2010-10-29(Fri)
ボッビオ
ボッビオは、イタリアの「最も美しい村」に選ばれている街です。ピアチェンツァとジェノヴァを真直ぐに引いた線上に、ピアチェンツァから距離で1/3くらいのところにあるエミリア・ロマーニャ州・ピアチェンツァ県の人口3700人余りの小さな街です。ヴァル・トレッビア(トレッビア渓谷)にあるこの街は、周りを山々に囲まれ、ポー川の支流のトレッビア川が流れている美しい自然環境に加えて、聖コロンバーノ修道院、ローマ時代起源の古い橋、11~12世紀に建てられた教会、13世紀の城と村の周りの城壁等、観光名所が小さな地域に詰め込まれています。
この村はローマ時代からジェノヴァとピアチェンツァを結ぶ街道の中継点として塩の交易で栄えていたのですが、この村の歴史は7世紀初めにアイルランドから来た聖コロンバーノが、地域の司教にこのボッビオを与えられて修道会を設立した時から始まっています。実際には、彼の死後に弟子たちが修道院を建てたそうです。修道院は、まもなく大勢の修道士を抱えて、農業、酪農に加えて宗教や医療の研究等、幅広く活動して、直ぐにこの地域の生産拠点として地域の発展に寄与しました。また、トレッビア川を利用した輸送により、その販売網を北イタリアの各地に広げて大きな経済力も得ました。10,11世紀には最盛期を迎え、宗教においても北イタリアの中心となりボッビオ司教区として認定されて、街の周りには城壁も造られました。ドゥオモを初めとした建物もこの頃に建てられて、この街の骨格が出来上がっています。学問においても、農業、医療の知識の集積地となり、同時に、修道院には写字室を備えていて、ここで作られた羊皮の写本はイタリア各地に行き渡り、今でも各地の博物館に保存されています。即ち、この頃、ボッビオの聖コロンバーノ修道院は北イタリア全域に影響力のある規模になっていたのです。しかし、この街の最盛期は長く続かず、13世紀にピアチェンツァ領主のマラスピーナ家支配下に入って衰退に向かい始めました。修道院の知識も写本によって各地に分散されたことにより、修道院はその優位性を徐々に失い、15世紀の拡張事業を最後に収束に向かいます。ピアチェンツァから乗ったバスはトレッビア渓谷に沿ってイタリアの田舎村をいくつか寄道しながらボッビアに10時過ぎに到着すると、この日は街頭市が出ていて小さな街の周りには車がいっぱい停まっていました。

街の中心にある聖コロンバーノ修道院の周りとドゥオモ広場は街頭市で大賑わいです。街頭市を避けるように聖コロンバーノ修道院に入り、一部に残るロマネスク建築と15世紀に拡張された建物を見学しました。7世紀頃は修道院以外に何もなかったのでしょうが、徐々に周りに人が住むようになり、10世紀頃から現在に至るまで、この街はこの修道院を中心に動いているようです。

修道院の裏側には12世紀に建てられた小さなサン・ロレンツォ教会があります。中に入ると外の喧騒と完全に隔離されていて、静かに聖母マリアに祈りを捧げている人がいました。

街頭市に沿って進むとドゥオモ広場に出ます。ここには、この街の最盛期である11世紀に建てられたドゥオモがあります。当時の栄華を忍ばせるように堂々とした建物で、祭壇の壁と天井に描かれたフレスコ画は見事なものでした。

聖コロンバーノ修道院の先の小高い丘の上に、13世紀、ピアチェンツァの領主であるマラスピーナ家が建てたマラスピーナ城があります。城の内部は公開されていませんでしたが、城の周りの公園から、ボッビオの街全体を見渡せます。新しい支配者のお城は、防衛のための城ではなく、街(修道院)を警戒するために建てられたのでしょう。

城の丘から降りて、今度はトレッビア川に向かいました。ドゥオモからトレッビア川に向かう街並は中世の香りが一番強く残っているところです。石畳の道の両側は石垣と石を積み上げて造った家が並んでいます。川からの水を取り込んで水車を回している家もあります。街頭市で賑わっている広場と違って、さすがに「最も美しい村」に選ばれただけのことはあって、街の小さな路地裏はとってもきれいでゴミも全くありません。イタリアの田舎の街に来たら、歴史的な建物や周りの美しい景色だけでなく、静かな路地裏を歩くことを忘れてはいけません。歩きながら中世と変わらない雰囲気に浸っていると、そこに中世と変わらない生活が見えてきます。


トレッビア川に出ると、そこにはローマ時代起源の古い橋が架かっています。この橋は蛇のようにくねっていて、しかも平らではありません。それが古さの証明なのかもしれません。聖コロンバーノがこの地に来たときに、この橋は壊れていて使えなかったそうです。そこで、聖コロンバーノは悪魔(サタン)と契約して、一晩のうちにサタンに修復させたとの言い伝えがあり、それにちなんで「悪魔の橋」と呼ばれているそうです。トレッビア川の清流と周りの自然に、完全に調和しているこの古い橋は旅人の心を癒してくれます。また、橋を渡りながら見えるボッビオの街の眺めは最高でした。


これまでに、イタリアの「最も美しい村」は、オルタ・サンジュリオとボッビオの2つを訪ねたわけですが、どちらも素晴らしいところでした。観光名所の豪華さと土産物屋の数では劣りますが、「世界遺産」では感じることの出来ない素晴らしさがここにはあります。

鉄道駅のないボッビオにはバスでアクセスする以外にありません。エミリア・ロマーニャ州・ピアチェンツァ県にありますので、バスもピアチェンツァ駅前から乗るTempiバスのLinea 17(駅前のロータリーの先のバス停で、大きく“BOBBIO”と行き先が書かれたているバスです)が便利です。日曜祝日は1日に3本しかないので不便ですが、土曜日なら、午前中に2本(8時53分と11時3分)、午後1時からは1時間半に1本あります。所要時間は1時間10分で料金は片道3.7ユーロです。チケットはピアチェンツァ駅構内のタバッキで購入できますので、往復分を買ってください。バスは、綺麗な景色のトレッビア渓谷沿いに途中にある小さな村々に停まりながら進みます。それぞれのイタリアの田舎の村々も非常に興味深いのですが、ボッビオはそれらの村とは美しさの格が違いますので到着すると直ぐにわかります。でも、例によって、運転手さんに着いたら知らせてもらうように頼んでおいてください。バスは、ボッビオの城壁の直ぐ外にある広場に停まります。その広場にはインドメーションがありますから、観光資料はそこで貰えます。
ミラノ・ロゴレドからピアチェンツァまでは普通列車とインターシティがあわせて1時間に1本あります。料金もそれぞれ5.1ユーロと8.1ユーロです。ロゴレドから所要時間50分前後で到着しますから、がんばって早起きしてピアチェンツァを8時53分に出るバスに乗りましょう。そうすれば、ボッビオの街をゆっくりと楽しむことが出来ます。
この村はローマ時代からジェノヴァとピアチェンツァを結ぶ街道の中継点として塩の交易で栄えていたのですが、この村の歴史は7世紀初めにアイルランドから来た聖コロンバーノが、地域の司教にこのボッビオを与えられて修道会を設立した時から始まっています。実際には、彼の死後に弟子たちが修道院を建てたそうです。修道院は、まもなく大勢の修道士を抱えて、農業、酪農に加えて宗教や医療の研究等、幅広く活動して、直ぐにこの地域の生産拠点として地域の発展に寄与しました。また、トレッビア川を利用した輸送により、その販売網を北イタリアの各地に広げて大きな経済力も得ました。10,11世紀には最盛期を迎え、宗教においても北イタリアの中心となりボッビオ司教区として認定されて、街の周りには城壁も造られました。ドゥオモを初めとした建物もこの頃に建てられて、この街の骨格が出来上がっています。学問においても、農業、医療の知識の集積地となり、同時に、修道院には写字室を備えていて、ここで作られた羊皮の写本はイタリア各地に行き渡り、今でも各地の博物館に保存されています。即ち、この頃、ボッビオの聖コロンバーノ修道院は北イタリア全域に影響力のある規模になっていたのです。しかし、この街の最盛期は長く続かず、13世紀にピアチェンツァ領主のマラスピーナ家支配下に入って衰退に向かい始めました。修道院の知識も写本によって各地に分散されたことにより、修道院はその優位性を徐々に失い、15世紀の拡張事業を最後に収束に向かいます。ピアチェンツァから乗ったバスはトレッビア渓谷に沿ってイタリアの田舎村をいくつか寄道しながらボッビアに10時過ぎに到着すると、この日は街頭市が出ていて小さな街の周りには車がいっぱい停まっていました。



街の中心にある聖コロンバーノ修道院の周りとドゥオモ広場は街頭市で大賑わいです。街頭市を避けるように聖コロンバーノ修道院に入り、一部に残るロマネスク建築と15世紀に拡張された建物を見学しました。7世紀頃は修道院以外に何もなかったのでしょうが、徐々に周りに人が住むようになり、10世紀頃から現在に至るまで、この街はこの修道院を中心に動いているようです。



修道院の裏側には12世紀に建てられた小さなサン・ロレンツォ教会があります。中に入ると外の喧騒と完全に隔離されていて、静かに聖母マリアに祈りを捧げている人がいました。



街頭市に沿って進むとドゥオモ広場に出ます。ここには、この街の最盛期である11世紀に建てられたドゥオモがあります。当時の栄華を忍ばせるように堂々とした建物で、祭壇の壁と天井に描かれたフレスコ画は見事なものでした。




聖コロンバーノ修道院の先の小高い丘の上に、13世紀、ピアチェンツァの領主であるマラスピーナ家が建てたマラスピーナ城があります。城の内部は公開されていませんでしたが、城の周りの公園から、ボッビオの街全体を見渡せます。新しい支配者のお城は、防衛のための城ではなく、街(修道院)を警戒するために建てられたのでしょう。




城の丘から降りて、今度はトレッビア川に向かいました。ドゥオモからトレッビア川に向かう街並は中世の香りが一番強く残っているところです。石畳の道の両側は石垣と石を積み上げて造った家が並んでいます。川からの水を取り込んで水車を回している家もあります。街頭市で賑わっている広場と違って、さすがに「最も美しい村」に選ばれただけのことはあって、街の小さな路地裏はとってもきれいでゴミも全くありません。イタリアの田舎の街に来たら、歴史的な建物や周りの美しい景色だけでなく、静かな路地裏を歩くことを忘れてはいけません。歩きながら中世と変わらない雰囲気に浸っていると、そこに中世と変わらない生活が見えてきます。






トレッビア川に出ると、そこにはローマ時代起源の古い橋が架かっています。この橋は蛇のようにくねっていて、しかも平らではありません。それが古さの証明なのかもしれません。聖コロンバーノがこの地に来たときに、この橋は壊れていて使えなかったそうです。そこで、聖コロンバーノは悪魔(サタン)と契約して、一晩のうちにサタンに修復させたとの言い伝えがあり、それにちなんで「悪魔の橋」と呼ばれているそうです。トレッビア川の清流と周りの自然に、完全に調和しているこの古い橋は旅人の心を癒してくれます。また、橋を渡りながら見えるボッビオの街の眺めは最高でした。






これまでに、イタリアの「最も美しい村」は、オルタ・サンジュリオとボッビオの2つを訪ねたわけですが、どちらも素晴らしいところでした。観光名所の豪華さと土産物屋の数では劣りますが、「世界遺産」では感じることの出来ない素晴らしさがここにはあります。



鉄道駅のないボッビオにはバスでアクセスする以外にありません。エミリア・ロマーニャ州・ピアチェンツァ県にありますので、バスもピアチェンツァ駅前から乗るTempiバスのLinea 17(駅前のロータリーの先のバス停で、大きく“BOBBIO”と行き先が書かれたているバスです)が便利です。日曜祝日は1日に3本しかないので不便ですが、土曜日なら、午前中に2本(8時53分と11時3分)、午後1時からは1時間半に1本あります。所要時間は1時間10分で料金は片道3.7ユーロです。チケットはピアチェンツァ駅構内のタバッキで購入できますので、往復分を買ってください。バスは、綺麗な景色のトレッビア渓谷沿いに途中にある小さな村々に停まりながら進みます。それぞれのイタリアの田舎の村々も非常に興味深いのですが、ボッビオはそれらの村とは美しさの格が違いますので到着すると直ぐにわかります。でも、例によって、運転手さんに着いたら知らせてもらうように頼んでおいてください。バスは、ボッビオの城壁の直ぐ外にある広場に停まります。その広場にはインドメーションがありますから、観光資料はそこで貰えます。
ミラノ・ロゴレドからピアチェンツァまでは普通列車とインターシティがあわせて1時間に1本あります。料金もそれぞれ5.1ユーロと8.1ユーロです。ロゴレドから所要時間50分前後で到着しますから、がんばって早起きしてピアチェンツァを8時53分に出るバスに乗りましょう。そうすれば、ボッビオの街をゆっくりと楽しむことが出来ます。
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