キアーラ教会_007 18072010_AS10_サンタ・キアーラ教会_011
18072010_AS09_サンタ・キアーラ教会からの景色_003 18072010_AS09_サンタ・キアーラ教会からの景色_004 18072010_AS11_サンタ・キアーラからコミューネ広場_001

街の中心部のコミューネ広場には、紀元前1世紀に建てられたミネルヴァ神殿があります。16世紀に改修されて、現在はサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会となっています。正面のコリント式の列柱と屋根は紀元前のままです。外観は、青空に伸びている中世の鐘楼と紀元前の建物がマッチしていて、とても素晴らしいのですが、内部はバロック様式の豪華な造りになっていて、ちょっとがっかりです。
18072010_AS12_コミューネ広場_005 18072010_AS13_ミネルヴァ神殿_001 18072010_AS13_ミネルヴァ神殿_003

朝の散策の最後は、この街で一番高いところにある13世紀に再建されたと言われているロッカ・マッジョーレです。街中のどこからでも朝日を浴びて黄金色に輝いていた城砦が良く見えていて、そこに行かずにはいられなかったのです。街の裏手にある花で飾られた細い路地の階段を登ること5分くらいで朝日に輝くお城が目の前に現れました。朝が早いので、入場料2ユーロのお城の門はまだ閉ざされています。しかし、お城の前の広場から、眼下にあるアッシジの街が朝日を浴びて素晴らしく輝いているのが見えます。この光景は、朝のこの時間しか見られないと考えると、何故か感動してしまいました。朝8時の朝食の時間までこの光景をたっぷりと味わいました。
18072010_AS15_ロッカと景色_002 18072010_AS15_ロッカと景色_006 18072010_AS15_ロッカと景色_003
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ホテルに戻って朝食を取りチェックアウト後、もう一度街に出て、朝の散策では見ることの出来なかった、ドゥオモとサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会の内部を見ながら、サン・フランチェスコ大聖堂に向かいました。コミューネ広場から大聖堂に向かう石畳の道は、景色も良くウンブリア州の丘陵地帯を見渡すことが出来ます。また、このあたりも古い建物が続きますので、自然とゆっくりした散策となってしまいます。
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それでも20分も歩くと、雲ひとつない青空を背景に真っ白なアッシジ第1の大聖堂が見えてきました。やはり、この街は聖フランチェスコの街だったことを再認識した瞬間です。街の外れにあるこの大聖堂は、この街を見守っているような威厳があります。13世紀初頭に建てられたこの大聖堂は、地震によって崩壊したのですが、僅か2年で再建されたそうです。それも、内部のフレスコ画まで元通りに直したのですから、やはり、聖フランチェスコの奇跡かもしれません。この街では、聖フランチェスコは、キリストやマリア様以上の存在なのでしょう。さすがに聖フランチェスコの聖地です。大聖堂の周りには、どこからともなく大勢の観光客と巡礼者が湧いてきていました。
18072010_AS18_サン・フランチェスコ大聖堂上層階_003 18072010_AS18_サン・フランチェスコ大聖堂上層階_006 18072010_AS18_サン・フランチェスコ大聖堂上層階_007

有名なジョットとその弟子が描いた聖フランチェスコの生涯を表現したフレスコ画は、この大聖堂の1階の壁面いっぱいに描かれています。ここに、有名な「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」のフレスコ画もあります。但し、撮影禁止なので写真は取れません。代わりに絵葉書を購入しました。
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大聖堂は、地下にも大きな礼拝堂があります。1階は、どちらかというとジョットのフレスコ画美術館で、地下の礼拝堂を日常のミサに使っているようです。地下の礼拝堂には大聖堂の脇の階段を降りたところにある入口から入ります。地下の礼拝堂のクリプトには聖フランチェスコのお墓があり、そこには観光客と巡礼者が列を作っています。朝早くに行った誰もいなかった聖キアーラのお墓とはだいぶ違います。残念ながら、ここも撮影禁止なので絵葉書を買ってきました。
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聖フランチェスコ大聖堂を出て、昨晩、バスが着いたところに向かう道は、もう観光客でいっぱいです。土産物屋もジェラート屋も大繁盛です。バス停のある城門の直ぐ傍には、サン・ピエトロ教会があります。ここも立派な教会なのですが、サン・フランチェスコ大聖堂の影に隠れて、ひっそりとしていました。何度も、大聖堂とアッシジの街を振返りながら、バスに乗ってアッシジの街を後にしました。
18072010_AS19_サン・フランチェスコ大聖堂下層階_006 18072010_AS18_サン・フランチェスコ大聖堂上層階_009 18072010_AS21_サン・ピエトロ聖堂と広場_002
18072010_AS20_サン・フランチェスコ大聖堂周辺街並_001 18072010_AS22_アッシジの城外からの景色_002 18072010_AS22_アッシジの城外からの景色_005

アッシジの駅から山の中腹のアッシジの街が見えます。まるで、下界から聖域を眺めているようです。それほど、アッシジの街は美しく聖なる雰囲気に包まれていたような気がします。駅の直ぐ傍に、16,7世紀に建てられたサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂があります。ここは1226年に聖フランチェスコが亡くなった場所だそうです。駅のホームからクーポラと鐘楼が見えていました。
18072010_AS23_丘の下からアッシジの街風景_003 18072010_AS24_アッシジ駅_002 18072010_AS24_アッシジ駅_005

ルッカからアッシジまで行くには、フィレンツェで乗換えます。ルッカからフィレンツェまでは午後なら1時間間に1,2本ある普通列車で1時間20~40分です。フィレンツェからアッシジまでは2時間間隔の普通列車で2時間30~40分です。料金は、通しで14.95ユーロでした。
アッシジの鉄道駅からアッシジの街までは、駅前からバスに乗ります。バスは平日でも日曜日でも30分間隔であります。所要時間は10分足らずで料金も片道1ユーロと良心的です。但し、チケットを車内で購入する場合は1.5ユーロとなってしまいます。今回はアッシジ駅についた時間が遅かったので、駅のタバッキが閉まっていてチケットは車内で購入しました。アッシジの街から乗る時は、チケットはバス停近くのタバッキで購入できます。
アッシジからフィレンツェ方面の列車は2時間間隔ですから、バスに乗るときは列車の時間に合わせて乗らないと駅で待つ時間が長くなってしまいます。アッシジからフィレンツェまでの普通列車の料金は11.65ユーロとなります。
2010-12-14(Tue)

ルッカ

イタリアで、まだ行っていない街でどうしても行きたい街がいくつかありました。それらの街を一回りしてくる計画を立てました。それらの街は、トスカーナ州のルッカとアレッツォ及びウンブリア州のアッシジです。ミラノから日帰りで行けそうなのはアレッツォくらいですが、1泊すれば土・日の2日でこの3つを周れます。
土曜日の朝早くミラノを出て、ジェノヴァ経由でルッカに向かいました。計画ではお昼前にルッカに到着の予定でしたが、ジェノヴァ行きの列車が30分遅れたため、ルッカ着が2時間も遅れてしまいました。でも、今回は1泊するのですから余裕があります。
ルッカはローマ時代からの古い街です。城壁で囲まれたこの街は、フィレンツェやジェノヴァと同じように、1847年にフィレンツェのトスカーナ大公国に組込まれるまで常に独立を維持してきました。従って、人口82000人の大都市にもかかわらず、今でも旧市街は14,15世紀にかけて建てられた城壁で完全に囲まれて、中世の美しい街並を保っているのです。

2時間遅れで、ルッカに着いたのは午後1時半過ぎでしたので、昼休みでも閉まらないドゥオモからルッカ観光を開始です。途中のナポレオン広場でロックコンサートの準備とたくさんの街頭市が出ていて、その街頭市がドゥオモまで続いています。ドゥオモの手前にある如何にも古そうなロマネスク様式のサン・ジョヴァンニ教会は、現在は教会としての機能はなく、観光客に開放されています。この教会とドゥオモと付属博物館の共通入場券を6ユーロで購入して中に入ると、この教会は紀元4,5世紀のローマ時代のバシリカの上に建てられたようで、地下にはその遺跡が残っています。知らずに入った教会ですが、その遺跡ツアーとこの古い教会の壁に描かれたフレスコ画は、非常に得をした気分にさせてくれました。
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17072010_L03_サンジョヴァンニ教会_005 17072010_L03_サンジョヴァンニ教会_007 17072010_L04_ドゥオモとドゥオモ広場_002

ルッカのドゥオモは、11世紀の中ごろに建てられたロマネスク様式の大聖堂です。須賀敦子の著書にも“夜明けの霧の中に見えたルッカの大聖堂”として出てきます。11世紀の建物は後陣と鐘楼だけで、素晴らしい大理石のファサードは14世紀に建て直されたものです。このファサードの下部にある3つの大きなアーチが、不思議なことに左右対称ではありません。向かって右のアーチだけが狭くなっています。その横の鐘楼がなんとか全体のバランスを取っているのですが、なんとも奇妙です。その鐘楼も一番上の部分が、教会の鐘楼とは思えない城塔のようなぎざぎざがついているのも奇妙です。又、3つのアーチの上にあるルッカ・ピサ様式といわれている連続開廊アーチもこの地方以外には余り見ることが出来ません。要するに、このドゥオモは教会ではなく、宮殿かお城のようなデザインなのです。須賀敦子が著書で取り上げた理由もそんなことからなのかもしれません。ドゥオモの内部の後陣だけは、有料となっていますが、先ほどの共通券でカバーされます。
17072010_L04_ドゥオモとドゥオモ広場_003 17072010_L04_ドゥオモとドゥオモ広場_010 17072010_L04_ドゥオモとドゥオモ広場_008

ドゥオモを出ると、共通券でカバーされているドゥオモ博物館の見学です。但し、ここは撮影禁止でした。実は、カメラのバッテリーのチャージを忘れていて、博物館の受付にカメラを預けてチャージをお願いしていたので、ドゥオモ内部とドゥオモ博物館は、ほとんど撮影できていません。次に行ったのは、ルッカのシンボルであるトッレ・グイニージです。この塔は、グイニージ宮殿とともに14世紀に建てられています。この塔の上には木が生えています。数百年前から生えていたそうで、夏の日にはちょうど良い日陰を造ってくれます。この風が通る日陰の塔頂からは、ルッカの街を一望できます。そして、その先のトスカーナの丘陵地帯も素晴らしい景色です。
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グイニージ塔から更に北に歩くと、楕円形に建物が並んでいる地域があります。ゲートを潜って楕円形の中に入ると大きな広場になっています。ここは、ローマ時代の円形闘技場なのです。ちょうど、観客席の部分に建物が建ち並び闘技場の部分が広場になっているのです。従って、この広場はアンフィテアトロ(円形闘技場)と呼ばれています。観客席の上に建っている建物の基礎部分は、もちろん、2000年前のローマ時代のものです。ここに限らず、古い大きな街では、ローマ時代のしっかりした建物や基礎を利用して中世の建物を建てていることが良くあります。ここは、その代表選手なのです。面白いことに、この広場に入るには、建物の中を通り抜ける以外は、4方向にある門だけなのです。この門もローマ時代の円形闘技場への入口を利用したものだと思います。
17072010_L07_ローマ劇場広場とその周りの道_005 17072010_L07_ローマ劇場広場とその周りの道_003 17072010_L07_ローマ劇場広場とその周りの道_004

アンフィテアトロ広場の直ぐ横にあるサン・フレディアーノ教会はファサード上部のモザイクが有名です。この教会も古く、ローマ時代6世紀のバシリカを12世紀に立て直したものです。モザイクは13世紀のものでファサードは14世紀に完成しています。教会の内部のロマネスク様式の大きな壁には古いフレスコ画があります。
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ローマ時代のフォロのあった位置にある全面真っ白な大理石の教会がサン・ミケーレ・イン・フォロ教会です。この教会も古く、8世紀にあった教会を11世紀に建て直したものです。従って、13世紀に付け加えられたファサード以外は、ロマネスク様式で建てられています。この教会にも、ドゥオモよりも規模の大きな連続開廊アーチが、ファサードの上と側面にあります。ピサのドゥオモもそうでしたが、同じロマネスク様式でもミラノ周辺とはだいぶ違って、すごく豪華です。逆に、教会内部はすごくシンプルで、暗くて重厚感がありました。この広場の地下にはローマ時代のフォロの遺跡が埋まっているそうですが、これだけ立派な教会があるのですから発掘調査は無理なのでしょう。教会横の広場は賑やかで明るい雰囲気が漂っています。
17072010_L10_サンミケーレ教会と広場_001 17072010_L10_サンミケーレ教会と広場_003 17072010_L10_サンミケーレ教会と広場_004

街歩きを終えて、ルッカの駅に向かう途中で城壁を見て周りました。本当に立派な城壁で、とても、この城壁を壊して新しい建物を建てようと考える人はいないでしょう。この頑丈な城壁は街の全周4.5キロにも及ぶそうです。これほどの城壁が当時の状態のまま残っているところは、イタリアでも珍しいそうです。
17072010_L12_ルッカ城壁と城門_001 17072010_L12_ルッカ城壁と城門_003 17072010_L12_ルッカ城壁と城門_006

2時間遅れてしまったルッカまでのルートを説明します。ミラノからインターシティに乗ってジェノヴァに出て、ジェノヴァから同じくインターシティでトスカーナ州の港街ヴィアレッジョまで出ます。そこからバスでルッカに入るルートです。ルッカには、フィレンツェ経由でもいけるのですが、フィレンツェとヴィアレッジョ間(ルッカはヴィアレッジョのひとつ前の駅です)の列車は、午前中の本数が少ないので、フィレンツェ経由ですと、午前中にルッカに入ることが出来ないので、ジェノヴァ経由にしたわけです。もちろん、ユーロスターも使いませんので料金も格安になります。しかし、ジェノヴァに行く列車が30分遅れたために、ジェノヴァで次のインターシティを待たなければならず、遅れは2時間になってしまったのです。これなら、時間的にはフィレンツェ経由でも同じでした。
但し、料金は、ジェノヴァからヴィアレッジョまでインターシティ合計は20ユーロで、ヴィアレッジョからルッカまでのバスは3ユーロですから、合計23ユーロとなります。ミラノからフィレンツェまでのユーロスターだけで51ユーロですから、ぜんぜん、お得になります。ちなみに、フィレンツェ・ヴィアレッジョ間の普通列車は、午後なら1時間間隔で運転されていて、ルッカまでは所要時間が1時間20分で料金は5.2ユーロとなります。
ヴィアレッジョからのバスは、フィレンツェとヴィアレッジョ間を往復している長距離バスVAIバスLinea P529(1時間間隔)で、ヴィアレッジョから50分(3ユーロ)でルッカに到着します。
2010-12-13(Mon)

ブリジゲッラ

ドッツァからエミリア街道に戻り、更に進むと、ボローニャ県からラヴェンナ県に入ったところにある村がブリジゲッラです。この村もイタリアの「最も美しい村」に選ばれている人口350人の小さな村です。この村の背後には3つの石灰岩の岩山があります。その岩山の頂上に夫々、時計塔、お城及び聖域教会があります。この村の歴史は、13世紀の後半に、ここの領主(スシナーナのマヒナルド・バガーニ)がファエンツァの領主マンフレディ家の侵略に備えてラモーネ渓谷の1番目の岩山の頂上に砦を建てたことから始まります。それが今の時計塔です。しかし、村はマンフレディ家に占領され、20年後の14世紀初頭に、こんどはマンフレディ家によって2番目の岩山の頂上にもっと大きな城砦を築きました。しかし、その後、ヴェネツィア共和国、教皇領と村の支配者が代わってしまいます。3番目の岩山は聖域となっていて、その頂上に聖域教会が17世紀に建てられました。

村に入ると、比較的広い道路が村の真ん中を走っています。道の両側にはパステルカラーの建物と古い大きな建物が並んでいて、ゴミもない綺麗な街並です。この村は、支配者が時代毎に代わったものの、豊富な石灰岩の交易によって12世紀頃から栄えていたのです。その名残として、パステルカラーの建物の裏には、12,3世紀に使われていた屋根付の石畳の細い道が残っています。“ドンキーストリート”と呼ばれていて、石灰岩をロバに引かせて通った道です。
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メインストリートを進むと、小人しか通れないような小さなアーチの門とアプローチのある小さなサン・フランチェスコ教会があり、そこから細い石畳の道になり2番目の岩山の上にあるロッカに向かいます。急勾配の岩山は階段で登ります。ロッカに到着する手前の展望台まで辿り着く頃にはかなり体力を消耗していましたが、そこから見える1番目の岩山の頂上に聳える時計塔は、その疲れをすべて吹き飛ばしてくれました。この景色は、この日のハイライトです。こんな小さな村なのに、こんな雄大な景色を見ることが出来るのですから、イタリアは恐るべき国です。写真を撮ることも忘れて見入ってしまいました。
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2番目の岩山の頂上のロッカも、小さな村にしては立派です。中に入るには2ユーロの入場券が必要です。ロッカの中には見るべきものはほとんどありませんが、城壁からと城塔からの景色は最高です。もちろん、先ほど見た1番目の岩山の時計塔だけでなく、3番目の岩山の頂上の聖域教会も良く見えます。眼下にはブリジゲッラの村が広がり、その先の丘陵地帯には葡萄畑が見えます。
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ロッカから時計塔へは岩山の裾野を通る山道を通って行くことが出来、時計塔の上にも昇ることができるようです。ロッカから時計塔に入る観光客が見えました。時計塔の上からの眺めも素晴らしいと思います。ロッカから村の中心部に降りて、村の中を散策した後、大きな教会(ドゥオモ)のあるこの村の広場で休憩しました。この村も「最も美しい村」にふさわしいところで、この旅も大満足でした。
11072010_07_Brisghella村並_004 11072010_08_Brisghella教会_002 11072010_08_Brisghella教会_006

ドッツァから車で、約1時間でここまで来たのですが、もちろん、ミラノから列車に乗って来ることも出来ます。ブリジゲッラにはイタリア国鉄の鉄道駅があり、そこからは歩いてブリジゲッラの村に来ることが出来ます。いつものようにボローニャまで来て、ボローニャから1時間間隔で出ている普通列車(リミニ方面行き)でファエンツァに行き(35~45分で4ユーロ)、そこで、2時間間隔で出ているフィレンツェ方面行きの普通列車に乗り換えて10分でブリジゲッラに到着します。但し、ファエンツァからの普通列車は午後12時以降までありませんので、もっと早く行きたい場合は、ファエンツァからCoop Transportiバス(1時間半間隔)を利用できます。午前中のバスは10時半過ぎに出て、20分強でブリジゲッラに到着します。料金は分かりませんが片道2ユーロはしないと思います。但し、日曜日にはバスを使わないほうが良いでしょう。
ブリジゲッラから戻るときは、ファエンツァ行きの普通列車が2時間間隔で出ていますので、それでファエンツァに出て、乗換えてボローニャまで行ってください。ブリジゲッラとボローニャ間の所要時間は、乗換を入れても1時間強です。ボローニャとブリジゲッラ間の料金は片道5.1ユーロです。
2010-12-13(Mon)

ドッツァ

ボローニャのちょっと先にあるドッツァは列車でも行くことが出来るところですが、今回はドライブ旅行となりました。ドッツァはエミリア街道を南下し、ボローニャとサーキットで知られている街イモーラの中間くらいにあります。イタリアの「最も美しい村」にも選ばれている人口950人ほどの城壁に囲まれた小さな村です。11世紀にボローニャの支配下に入りこの村は城壁で囲まれ、15世紀後半にミラノ支配に代わり、ここに城砦(ロッカ)が建てられました。このロッカにはミラノのスフォルツァ家から領地を委譲されたカムベッジ家が1960年まで住んでいたそうです。従って、ほぼ、建てられた当時のままの状態を維持しています。今は、この村のコミューネが管理しています。

ドッツェ村を囲む城壁は船の形をしています。船の最後尾にロッカがあり、ロッカの上から船首まで見下ろせるようになっています。街への入り口は船首と最後尾の両方にありますが、車で来た今回は、駐車場のある最後尾から村に入りました。
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ロッカに入るには5ユーロの入場券が必要です。中に入ると中庭に面した柱廊に出ます。このように片側に壁のない柱廊はロッジアと呼ばれていて、お城ではよく見ることが出来ます。ロッジアの1階部分の廊下には古いフレスコ画が描かれていて、その先にこのお城の台所があり、中世当時の調理場と調理器具がそのまま残されています。
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2階に上がると、住居となっていてカムベッジ家の人達の肖像画と当時の可愛いオルゴールのコレクションが調度品と一緒に展示されています。
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城塔まで登ると眼下に船の先端まで続くドッツァ村を見渡せます。もちろん、その周りの緑豊かな丘陵地帯の葡萄畑もとても綺麗です。ロッカの地下はエノテカになっていてこの地方のワインが販売されています。あまり高価なワインはありませんが種類は豊富です。その他にもこの地方のチーズやクッキーが並んでいました。
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村に入ると石畳の道の両側に花を飾った家々の壁に描かれたフレスコ画が目に入ってきます。これらのフレスコ画は歴史的なものではなく、この村で5年ごとに開かれる壁画のコンクールの作品なのです。各絵には描いた日と画家のサインがちゃんと残されています。日本の画家の絵もありました。これらのフレスコ画がこの村の売りになっています。
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昼食は、もちろん、ローカルフードです。村のレストランに入り、緑に囲まれたバルコニーのテーブルで蝉の声を聞きながら、イタリアで初めてDOGCの認定を受けたこの地方の少しガスの入った白ワイン(アルバーナ)、地元のパンとチーズに生ハム、パスタはタリアテッレとラザニアのラグ(ボロネーゼ)でした。やはり、エミリア街道沿いは食の宝庫です。
11072010_05_Dozza村並_011 11072010_06_Dozza・レストラン_001 11072010_07_Dozza・教会_001

今回はミラノからドライブでここまで来ましたが、もちろん、列車で来ることも出来ます。ボローニャまでは、前にも報告していますので省きます。ボローニャから1時間間隔で出ている普通列車(リミニ方面行き)で、イモーラまでは所要時間25分で料金は3.1ユーロです。イモーラ駅からは、平日と土曜日には1時間間隔で出ているATCバスLinea 147/247に乗り、25分ほどで到着です。料金は、乗っていないのでわかりませんが片道2ユーロ以下だと思います。日曜日は、ほとんどバスは走っていませんので、避けるべきでしょう。この村のバス停は、船の先端のほうにあります。
2010-12-12(Sun)

ヴァレーゼ・リグーレ

リグーリア州ラ・スペツィア県の北端の山の中、エミリア・ロマーニャ州パルマ県との境界に近いヴァーラ渓谷にある人口2200人の小さな村ヴァレーゼ・リグーレに行ってきました。州は違いますが、先日行ったコンピアーノは直ぐ近くです。この村もイタリアの「最も美しい村」に選ばれています。ヴァーラ渓谷はリグーリア海からパルマやポー川流域地帯を結ぶ交易路として利用されていたことにより、ヴァレーゼ・リグーレも12世紀にはその地名が記録に現れています。12世紀末からジェノヴァ共和国に吸収される16世紀まで神聖ローマ帝国の家系にあったFireschi家とPinelli家がお互いに権力を争いながら統治していたという奇妙な歴史があります。

東リヴィエラ海岸の街セステゥリ・レヴァンテからバスで山の中を1時間走ったところにあるこの村は、リヴィエラ海岸の喧騒とは程遠い静かで緑の山々に囲まれた小さな村でした。この村は新市街と旧市街がはっきりしています。新旧市街を分断する幹線道路でバスを降りると、目の前にFireschi家が13世紀に建てたお城があります。お城といっても教会よりも小さな石の建物です。このお城がこの村のシンボルで、インフォメーションもこのお城が面した広場にあります。但し、この村の地図はもらえません。何故なら、地図がいるほど、この村は大きくないのです。事務所の横にこの村の全体地図があり、そこにいくつかのモニュメントが表示されています。そして、そのモニュメントに行くと、看板があり、そのモニュメントの説明がイタリア語と英語で書かれていました。
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幹線道路を挟んだこの村は、お城のあるほうが旧市街です。旧市街にはお城のほかにボルゴ・ロトンダという建物があります。直訳すると“円筒の村”というのですが、その名の通り13世紀に建てられた石の家々が一塊の楕円形になって並んでいるのです。現在では、その外側に更に新しい家が建てられていますので、その間の細い路地のような狭い道に入らないとボルゴ・ロトンダを見ることが出来ません。ここはもともと13世紀に建てられた楕円形の要塞だったのです。そこに村人たちが住みついてボルゴ(村)になってしまったのです。もちろん、現在でも村人が住んでいます。従って、楕円形の外側には窓がありません。また、全ての家は2,3階建てになっていて、1階は倉庫で2階以上が住居となっています。
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道路を渡って新市街に入ると、パステルカラーの家々が並び、花が飾られていて非常に綺麗です。ゴミも全く落ちていません。なるほど、「最も美しい村」に選ばれた理由がわかります。新市街には、16,7世紀に建てられた2つの教会があります。また、今はない16世紀のサンタ・クローチェ修道院の鐘楼が新市街の真ん中に聳えていて、今では市民の塔となっています。新市街は、旧市街とは対照的で明るい雰囲気が漂っています。
10072010_06_ヴァレーゼ・リグーレ村並_001 10072010_06_ヴァレーゼ・リグーレ村並_005 10072010_08_トッレ・チヴィカ周辺_002

新市街の街の外れにヴァーラ川が流れていて、そこに石の橋がかかっています。“ギリシャ橋”と呼ばれているのですが、橋は16世紀に建てられたものです。シンプルな中世の石橋は歴史を感じますが、考えてみれば、イタリアでは中世の橋よりもローマ時代の橋のほうが大きくて丈夫なのです。橋に関しては、ローマ時代の技術のほう中世の技術より優れていたのは間違いありません。
10072010_05_ギリシャ橋_002 10072010_05_ギリシャ橋_009 10072010_05_ギリシャ橋_011

川沿いの道を歩くと、この石橋の全容と渓谷のきれいな景色を見ることが出来ます。本当に。長閑な景色は癒しを与えてくれます。
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セストゥリ・レヴァンテからヴァレーゼ・リグーレまでのバスは幾つもの山や谷を越えて約1時間走ります。その間に、魅力のある小さな村がいくつかありましたが、いずれも山の中腹や頂にある世間とは一線を画したような村です。そんな村で降りる乗客のほとんどがお年寄りで、多分、日本のように人口減少が続いて過疎化が進んでいるのだと思います。イタリアでもヴァレーゼ・リグーレのような村がだんだん減っていくのではないかと心配になります。
10072010_02_バスからの景色_001 10072010_02_バスからの景色_006 10072010_02_バスからの景色_008

セストゥリ・レヴァンテはちょうどジェノヴァとラ・スペツィアの中間くらいに位置している東リヴィエラ海岸のリゾート地です。ジェノヴァからは普通列車で1時間20分のところです。ミラノ・ロゴレドからはセストゥリ・レヴァンテまで普通列車なら2時間50分で料金は11.1ユーロとなります。直通の普通列車もありますが、ジェノヴァで乗換えても行くことが出来ます。ミラノとジェノヴァ間の列車は、これまでも何度か説明していますのでそちらを見てください。
セストゥリ・レヴァンテからヴァレーゼ・リグーレまでのバスはセストゥリ・レヴァンテの駅前からATPバスのLinea 50(ヴァレーゼ・リグーレ行き)に乗ります。所要時間は55分で料金は片道2ユーロです。チケットはバス乗り場が目の前にあるバールで購入できます。いつものように往復を買いましょう。バスは平日・土曜日なら10時から1時間間隔であります。但し、日曜日は1日に4本しかありませんので、避けたほうが良いでしょう。
2010-12-10(Fri)

ヴォゴーニャ

ヴォゴーニャは、スイス国境の街ドモドッソーラの1つミラノ寄りにある人口1700人のピエモンテ州所属の小さな村です。ここもイタリアの「最も美しい村」に選ばれています。このアルプスの麓の村は、夏でも涼しいような気がするのですが、トーチェ川流域のオッソーラ渓谷の盆地に位置しているので、逆に非常に暑いところでした。14世紀にこの村はミラノ支配の下、隣のドモドッソーラに対抗してヴィスコンテオ城を中心に城壁で囲まれた力のある街でしたが、19世紀初頭にこの地域の管轄権を失ってからあっという間に衰退して、今のような小さな村になってしまいました。

この辺りはアルプスの山々がとても綺麗なので、「最も美しい村」の観光だけでなく、素晴らしい山々の景色が迎えてくれます。この日も最高の天気で、ドモドッソーラ行きの列車がマッジョーレ湖を過ぎた辺りからは、車窓から目を離すことが出来ませんでした。ヴォゴーニャの駅はタバッキもない田舎の無人駅でした。
04072010_01_車窓からの景色_002 04072010_18_Vogogna駅からの景色_002 04072010_02_Vogogna駅と駅前_003

駅から「最も美しい村」のガイドに従って、紀元1000年に建造されたサン・ピエトロ礼拝堂を訪ねたのですが、街から離れた本当に小さな礼拝堂で、しかも中に入ることが出来ず、ガイドに書いてあった15世紀のフレスコ画も窓から覗いて見えた程度でちょっと期待はずれでした。礼拝堂から村方向に戻ると、村の入口には古い小さな井戸と礼拝堂がありました。こちらの井戸と礼拝堂のほうがサン・ピエトロ礼拝堂よりも趣があります。ここから先は、今では小さな村でしかないのですが、14世紀の旧市街なのです。
04072010_03_サンピエトロ礼拝堂_001 04072010_04_Vogogna入り口_007 04072010_04_Vogogna入り口_008

過去の栄光を証明するかのように、この村には立派な丘の上のヴィスコンテオ城と大きな教区教会があります。その横を通り抜け、まずは、旧市街の散策です。旧市街のメインストリートはローマ通りで、この両側には14世紀に建てられたプレトリオ宮殿、サンタ・マルタ教会、マルケサと呼ばれる旧家があります。
04072010_07_Vogogna街並み_009 04072010_08_サンタマルタ教会_001 04072010_07_Vogogna街並み_004

この村は、山の斜面に、山と平行に約200メートル長細く築かれていて、一番高いところにヴィスコンテオ城があり、直ぐ下の段にローマ通り、その下にはソプラ・レ・ムラと呼ばれる路地、一番下の段にあるのが城壁に沿ったソット・レ・ムラと呼ばれる路地と、3本の高さの違う石畳の小路が平行に走っています。石で造られた村人の民家はそれらの通りの間の斜面に建てられています。こういう村を歩くのは、一番の楽しみです。
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一通り村を歩いた後に、14世紀に建てられたヴィスコンテオ城まで登っていきました。一番高いところにあり、村のどこからでも良く見えていた堂々たるヴィスコンテオ城は、お昼になって門は閉ざされていました。
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実は、この日の目的地はヴィスコンテオ城ではなくその先にあったのです。城の脇の山道を登り、山の中腹にある標高350メートルのジェネストレド村を目指しました。細く急な登り坂でしたが、何とか到着すると、期待通り、ジェネストレド村にある建物全てが石造りで、600年前に戻ったように中世そのままの小さな村なのです。村の小さな広場にはマリア様と冷たい山の湧き水が待っていてくれました。ここを通る観光客は全員この冷たい水で顔や手足を洗い、マリア様にお祈りして次の目的地に向かうのです。
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ジェネストレド村からは平坦な山の裾野の道が続きます。この先には10世紀に建てられた城砦跡(ロッカ)があります。山の裾野の道からの景色は最高です。しばらく歩くと、先の山の崖淵にロッカが見えてきました。村までは何人かいた観光客が、この辺りに来ると誰もいなくなってしまいました。ロッカは、誰も管理をしていない城砦の廃墟です。手前に公園がありますが、そこにも誰もいません。
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廃墟の中に入ると“ボン・ジョルノ”と声がかかり、その声の先でイタリア人の中年夫婦が水着で日光浴をしていました。こちらも挨拶をして崖淵に向かうと、そこからの景色は百万ドルでした。水着のイタリア人夫婦も“ベッラ、ベッラ”と言っています。ここまで1時間かけて山を登ってきた甲斐があります。
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ヴォゴーニャに行くには、ミラノ・ポルタ・ガリバルディ駅からドモドッソーラ行きの普通列車が便利です。所要時間は1時間50分で料金は7.45ユーロです。但し、午前中は本数が少ないので注意してください。午後は2時間に1本ありますからミラノへの戻りは問題ありません。ヴォゴーニャ駅は無人駅でタバッキもありませんので、チケットはミラノで往復を買っておいたほうが良いと思います。この列車はマッジョーレ湖の西岸を通り、その先は山の谷あいを走りますので、車窓は素晴らしく、長く乗っていても飽きません。
ヴォゴーニャ駅では、チケットの打刻機が壊れていましたので、仕方なく手書きでチケットに日時を書き込んでおきました。
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matsuohj (パパロンチーノ)

Author:matsuohj (パパロンチーノ)
2008年10月20日から2010年8月23日までの1年10カ月ミラノに滞在。その期間、北イタリアを中心に115ヶ所の街を訪ねました。それも、ほとんどが公共交通機関を利用したものです。この経験で得た情報を一人でも多くのイタリア好きの人に伝えるためのブログです。

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