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2011-01-27(Thu)

運転免許と新車購入

イタリアの旅行記ブログを書き上げて、しばらくお休みしていました。2011年に入って、会社勤めも休み(引退とも言います)をとり、毎日をノタリノタリと生活しているのですが、自分のために費やす時間がある状態は久しぶりなので、今のところ充実した毎日となっています。

海外赴任が長かったことで、日本の運転免許は20年くらい前に失効していました。しかし、海外では現地の免許で運転していたので、10年くらい前までは(海外で)運転していたこともあって腕前は落ちていなかったようです。新年の1月12日から教習所で教習を開始し、海外ではマニュアル車を運転していたこともあり、マニュアル車の免許を取り始めたのですが、最小の時間数で卒業して、2月7日に、無事に運転免許を取得できました。1月はキャンペーン中でもあり、教習所卒業までの金額も24万円ほどで、考えていたよりもずっと少なくて済みました。もちろん、今は若葉マークをつけて運転しなくてはいけません。でも、教習所では若い人たちに囲まれていたこともあり、新しい免許証を受け取ると若さを取り戻したような気持です。歳をとっても、この達成感はうれしいものです。

運転免許証を取ると、次は新車です。2月7日に取得してから毎日運転していますと、ますます新しい車が欲しくなりました。子供たちが使っていた10年前のキューブに乗っていたので、まずニッサンに行って、マーチとキューブを見てきました。ミラノでは、ほとんどの自動車がマーチクラスの小型車なのですが、ヨーロッパの小型車の中でも、ニッサンのマーチはたくさん見ることができて、一番恰好が良いと思っていました。しかし、マーチはモデルチェンジしてしまって、もうミラノで見た格好良かったマーチの面影はなくがっかりです。キューブは良かったのですが、今と同じ車なのでそれほど引き付けられる物はありません。

ホンダのフィットが、去年、一番売れた車というニュースを見て、直ぐにフィットを見たくなりました。それに、テレビでは宮里藍ちゃんが宣伝してるのも影響されて、早速ホンダに行くと、ミラノで見たマーチと同じくらいの衝撃でした。見たら直ぐに引き付けられてしまったのです。おまけに、ハイブリッド車は減税ではなく免税ですから、その点でもお得です。でも、ハイブリッドのフィットは、売るほうも強気です。値引き率は非常に小さいのでなかなか安くなりません。でも、心は完全にフィットのハイブリッドに傾いてしまっています。

ナヴィを使っての運転には縁がなかったこともあり、オプションの高性能ナヴィもすごく欲しくなって、それもつけてネゴを開始しました。インターネットで調べたところ、やはりハイブリッドのフィットの値切り代は3~9万円しかありません。かなり手強い相手です。でも、手を変え品を変えてネゴしたところ、9万円以上の値切りが出来そうな状態になり、そろそろ返事をしなくてはいけません。もちろん、OKと答えて、3月には、ナヴィ付きのフレッシュ・ライム色(薄い緑)のホンダ・フィットのオーナーになるのは確実です。運転免許で若返った気持になったのですが、新車を購入すると。もう、おもちゃを買ってもらった子供になった心境です。

だんだん若返っているだけでなく、ひとつ、ひとつ、これからの人生を楽しむ準備が整ってきました。海外旅行に国内旅行、(もちろんナヴィ付きのフィットで)ドライブ、フィットネスにゴルフ(心機一転、スクールに通っています)と遊ぶことばかりですが、これからは身に着くことも始める予定はあります。仕事を始める予定だけはまだありません。
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2011-01-26(Wed)

イタリア赴任期間を終えて

カンポ・リグーレへの“小さな旅”を最後に、イタリア赴任期間が終わってしまい、日本に戻ってきました。そのような訳で、イタリアの観光地に関するブログは、これで一区切りとなります。でも、まだまだ、北・中央イタリアにも行きたいところはいっぱい残っていますので、いつかは北・中央イタリアに戻って、行き残したところを訪ねようと思っています。まだ、シチリア以外ほとんど行っていない南イタリアにも「最も美しい村」に選ばれている小さな街や村がいっぱいあり、世界遺産もたくさんありますので、いつか行かなくてはいけないと考えています。これまでの経験を生かし、交通の便の良い街にある安いホテルに長期滞在し、公共交通機関を利用して訪ね歩けば、ツアーよりもずっと安上がりに、しかも時間の制約なしで行きたいところに行くことが出来る楽しい旅が出来るはずです。なるべく早く行って、また、続きを書くつもりです。

旅行計画を作るのも楽しみの一つになりました。列車やバスの時刻表をインターネットで調べながら、最も効率的に行って戻ってくるにはどうすれば良いかを考えるのです。慣れてくると、地元の人でしかわからないような、すごいルートや乗り物を見つけることさえありました。ユーロスターやホテルもインターネットで簡単に予約できますので、遠くに何日も旅行するときでも、現地の人に頼らずに全部自分で計画が出来ます。自分の計画に基づいて計画通りに旅を終えたときは、喜びも倍になります。計画通りに行かないときでも、その時点で計画したときの知識を発揮して臨機応変に対処するのも楽しいことです。この楽しみ方はイタリアで学びました。

ブログだけでなく、これまで行ったところの旅程や観光資料などは、「イタリアふれあい街歩き」のホームページにまとめてあります。このブログのリンクからも行くことが出来ますので、のぞいてみてください。中には役に立つ資料が見つかるかもしれません。また、自分で感じたイタリア旅行の注意点・防犯方法や、イタリアの観光情報や知識も書きましたので、参考になるかもしれません。

アルバムもブログのリンクから行くことが出来ますので、のぞいてください。でも、写真はまったく整理していなので、同じような写真やボケた写真もいっぱいありますので、スライドショウで眺める程度です。期待はしないでください。最後にミラノの冬の写真です。
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イタリアでこれだけの旅をしているにもかかわらず、日本国内にまだ行っていないところがいっぱいあります。日本もイタリアと同じように歴史と文化がたくさん残っていて、しかも自然の美しい景色が広がっているところがいっぱいあります。“キリスト教文化”だけでなく“仏と神の日本文化”も勉強して、これからは日本国内を廻ってみようと考えています。イタリアに滞在したおかげで、完全に、趣味が1つ増えてしまいました。従って、次回のイタリア旅行まで、ブログでは日本各地の旅行記を続ける予定ですので、時間のある方は、続けてご笑覧ください。
2011-01-23(Sun)

カンポ・リグーレ

日本への帰国が迫り、これが最後の旅になってしまいました。最後の締めは、やはり、イタリアの「最も美しい村」への“小さな旅”です。カンポ・リグーレはジェノヴァの北35キロにある3方を川で囲まれた人口3000人の小さな村です。昔の地名は、カンポ・フレッドと言われていたそうです。カンポはキャンプの意味で、ローマ時代にローマの軍隊がここにキャンプを築いたことによります。フレッドは“冷たい”の意味ですが、3方にある川の水が冷たかったのでしょうか。従って、ローマ時代から存在を確認されている古い村なのです。この村は、16世紀から長い間ジェノヴァの支配下にあったのですが、それ以前の14,5世紀に支配していたパプスブルグ家に忠誠を誓って、ジェノヴァの支配に対して反発を続け、18世紀のオーストリア継承戦争でもオーストリア側についてジェノヴァと戦ったそうです。こんな小さな村でもその村独自の歴史があるのがイタリアなのです。

カンポ・リグーレの駅からストゥーラ川沿いに歩いてカンポ・リグーレ村に入ります。村の入口には17世紀中旬に建てられたバロック様式の小さな“サン・セバスチャーノとサン・ロッコ”の礼拝堂がありました。外観は小さくてもバロック様式の内装は豪華です。装飾とフレスコ画で覆われていました。村は、パステルカラーの可愛い建物が細い石畳の道に並んでいます。さすがに「最も美しい村」です。家々には花が飾られていて、道にはゴミひとつ落ちていません。
14082010_05_カンポリグーレ駅から村へ_006 14082010_06_サンセバスチャーノ・ロッコ礼拝堂_001 14082010_06_サンセバスチャーノ・ロッコ礼拝堂_003
14082010_06_サンセバスチャーノ・ロッコ礼拝堂_011 14082010_06_サンセバスチャーノ・ロッコ礼拝堂_013 14082010_07_カンポリグーレ街並1_002

メインストリートを進むと直ぐに村の中心にあるヴィットリオ・エマニュエル広場に出ます。この広場には13世紀に建てられたジェノヴァからの支配者が住んだスピニョーラ宮殿とこの村のドゥオモである“キリストの生誕と聖処女の教会”(Nativita di Maria Vergine)があります。広場から西の丘にはスピニョーラ城が見え、東にはストゥーラ川にかかる中世の橋が見えます。
14082010_07_カンポリグーレ街並1_004 14082010_08_V・エマニュエル広場_004 14082010_10_ナティヴィタ・聖処女教会_001

広場から西の丘の上を目指しました。途中に16世紀には既に存在を確認されている“聖母被昇天”(Nostra Signora dell’Assunta)の教会があります。ここもバロック様式の豪華な内装の教会でした。その教会の脇の階段を上がるとスピニョーラ城が見えます。
14082010_11_ノストラシニョーラ・アッスンタ教会_002 14082010_11_ノストラシニョーラ・アッスンタ教会_003 14082010_12_スピニョーラ城_001

スピニョーラ城はジェノヴァのスピニョーラ家が13世紀に築いたお城ですが、居城ではなく丘の上に建つ歩哨の塔だったようです。東西と南には川があり、北側の岩山地帯だけが陸続きで、この岩山を越えて攻めこんで来る敵を見張るための歩哨塔だったのだと思います。同時に、ここからジェノヴァに反発を続けている村人をも見張る必要があったのかもしれません。従って、村全体も一望できます。
14082010_12_スピニョーラ城_017 14082010_12_スピニョーラ城_022 14082010_12_スピニョーラ城_006

もう一度広場まで戻り、今度は東にある中世の石橋に出ました。この橋に面する小さな広場にインフォメーションもありました。この橋はサン・ミケーレ橋と呼ばれていて、最初に建てられたのは9世紀だそうです。しかし、度々起きた川の氾濫で破壊と修理を繰り返し、最終的には1842年に再建されたのが今に残っています。9世紀の建築は、最初の仕切り部分にだけ残っています。しかし、9世紀から19世紀まで、橋のデザインも変えずに、同じ構造で修理をしていたのですから驚きです。1000年の間技術的な進歩をいっさい加えていないこともイタリア的と言えるかもしれません。
14082010_15_サンミケーレ橋_002 14082010_15_サンミケーレ橋_007 14082010_15_サンミケーレ橋_015

ストゥーラ川を越えた先にある、今は使われていないサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会も同じような運命をたどっています。13世紀にその名が記録に残っていますが、何度も洪水で破壊され、最終的には1935年の洪水の後に建て直されたものとなっています。
14082010_17_サンミケーレ・アルカンジェロ教会_002 14082010_17_サンミケーレ・アルカンジェロ教会_003 14082010_17_サンミケーレ・アルカンジェロ教会_009

最後に川の傍にある丘の上から、この何度も洪水にあった街の全景を眺めて。街を後にしました。駅に戻りながら、昔の村の名である“フレッド”の意味が解ったような気がしました。度々の洪水によって、何度も冷たく冷やされた街だったのです。洪水の“フラッド”とも関連があるのかもしれません。
14082010_16_カンポリグーレ全景_004 14082010_16_カンポリグーレ全景_003 14082010_14_カンポリグーレ街並2_004

カンポ・リグーレはイタリア国鉄駅がありますが、駅員のいない無人駅です。但し、構内にタバッキがありますので、まさかのときは安心です。ジェノヴァからカンポ・リグーレまでは、午前中の普通列車は7時と9時の2本しかありません。所要時間が35分で料金は2.4ユーロです。ジェノヴァへの戻りは、午後になると1時間間隔で普通列車があります。
ミラノとジェノヴァの往復については、何度もお知らせしていますので、昔の報告を見てください。
2011-01-19(Wed)

ミラノ市街

日本に戻る前に、やはり、最後のミラノを歩かないわけには行きませんので半日かけて歩きました。しかし、大都会のミラノ全てを簡単に歩けるものではありません。
ミラノは、観光スポットの数も種類も非常に多く、どこに行くべきか?と聞かれても、観光する人の興味が何か?によるのです。ですから、個人で旅行をする人は、ミラノを十分に調べた上で自分の興味のあるところに行くように計画すべきだと思います。逆に言えば、ミラノはほとんど全ての人を満足させてくれる街でもあるのです。一時期西ローマ帝国の首都でもあったミラノは時代と共に成長して徐々に大きな街となり、今では、世界のファッションの中心都市でもあります。サッカーでも、インテルとACミランの2つの強豪チームがミラノを本拠地としています。それに、世界のオペラの殿堂であるスカラ座もミラノにあります。従って、歴史に興味がある人もない人も、芸術に興味のある人もない人もミラノは温かく迎えてくれます。そんなミラノを紹介するのは至難の業でもあります。その中から、厳選して、最後に歩いたコースに沿って説明します。

ミラノの世界遺産としてダ・ヴィンチの「最後の晩餐」はあまりにも有名です。しかし、ミラノのシンボルは、「最後の晩餐」ではなく、ドゥオモだと思います。ミラノのドゥオモは世界遺産でもなんでもないので、フィレンツェのドゥオモ等と比べると、有名観光地として取り上げられることも少なく、その実物を見るまではマイナーな観光地と考えている人が多いのではないかと思います。でも、初めてミラノに来た人が地下鉄の駅から地上に出た時に、正面に聳え建つドゥオモとのファースト・コンタクトは、感動以外の何ものでもありません。その光景は、その人の脳裏に長く残ることになると思います。
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ドゥオモはミラノ観光の出発点でもあります。ドゥオモの外観と内装を納得するまで見た後は、自分たちの興味に併せて、ミラノの街を観光してください。ガレリアやモンテ・ナポレオーネ通りでショッピングも良いでしょう。オペラやサッカーを見に行くのも良いと思います。でも、せっかくミラノに来たのですから、やはり、「最後の晩餐」とスフォルツェスコ城は覗いたほうが良いと思います。「最後の晩餐」はイタリアで3番目に世界遺産に登録されました。1980年の登録内容を読むと、“ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会とドメニコ会修道院”となっています。従って、「最後の晩餐」だけでなく、サンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会も世界遺産の一部なのです。このルネッサンス建築の教会は、外観も内装も世界遺産にふさわしいものです。
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そしてスフォルツェスコ城も必見です。これほど保存状態の良い中世のお城は、イタリアの中でも珍しいと思っています。それに加えて、城内にある博物館のコレクションは、ミケランジェロの“ロンダニーニのピエタ”にだけでなく、全て比類のないものです。
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ブレラ美術館も素晴らしいのですが、ブレラ地域の街並が日本から来た観光客に人気があります。小さな石畳の路地にカフェのテーブルが並んでいて、如何にもミラノにいることを実感させてくれるところです。何度も来たのですが、最後にまた歩いてしまいました。
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ミラノで一番好きなエリアは、マジェンダ通りから裏道に入り、ドゥオモ近くのトリノ通りまでの地帯です。まず、マジェンタ通りにあるサン・マウリッツォ教会とその隣にある考古学博物館を訪ねた後、ミラノの考古学エリア(西ローマ帝国時代の中心地)である迷路のような裏通りを、古い街並を楽しみながらトリノ通りに向かってゆっくりと散策するのが一番の贅沢な楽しみです。
13082010_12_サンマウリッツォ教会_014 13082010_12_サンマウリッツォ教会_008 13082010_12_サンマウリッツォ教会_013
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ちょっと周り道になりますが、そのコースに、ローマ時代に建てられたサンタンブロージョとサン・ロレンツォの古い教会も入れてしまいます。やはり、この2つの教会には歴史の重みを感じます。時間があればトリノ通りの近くにあるアンブロジアーナ美術館にも寄ってください。
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駆け足のミラノになりましたが、本当は、時間の余裕を持って、ジェラートを食べながらゆっくりと、イタリアで一番お洒落な街の散策を楽しんでもらいたいのです。お城、教会、美術館・博物館、ショッピング、オペラにサッカーと全てがそろっているミラノは、全てを見た上で、この街を十分楽しもうとすると、1週間は必要だと思います。
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ミラノ市街地での交通手段は、地下鉄、バス、トラムです。全て、ATM社の乗り物ですから、共通のチケットです。原則、1回乗ると1ユーロですが、地下鉄以外は75分間有効ですので、バスとトラムは途中下車しても75分間は1ユーロのチケットが有効です。但し、地下鉄だけは乗る毎に1ユーロです。1日券(3ユーロ)又は2日券(5.5ユーロ)は割安になっているので購入しておくと経済的でしかも非常に便利です。1日券は最初に乗ったときから24時間、地下鉄、バス、トラムのどれを乗っても追加はありません。2日券は48時間です。ですから、気兼ねすることもなく、乗りたいときに乗りたい乗り物に乗ることが出来ます。チケットは駅や街のタバッキで購入できます。他には10回券(9.2ユーロ)もあります。利用の仕方は、最初の目的地の近くまでは地下鉄で行って、そこからは、外が良く見えるトラムを利用するのがお勧めです。外を見ながら降りたいところで降りることが出来ます。通り過ぎても駅間が短いので次の駅から歩いても問題ありません。ミラノの観光地図と交通機関路線図は、ツアリスト・インフォメーション(ドゥオモ広場の地下)に置いてあります。月刊のHello Milano(新聞のようになっています)を貰うと、観光地図と路線図の両方とも描いてありますので、利用価値が高いと思います。
2011-01-15(Sat)

ストレーザ

初めてマッジョーレ湖を訪ねました。湖畔のリゾート地ストレーザまでイタリア国鉄で行き、マッジョーレ湖のボッロメーオ諸島とマッジョーレこの湖畔の景色が今回のお目当てです。これまで、何度かマッジョーレ湖西岸を列車で通過して、その度にボッロメーオ諸島を車窓から見ていたのですが、やっと、間近に見ることが出来ました。
ストレーザとマッジョーレ湖は、ほんの100年前まで、ミラノのヴィスコンティ家とボッロメーオ家の領地だったのです。要するに、それまで、漁師は除いて、この美しい景色は彼らに独占されていたことになります。
08082010_02_ストレーザ駅と駅前_002 08082010_03_ストレーザ街並1_003 08082010_03_ストレーザ街並1_004

この美しい景色の湖には、ミラノから1時間ちょっと列車に乗れば着いてしまうのです。朝の9時過ぎにストレーザの駅に到着して、ゆっくりと歩いて、湖の畔のマルコーニ広場に着いた頃は、まだ、観光客も少なく、湖もひっそりとしていました。直ぐに遊覧船(イソーラ・ベッラ往復で6.8ユーロ)に乗りボッロメーオ諸島に向かうと、大きな遊覧船には観光客が30人ほどしか乗っていません。まだ暑くなる前で、朝の風がさわやかな日でした。
08082010_04_遊覧船でイソラ・ベッラへ_001 08082010_04_遊覧船でイソラ・ベッラへ_009 08082010_04_遊覧船でイソラ・ベッラへ_012

ボッロメーオ家がこの島を所有したのは12世紀で、ボッロメーオ伯爵が、この素晴らしい宮殿を奥さんのために建てたのは18世紀になってからです。ナポレオンも招待された素晴らしい宮殿は、なんと形容したら良いのかわかりません。ただただ、“素晴らしい”の一言です。特に、貝殻を使ったモザイクの部屋は、まるで海の底のようです。
08082010_06_イソラ・ベッラ宮殿_006 08082010_06_イソラ・ベッラ宮殿_012 08082010_06_イソラ・ベッラ宮殿_014

宮殿から外に出ると、またまた、素晴らしい庭があります。この庭は、宮殿の内部より、更に美しいと感じました。綺麗に区画された庭に数々の彫刻と綺麗に配置された花と植物がマッチしています。それに加えて、庭に放たれている真っ白な孔雀と周りの素晴らしい背景が、この庭の美しさを更に盛り上げています。これこそ、イソーラ・ベッラです。
08082010_08_イソラ・ベッラ宮殿の庭園_006 08082010_08_イソラ・ベッラ宮殿の庭園_010 08082010_08_イソラ・ベッラ宮殿の庭園_022
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ボッロメーオ諸島ですから、島はイソーラ・ベッラだけではありません。イソーラ・ディ・ペスカトーレとイソーラ・マードレと併せて3つの島がボッロメーオ諸島と呼ばれています。遊覧船はこの3つの島を巡るコースとイソーラ・ベッラだけの往復があります。しかし、何といっても見所はイソーラ・ベッラですから、他の島はパスしてしまいました。ストレーザに戻り、マッジョーレ湖畔の道をカルチアーノ方面に歩きました。この散歩道から見るマッジョーレ湖が一番美しいと言われています。
08082010_07_イソラ・ペスカトーレ_002 08082010_13_ストレーザ街並2_002 08082010_13_ストレーザ街並2_006

カルチアーノから、標高1491メートルのモッタローネ山にロープウェイが出ています。最後の100メートルはロープウェイからリフトに乗換えます。全部で所要時間20分くらいですが、さすがに、頂上は気温が下がります。しかし、山頂では360度のパノラマが待っています。ここは、ストレーザにきたら絶対に来るべきです。マッジョーレ湖はもちろんのこと、隣のオルタ湖とそこに浮かぶサンジュリオ島までを見渡すことが出来ます。
08082010_15_モッタローネ山登り_005 08082010_16_モッタローネ山頂上_016 08082010_16_モッタローネ山頂上_009

帰りのロープウェイは、登りに比べて比較的に空いていたので景色が良く見えました。ロープウェイからマッジョーレ湖に浮かぶイソーラ・ベッラがとても綺麗に見えます。これも見逃せない景色です。
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ミラノからストレーザまでは、午前8時にミラノ中央駅から1本と午前9時にポルタ・ガリバルディから1本の普通列車があります。その他に、ミラノ中央駅からユーロスター・シティが2本あります。所要時間はミラノ中央駅から普通列車で1時間5分、ユーロスター・シティで55分、ポルタ・ガリバルディからだと1時間15分となります。料金は、普通列車で6.05ユーロ、ユーロスター・シティで13.5ユーロです。時刻表を調べて、都合の良い時間に出る列車を決めてください。
ミラノへの戻りは、夜の10時過ぎまで1時間に少なくとも1本のミラノ中央駅或いはポルタ・ガリバルディ行きの普通列車とミラノ中央駅行きのユーロスター・シティがありますので、好きな時間に戻ることが出来ます。
ここも、行くのが簡単ですから、列車や時間を気にせずに、ミラノから気楽に行くことが出来る観光地です。
2011-01-12(Wed)

アレッサンドリア

アレッサンドリアには有名なチッタ・デッラがあります。チッタ・デッラとは、英語でCitadelとなり、“街を守る最後の砦”の意味があります。アレッサンドリアのチッタ・デッラは18世紀にトリノのサヴォイア家によって造られたもので、保存状態が良く世界遺産の暫定リストに挙げられていて、世界遺産の登録を目指しているそうです。チッタ・デッラは、街からタナーロ川を渡った先にあり、上から見ると函館の五稜郭に似ていて、ここで外部からの侵略を防いでいたのでしょう。しかし、このチッタ・デッラに行こうとしたら、街からタナーロ川にかかっている橋がちぎれていて渡ることが出来ません。橋のかけ直し工事が行われているのです。もちろん、他にも橋があるのですが、かなり遠回りになります。とても歩いて行くことが出来ませんので、諦めるしかありませんでした。折角、アレッサンドリアまで来たのにがっかりです。
07082010_03_チッタデッラ橋_001 07082010_09_アレッサンドリア街並2_008 07082010_07_アレッサンドリア街並_004

そのようなわけで、アレッサンドリアでは街歩きだけになってしまいました。アレッサンドリアは比較的に新しい街で、12世紀に築かれました。清貧を理想に掲げた原始キリスト教の宗教団体であるウリミアーティは12世紀にこの街で発祥し、後に、各地の下層平民の間で広がり修道院を設けることになります。ミラノの近くにあるヴィボルドーネ修道院やミラソーレ修道院は、もともとウリミアーティの修道院でした。アレッサンドリアにもウリミアーティの発祥を裏付けるように、この街で一番大きいサン・ジョヴァンニ・デル・カプッチョ修道院の中に“ウリミアーティの蔵”と呼ばれる建物があるそうです。しかし、この修道院も門が閉ざされていて中に入ることが出来ませんでした。
07082010_02_サンジョヴァンニ・デル・カプッチョ修道院_002 07082010_05_街の小さな教会_002 07082010_07_アレッサンドリア街並_005

旧市街にも2つほど古い教会があります。ひとつは15世紀に建てられたカステッロのサンタ・マリア教会です。ゴシック様式の大きな教会です。
07082010_04_サンタマリア・ディ・カステッロ教会_001 07082010_04_サンタマリア・ディ・カステッロ教会_006 07082010_06_サンタマリア・デル・カルミネ教会_002

もう1つは、アレッサンドリアのカテドラーレで、ファサードはバロック調に建て直されていますが、本体は12/3世紀にかけて建造された聖堂です。さすがに、人口94000人の街の大聖堂だけあって大きくて立派です。
07082010_08_カッテドラーレ・ディ・アレッサンドリア_004 07082010_08_カッテドラーレ・ディ・アレッサンドリア_001 07082010_09_アレッサンドリア街並2_002

この街は、近代になって急激に発展したこともあって、旧市街と新市街の区別もはっきりしていません。この街で有名なものとして、映画にもなった帽子屋さんのボルサリーノは近代にこの街で発祥しました。街の古い建物はサヴォイア家支配の時(17,8世紀)のものが多く、どこかの街で見たことがあるような感じがします。従って、この街を特徴付けるようなものまでは行きません。それでも、初めて来た街を歩くのは楽しいものです。
07082010_09_アレッサンドリア街並2_005 07082010_09_アレッサンドリア街並2_004 07082010_09_アレッサンドリア街並2_006

アスティからアレッサンドリアへは、同じピエモンテ州の中ですから、1時間に1本くらいの普通列車があります。所要時間は30分で料金は2.7ユーロです。
アレッサンドリアからミラノへの戻りは、本数が限られてしまいます。1日に2本だけミラノ・ロゴレドまでの直通列車がありますが、その他はヴォゲーラ或いはパヴィア経由となってしまいます。直通列車なら1時間でミラノ・ロゴレドに着いてしまいますから、距離的には近いのです。料金も普通列車なら6.7又は6.75ユーロです。
また、アレッサンドリアからミラノのファマゴスタ(地下鉄M2)までのバス(Arfeaバス)もあります。このバスは、パヴィアとパヴィアの修道院を通って、ミラノまで行きます。
2011-01-08(Sat)

アスティ

ミラノの直ぐ近くなのに、気になっていて、まだ行っていない街が2つありました。ピエモンテ州のアスティとアレッサンドリアです。その2つをまとめて行ってきました。まず、アスティですが、この街は、ワインとトリフとスローフードで有名なランゲ地方の入口にあたります。従って、食のピエモンテを代表するような人口75000人の大きな街です。
アスティも古い街で、ローマ時代以前に、イタリアの原住民であるリグーリア人が住んでいました。リグーリア人の言葉でAstiとは“丘”の意味があるそうです。ローマ時代にもリグーリア海とトリノを結ぶ交通要所として栄え、10世紀からは司教が直接納める自治都市となっています。13世紀にはトリノを凌ぐほどのパワフルな街となっていました。

アスティには朝の9時半に到着し、街の中心部に向かうと、広場には食料品を中心とした街頭市がいっぱい出ていました。広場の横には大きなメルカートの建物があり、イタリアとは思えないほど綺麗な建物の中にはたくさんの食料品店が並んでいます。最初から、食のピエモンテを見せ付けられてしまいました。
07082010_03_アスティ・メルカートと街頭市_001 07082010_03_アスティ・メルカートと街頭市_002 07082010_03_アスティ・メルカートと街頭市_005

活気が漲っていたマーケットを抜けると、買い物に疲れた人達がカフェでくつろいでいるサン・セコンド広場に出ました。ここにはアスティの聖人であるサン・セコンドに捧げたサン・セコンド聖堂があります。この街の最盛期である13世紀に建造された大きくて立派なロマネスク・ゴシック様式の聖堂です。
07082010_05_サンセコンド広場_002 07082010_04_サンセコンド教会_004 07082010_04_サンセコンド教会_005

街外れ方向に進むと、11世紀建造のサンタ・マリア。ヌォーヴォ教会、12世紀建造のこのあたりでは珍しい八角形のサン・ピエトロ洗礼堂と歴史的建造物が2つあります。この八角形の建物がアスティで最も歴史的に重要なのだそうです。
07082010_10_サンタマリア・ヌォーヴォ教会_002 07082010_11_サンピエトロ礼拝堂_003 07082010_11_サンピエトロ礼拝堂_005

街の中心部方向に戻り、メディチ広場にあるトロヤーナ塔(13世紀)に登りました(2.5ユーロ)。街の真ん中にある高さ50メートルの塔は、街全体を上から眺めるのに絶好な位置にあります。
07082010_09_アスティ街並2_002 07082010_13_トッレ・トゥロヤナと景色_002 07082010_13_トッレ・トゥロヤナと景色_007

続いて、アスティのドゥオモ(サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂)に向かいます。途中のカラーナ広場にも街頭市が出ていました。やはり、市の多い街なのです。カテドラーレ通りの終点に13世紀に建てられたロマネスク・ゴシック様式のサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂があります。このアスティのドゥオモは、ピエモンテで1,2を争うほどの大きさだそうです。現在の人口75000人にはどうみても大きすぎるのですが、13世紀にはこの大きさのドゥオモが必要なほど力のある大きな街だったのです。
07082010_15_サンタマリア・アッスンタ(ドゥオモ)_034 07082010_15_サンタマリア・アッスンタ(ドゥオモ)_001 07082010_15_サンタマリア・アッスンタ(ドゥオモ)_006

大聖堂の中に入ると、久しぶりに感動しました。大きな大聖堂の内面の壁と屋根の全面がフレスコ画で覆われているのです。太く高い石の柱にもフレスコ画で模様が描かれています。フレスコ画をじっくりと眺めると、その一つ一つが実に素晴らしいのです。それほど期待をしていなかったアスティでしたが、見事に、良い方向に裏切られてしまいました。またまた、イタリアの奥の深さを痛感してしまいました。
07082010_15_サンタマリア・アッスンタ(ドゥオモ)_008 07082010_15_サンタマリア・アッスンタ(ドゥオモ)_015 07082010_15_サンタマリア・アッスンタ(ドゥオモ)_021

大聖堂から南に下がると15世紀に建てられたサン・ピエトロ・コンサヴィオ教会があります。イタリアでは珍しく鐘楼がファサードの真ん中に建っています。教会の前の通りを西に進むと円筒形の塔トッレ・ローザ(又はトッレ・ロマーナ)が見えます。この塔はローマ時代の城壁の塔を増強して11世紀に建てられたそうです。
07082010_16_サンタナスタシオ教会_001 07082010_17_トッレ・ロッサ_002 07082010_21_アスティ街並5_004

今度は、大聖堂の北方向に向かいしました。そこには、14世紀にアスティを支配していたミラノのヴィスコンティ家が建てた旧市街を囲っていた城壁が残っています。城壁に沿って進むと緑の生い茂った公園に入ります。ここにカステッロがあったらしいのですが、残念ながら城壁の内側に入ることが出来ませんでした。でも、お城の建物は、もう、ほとんどないそうです。
07082010_20_アスティ城壁と公園_003 07082010_20_アスティ城壁と公園_004 07082010_20_アスティ城壁と公園_007

カステッロから街に戻り、最後にもう一度街歩きです。中心部のローマ広場にはコメンティーナ塔が聳えています。宮殿と塔は、13世紀に建てられたとは思えないほど保存状態が良く、宮殿は今でも事務所として使われています。
07082010_12_アスティ街並3_001 07082010_08_トッレ・コメンティーナ_006 07082010_12_アスティ街並3_002

この他にも、アスティの街にはたくさんの塔があります。実際に、120の塔があるのですが、一般にアスティは“100の塔のある街”と呼ばれています。コメンティーナ塔、トロヤーナ塔及び八角形のレジブス塔が代表的な塔です。
07082010_07_トッレ・レジブス_001 07082010_21_アスティ街並5_002 07082010_21_アスティ街並5_007

アスティには、ミラノからヴォゲーラに出て乗換えて行きます。ヴォゲーラからエスプレッソ(急行)に初めて乗りました。要するに、短い距離の座席指定のインターシティです。ミラノ・ロゴレド駅から乗換を入れても2時間弱で、料金も合計で10ユーロ(エスプレッソは5.4ユーロ)でした。但し、ピエモンテ州の州都であるトリノからなら本数も多いのですが、ミラノからヴォゲーラ経由は本数も少ないので、事前に時刻表で列車を調べておく必要があります。
2011-01-05(Wed)

トレント

ヴェローナの北100キロのところにある人口11万人、トレンティーノ=アルト・アディジェ州の州都トレントに行きました。先日行ったボルツァーノはトレントから更に北55キロのところです。ここも古い街で紀元前4世紀には街があったことが確認されています。しかし、歴史的にこの街の名が有名になったのは16世紀中旬に、ルターの宗教改革に対抗するため、カトリック改革を目的としたトレント公会議が開かれたときです。この街は、11世紀の始めに神聖ローマ帝国による征服後、聖俗両方の権力を持つトレント司教公の支配が始まり19世紀の政教分離の波が来るまで司教公支配が続いていたのです。19世紀からオーストリアの支配に入り、第1次世界大戦後にイタリア帰属に戻ってきました。もともとイタリア語を話すこの地域はイタリア統一主義とオーストリアの激しい抗争が繰り広がられた地域で有名です。従って、トレントは、オーストリアの影響はほとんどなく、どちらかと言うと、長く続いた司教公の影響が強く残り、特に、トレント公会議前後の教会や宮殿が数多く残っています。

駅に着いて、最初に訪ねたのはトレント公会議にも使用されたサンタ・マリア・マッジョーレ教会です。残念ながらこの教会は修復中で外観を見ただけです。
01082010_02_サンタマリアマッジョーレ教会_002 01082010_02_サンタマリアマッジョーレ教会_006 01082010_02_サンタマリアマッジョーレ教会_007

その先には大きなドゥオモ広場があります。広場の真ん中にある18世紀のネプチューンの噴水がアクセントになっている居心地のよさそうな広場です。ドゥオモの他に、この広場には、12世紀に建てられたプレトーリオ邸と13世紀の鐘楼(修復中でした)があります。ベレンツァーニ通りに入る角の建物の表面に描かれたフレスコ画もとても印象的です。
01082010_03_ドゥオモ広場_002 01082010_03_ドゥオモ広場_005 01082010_03_ドゥオモ広場_011

11,2世紀に建てられたロマネスク・ゴシック様式を併せ持つ大理石で建てられたトレントのドゥオモはサン・ヴィジーリオ大聖堂と呼ばれ、トレント公会議の主舞台となりました。大聖堂内部には重厚感が漂っています。この大聖堂内部のキリストの十字架像の前で、トレント公会議の開始が宣言されたそうです。何組ものイタリア人観光ツァーが、その前で説明を受けていました。また、この大聖堂の下にはローマ時代末期(5世紀)のバシリカ跡があります。
01082010_03_ドゥオモ広場_013 01082010_04_ドゥオモ_003 01082010_04_ドゥオモ_009

ドゥオモ広場からサン・フランチェスコ・セヴェリオ教会(15世紀)へと続くベレンツァーニ通りは、トレントの街の歴史的な特徴を一番良く見せている美しい通りと言われています。通りの両側には、建物表面にフレスコ画が描かれているルネッサンス様式の宮殿が並んでいます。このあたりは、この近くで生産された銀の取引で財を成した商人が幾つもの宮殿を建てたところなのです。
01082010_05_ベレオツァーニ通り_001 01082010_05_ベレオツァーニ通り_003 01082010_05_ベレオツァーニ通り_004

この美しい通りは、サン・フランチェスコ・セヴェリオ教会からサン・マルコ通りへと続いています。この通りにも宮殿があり、また、修道院を建て直したサン・マルコ教会(13世紀)と見事な鐘楼を持つサン・ピエトロ教会(14世紀)があります。
01082010_07_マンチ通り_002 01082010_07_マンチ通り_004 01082010_09_サンピエトロ教会_003

サン・マルコ通りを抜けると、トレントの街のシンボルであるブオンコンシーリョ城(13世紀)が見えてきます。司教公が治めていた街に、こんな大きくて立派なお城があるとは思いませんでした。このお城には司教公自身が住んでいて、お城からの城壁はトレントの街を取り囲んでいたそうです。もちろん。このお城は周囲の地域への威嚇と街を守るためのもので、司教といえども宗教の力だけでは足りずに、封建領主と同じように戦う必要があったのです。
01082010_14_ブオン・コンシーリォ城外観2_013 01082010_12_ブオン・コンシーリォ城外観_004 01082010_13_ブオン・コンシーリォ城内部_001

ブオンコンシーリョ城内は博物館になっていて、入場料は7ユーロです。この料金の中には、1年を表したフレスコ画が残るアクイラ塔へのガイド付きツァーを含んでいます。アクイラ塔とはこのお城の城塔の1つで、狭い通路をガイドについて歩いて小さな城塔の中に入ると、内壁に描かれた3月を除く11か月分のフレスコ画を見ることが出来ます。何故、こんなところにこんなフレスコ画があるのか良くわかりませんが、確かに見事なフレスコ画です。但し、撮影禁止です。このお城は規模も大きく、内部のフレスコ画や装飾も素晴らしいだけでなく、周りの景色も素晴らしいところです。イタリアでも上位に数えられるお城だと思います。7ユーロの価値以上のものがありました。
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駅方面に戻り、アディジェ川に出ると、川の畔には、司教公の命で罪人を処刑したと言われているヴェルデ塔があります。アディジェ川を渡るとドス・トレントと呼ばれている大きな岩の丘が目の前に出てきます。この上からの景色は良さそうですが、上まで登る元気はありません。しかし、ドス・トレントの麓に、小さくて白いシンプルな教会があり、その手前のアディジェ川も入れた景色は素晴らしく、絵を描きたくなるくらいです。この白い教会は、12世紀建造のサンタ・ポリナーレ教会です。
01082010_17_トッレ・ヴェルデ_003 01082010_18_トレント郊外・アディジェ川と景色_003 01082010_18_トレント郊外・アディジェ川と景色_016

最後に駅に一番近いところにある12世紀に建てられたロマネスク様式のサン・ロレンツォ教会を見て、トレントの街を一回りしたことになります。さすがに、司教公の街だけあって、街は教会で溢れています。ここで挙げた教会はその一部ですので、正に、犬も歩けば教会に当たる街でした。だけど、この街は教会だけではなく、宮殿やお城、周りの山々の景色も素晴らしいのです。快晴だったこの日はドロミティ山塊まで見通せました。こんな街に住んでみたいと考える人が多いと思います
01082010_21_サンロレンツォ教会_002 01082010_18_トレント郊外・アディジェ川と景色_013 01082010_20_郊外からトレント街の眺め_002

トレントへはヴェローナからボルツァーノ方面行きの普通列車で1時間です。この普通列車は1時間に1,2本ほどあるのですが、どういう訳か朝の9,10時台だけ走っていませんので気をつけてください。料金は5.85ユーロです。ヴェローナへの戻りは午後になりますので1時間に1,2本ありますから問題ありません。
ミラノとヴェローナ間は、以前にお知らせしていますのでそちらを参考にしてください。
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matsuohj (パパロンチーノ)

Author:matsuohj (パパロンチーノ)
2008年10月20日から2010年8月23日までの1年10カ月ミラノに滞在。その期間、北イタリアを中心に115ヶ所の街を訪ねました。それも、ほとんどが公共交通機関を利用したものです。この経験で得た情報を一人でも多くのイタリア好きの人に伝えるためのブログです。

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